中国は、昔から玉を愛好した国である。良質の玉はしばしば途方もない情熱をもって蒐集された。
ここに紹介するのは、「和氏(かし)の璧」と呼ばれた宝玉の伝説である。璧(へき)とは、薄い環状に磨いた円形の玉(軟玉)のことで、周代から漢代にかけてのトラディショナル・デザインだった。
お話は、BC3世紀の前半、趙の国の恵文王が、楚の国からこの名玉を手に入れたことに始まる。早速聞きつけた秦の昭王が、趙に手紙を送り、15の城と交換で和氏の璧を譲ってくれと申し入れてきた。
当時の中国は、黄河中原に列強ひしめき、互いに領土を侵しあったり、手を結んだり、裏切ったりという権謀術数を尽くしていた。その中にあって、西方の秦は、他の列国が束にならねば太刀打ち出来ないほどの力を持っていた。趙は、数十年前、武霊王という不世出の名君が現れて大国の仲間入りをし、この時代にも強国の地位を維持していたが、それでも秦の申し出を拒むのは、ひどく危険な行為だった。
とはいっても、璧を差し出したところで、秦が本当に城を手放す可能性は、年末ジャンボ宝くじで一等を引くほどもなかった。つまり、璧だけ奪われてオシマイになるのが目に見えていたのである。王は将軍、大臣