2000.1.1 ひま話より

あけましておめでとうございます。
20世紀最後の年が巡ってまいりました。
今年も「鉱物たちの庭」にて、石たちとのひと時を、ごゆるりとお過ごしになられますよう、お誘い申し上げます。
さて、今年の干支は辰。体は蛇に似て、背に八十一の鱗あり、頭に二本の鹿角あり、四本の足を持つ伝説の神獣。水にひそみ空を翔け、吐く息は雲となって雨を呼び、雷をまとい、炎をたなびかせ、口辺に悠々たるひげを翻らせる、かの龍の年であります。実に景気のいいことではありませんか。
龍はその頤(おとがい)にあかあかと輝く珠を蔵します。これを如意宝珠と呼ぶのは、珠を受けたる者、思いのままに富を得、繁盛を極めるとの伝承に因ります。この珠は龍が自ら進んで与えた時のみ霊力を発し、悪心抱く輩が巻き上げたところで、光を失って砕け果てるとの由(ご機嫌伺いに喉の下の逆鱗を撫でようとすると怒るそうだ)、龍は至宝の守り手であり、その身のうねる如く、紆余曲折を経て、宝を正統の持ち主に届ける運命の導き手でもあります。どうぞ混沌龍よ、わが国を導き、立ち直らせたまえ。アムメン。


龍といっても、世界各地さまざまな姿形、性質、行状の種族がいますが、日本の今昔物語に登場する面々は、いつも仇敵の龍と、あるいはムカデやミズチ(大蛇)と争う傾向があり、しかもたいていの場合劣勢の立場にあり、人界の剛者に助力をあおぎます。引き受けた武士やら漁師やらは、仇を射殺し、そのお礼に宝珠を授けられる、あるいは龍金を授けられるということになります。龍金というのは、お餅のような形の金で、これを半分に折って、片方を費い、片方を箱の中に収めておけば、いつまでたってもなくならないという、ありがたい代物です。
承平の頃、俵藤太秀郷(たわらとうだひでさと)が、三井寺に近い勢多の橋を渡ろうとすると、恐ろしげな龍がでーんと寝そべって、ぎらぎら眼を光らせておりました。秀郷は平然と龍の背を踏んで静かにその上を渡り、振り返りもせずに歩み去ったところ、大分行き過ぎたところで、一人の小男があらわれ、私は長年橋の下に住んで、往来の人を眺めていたが、あなたほど肝の据わった人はいなかった、実は年来地を争う敵がいるのだが、どうもこちらが押され気味で、なんとかひとつ助けてもらえないかという。
秀郷は、なにか深い事情があるのだろうと察して、詮索もせずに男の後をついてゆくと、湖が割れて、はるか水中に楼門が開いた。ラピス・ラズリの砂を敷き詰めた上に白玉の暖かな石畳、花がはらはら散り敷いてなんとも美しい竜宮に着いた。珍しい鉱物標本を肴に、お蕎麦を一杯、二杯と重ねるうちに夜も更けた。男が、そろそろ敵がやって来ますう、と慌てだしたので、壊されないように標本をしまっておきなさいと言いつつ、3本の矢を用意して決戦に備えた。やがて雨風がさわぎ、激しく雷が鳴る中を二列になった松明が、2000ほど連なって近づいてきた。と見ると途方もなく大きな一匹の百足が、それぞれの足に松明を掲げているのであった。
秀郷は、矢をつがえ、眉間の真中を狙ってえいと放った。矢はあたかもひすい輝石か王蟲(おうむ)の殻に当たったかのごとくキンと音を立てて跳ね返された。こん畜生と二の矢を引き絞り、1ミリと違えず同じところを狙ったが、やはり、コンと返された。おお、どうするだあ、次はカンかあ、と一休さんのように座禅を組んだところ、ポクポクポクポク・チーンと思いついたことあって、今度は矢にツバを吐きかけて、三度同じところを撃てば、眉間を貫いて、喉の下まで通った。たちまち松明が消えて、大音響とともに百足は倒れた。百八の鐘が鳴った。そうして新しい年が来た。
竜神は大いに喜んで、お屠蘇で乾杯した後、秀郷に、チャナルシロの淡紅銀鉱をやろうか、スイートホームの菱マンガン鉱をやろうか、20カラットのベニト石のカット石はどうか、ボリビアのフォスフォフィライトの結晶は、と持ちかけたところ、秀郷は、さようなものは国立博物館にでも寄付なさいと取り合わなかったので、替わりに大太刀一振、巻絹ひとつ、ミスリルの鎧一領、首もとを結んだ俵ひとつに、赤銅の鐘をもたせたという。巻絹はいくら使っても尽きず、俵はいくら米をすくっても尽きなかったので、秀郷は以後裕福に暮らした。鐘は後になって三井寺に奉じられたという。
このように龍というのは大変物持ちなのであります。まためでたい生き物であります。


外国の龍にも、中には珠持ちがいて、アルメニアのアララト山に住む王族の龍は、娘龍を一人選んで、女王に立てる慣いである。敵が攻めて来ても、女王がひとにらみすれば、みな恐れて散じた。この女王は口中にフルという光明石を含み、これを空に向かって、ペ、と吐くと、まばゆく輝いて夜空が真昼のように明るくなったという。
また、ヨーロッパには、百花繚乱、錚々たる龍たち、また龍退治の騎士たちがいたが、彼らもまた明珠をもっていた。その珠はエスカルボクルと呼ばれている。名前から判断するにエスメラルダ(緑の宝玉エメラルド)のようでもあり、カルバンクル(赤い宝玉ルビーまたはガーネット)のようでもあるが、実は龍の魂であった。龍を退治した騎士たちは、エスカルボクルの正統な継ぎ手となったが、彼らは珠を削り出して聖杯となした。聖杯には生命の水が満ち、これを飲むものは、過去の罪業がすべて洗い流され、その身は再び若木のように軽やかに無垢になったという。
アカネイア大陸には、竜人が棲み、普段は人の姿をしているが、火竜石、神竜石、魔竜石を使うと、それぞれ、火竜、神竜、魔竜に変じた。なかでも神竜の娘は、対魔竜戦において無敵の強さを誇ったが、5ターンほど経過すると再び人間に戻ってしまうのであった。(「ファイヤーエムブレム−暗黒竜と光の剣」より)
このように龍と石とは切っても切れない関係にあった。彼らは川や湖の底を住処としたが、地底や山の中の洞窟、鉱山跡などにも好んで棲み、英雄の宝や奪った宝、金銀宝石の鉱脈を、まどろみながら守っている。時に貪欲なまでに宝に固執し、分からないだろうと思って何百とある標本のひとつをこっそり隠しても、ちゃあんとそれに気づくのであった。なにやら鉱物愛好家を彷彿とさせるではないか。もしかしたら、鉱物好きの人たちは、龍の血を受けたはるかな末裔なのかもしれない。そうだとすれば、今年はまさに彼らのための年である。
ああ、めでたやな。
というわけで、今年もまた、こんな調子で進めてまいりたいと思います。分けのわからないところは適当に読み飛ばし(どうせ深い意味はない)、鉱物の世界をゆるゆると見物に参ろうではありませんか(脱線ばっかりですけど)。