2000.6.25 ひま話より
先日、丸善ライブラリーから出ている、「飛行船の時代」という本を読んだ。副題を「ツェッペリンのドイツ」という。ツェッペリン伯爵というカリスマによって日の目を見た飛行船が、どんなふうにひとつの時代を彩ったかが、よくわかる。飛行機がまだ未熟だった時代に、人々を空の旅に誘ったドイツ式飛行船の黎明期。巨大な鯨に比すべき悠揚迫らざる時代精神の幻影ツェッペリン伯号が世界を闊歩した栄光の時。そして一次大戦の敗北で過酷な賠償を負い、次第にナチ化していったドイツに戦雲が兆す頃、アメリカ、レイクハーストの上空で爆発炎上、飛行船時代の幕を降ろした豪華客船ヒンデンブルク号に至るまでを、ドイツ社会の精神的変遷を絡ませながら興味深く語っている。
ホームページではこれまで紹介する機会がなかったが、私は飛行機大好きおじさんなので、このテの本がとても好きなのである。はや十数年前、宮崎駿が天空の城ラピュタという映画を作って、空賊の操る巨大飛行船を描き、飛行船時代のロマンを語ったことは今も記憶に鮮やかだが(紅の豚も良かった)、飛行船の開発と、それがもたらした夢のような空の旅は、今の時代でいえば、アストロノーツ(宇宙飛行士)だけが到達できる宇宙空間へ、一般の人々が気軽に行けるようになった、というくらいの衝撃的な出来事であった。小さな複葉の遊覧飛行機に同乗して、2,30分の間、自分たちの町や村を空から眺めるというのではない。それはまさに空の旅なのであった。飛行船は、都市から都市へ、そして大洋を渡り新大陸へ、またシベリアへ、アジアへ、悠々たる蒼天を天馬が健やかに翔けるよう、夢と憧れを乗せて、人々を運んだのであった。けれども栄光の時代は短く、英雄の生涯に似て、ほんの一時華麗に燃えて消える運命にあった。
最終完成号機となったLZ129、ヒンデンブルク号は、全長245メートル、直径41.2メートル、充填された浮遊ガス(水素)約20万立方メートル。装備されたダイムラーベンツLOF6エンジン6基は、各々継続出力900馬力、最大1200馬力で巨大なプロペラを回した。時速125キロ、積載重量60トン。6日間の連続航行が可能な最先端技術を結集した飛行船だった。この船が、1937年の初夏、大西洋を横断した後、レイクハーストで着陸態勢に入り、繋留綱を地上に降ろした瞬間、予想だにしない事故を起こす。突如船尾に閃光が走り、あっという間に炎が船体を包んだ。飛行船は待ち受けていた大勢の人々の眼前に墜落、わずか40秒で全焼した。36人の乗客のうち13人、60人の乗務員のうち21人、地上作業員1人が死亡、多くの乗客が重症を負った。一体何が起こったのか。「飛行船の時代」は1993年に書かれた本だが、ヒンデンブルク号の事故は、帯電による自然引火説、雷説、爆弾説などさまざまあるが、数十年経た今に至るまで原因不明と述べている。ただ原因はどうあれ、水素の爆発がこれほど大きな惨禍をもたらしたとされる。
この事故によって、水素の危険性が世界中で深く認識されることになった。そうした世評を背景に、LZ130号機からは、以前から強く希望されていたヘリウムガス仕様が、ようやっと実現する見込みとなった。当時唯一のヘリウム製造国だったアメリカは、長らくドイツへの供給を渋っていたのである。しかし、協調関係はあっという間に終焉した。38年3月ドイツがオーストリアへ侵攻すると、即座に供給が打ち切られた。ツェッペリン社が、いくら飛行船の平和利用を説こうと、アメリカにはお題目としか映らなかった。かつてドイツ飛行船は、イギリスへの空爆を担った時期があったからである(迎撃されて、あまり戦果は上がらなかった)。また予ねてツェッペリン社と折り合いの悪かったヒトラー政権が、構造材のアルミ(ジュラルミン)フレームの転用を目的に飛行船を徴用、解体したことにより、ついに飛行船の時代は終った。
この本を読んで、2,3日後、私は仕事で金沢にいた。夜、無聊をかこち、ホテルでテレビのチャンネルを回していたところ、なんのはからいだろう、画面にヒンデンブルク号が現われた。NHK教育テレビの地球時間という番組で、墜落原因を調査したドキュメントを流していたのだった(1999年海外製作)。ナレーターは、事故から60年経ってようやく原因が判明し、従来信じられていた水素爆発は引き金に過ぎず、むしろ飛行船外皮の素材に問題があったことを語っていた。主唱者は、NASAで燃料関係の技術に携わっていた人物だった。彼は、ロケット燃料として長年水素を扱ってきた経験から、水素は確かに空気と混合して爆鳴気を作るものの、その爆発がヒンデンブルク号の悲劇をもたらしたという通念に疑問を感じていたという。なぜなら、飛行船はもともと水素の危険を十分に認知した上で、安全対策を何重にも加えて設計されており、仮に船体が破れて水素が洩れたり、さらに、洩れた水素が発火したとしても、炎上するはずがないからだった。洩れた水素は、空気よりはるかに軽いからすぐに上昇流を作る。発火するのは空気(酸素)と混合した部分だけだから、流出口では燃焼するけれども、純粋な水素で占められたガス嚢の全体が一度に爆発するわけはない。また、水素の炎は青く、通常はほとんど目に見えない。にもかかわらず、墜落の際には、はっきりと黄色い炎(酸化炎)が船を包んだ。これは水素が燃えたものではない、というのだった。(当時の白黒フイルムに特殊な処理をすると、映像をカラー化できる。カラー化映像では、目撃証言通り、黄色い炎が吹き上がっている)
結論をいうと、問題は、船腹を被う外皮にあった。飛行船は軽量化のため、アルミ材で輪状のフレームを作り、縦通材で連ねた骨格に、被覆剤を塗装した繊維質の合成布を張っていた。その被覆剤に新しい素材が採用され、酸化鉄とアルミニウム粉末を含むものになっていたのだ。番組で紹介されているところでは、この2者の混合物はスペースシャトルのサブブースターに使われる固体推進燃料であるという。ヒンデンブルク号は、悪天候の中、雷雲をさけて低空飛行した後、着陸態勢に入ったが、船体は強い静電気を帯びていた。静電気は、繋留綱を降ろしたとき、綱がアースになって、素早く地上に逃げてゆくはずだった。ところが、外皮の張り方に問題があり、一部の静電気が残ってしまった。これがアースの結果生じた電位差のため、放電火花を発生させた。火花は、船尾上翼あたりから(安全に)排気されていた漏洩水素を爆発させ、火の手があがった。たちまち火は非常に燃えやすい外皮に移った....。この仮説を実証するため、当時焼け残った船体外皮の一部を試料とし、電圧をかけて放電火花を起こさせたところ、まさに事故映像とそっくりの炎があがり、すさまじい炎の伝播が確認された。その後、ツェッペリン社の技術者が事故直後に行った実験報告(未公開)が、ドイツのある博物館で発見された。報告は、まさに同じ結論(可能性)を述べていた。もはや疑う余地はなかった。
こうしてヒンデンブルクの悲劇は、水素爆発のためではなかったことがわかった(確かに発端とはなったが)。かりに浮遊ガスとして不燃性のヘリウムを使っていたとしても、同様の事故が起こった可能性もあった。この事故によって水素は危険だという考えが広まってしまったが、誤解がとけた今、再び大空を優雅に浮かぶ飛行船が見直されてもいい、と番組は締めくくった。
私は、つい先日、本を読んでいたことでもあり、ほおお、やっと事故の原因がわかったのかあ、と感心しながら見ていたのだが、どうしても腑に落ちないことがあった。それは被覆塗料の材料に使われたという酸化鉄とアルミニウム粉末のことだ。番組ではスペースシャトルのブースター、などと最先端テクノロジーっぽいことを言っていたけれども、この二つの金属の混合物がおそるべき燃焼材料であることくらい、当時の技術者は誰でも知っていたはずだと思うのだ。この2種の薬剤を等量混合したものはテルミットと呼ばれて、発火時に高温が得られることは、いわば常識だった。19世紀末以来、鉄道線路の継ぎ目を繋ぐのにテルミット溶接は盛んに用いられたし、鉄構造船などの補修にも使われていた。戦争のときには、テルミット焼夷弾だって作られた。そんなものをどうして飛行船の塗料に使うのか、その方がいっそ信じがたい気がするのだ。この塗料は、ヒンデンブルク号でのみ使われたものだというが、そうだとしたらほとんど事故を起こすために使ったようなものだ。そんなことは、とても信じがたいので、番組そのものが釈然としないのである。耐火試験もしない外皮を、本当に飛行船に採用したりするのか?ヒンデンブルク号は、飛行船として初めて喫煙室を実現したくらい防火設計思想が優れていたというのに?
まあ、それはともかく、私は、「インディ・ジョーンズ若き日の冒険」で、インディアナが飛行船に乗り込んだシーンを見て以来、空のオリエント急行ともいうべき飛行船にあこがれていたので、当時のキャビンの調度品とか、豪華な旅の様子を写した映像が見れてとてもうれしかった。
ちなみに、挿入してある、ヒンデンブルク号の画像には、画像もとの、ZEPPELIN LIBRARY ARCHIVE というページをリンクしてある。ご興味のある方は、クリックして、インターネット上で、ツェッペリンの雄姿をお楽しみ戴きたい。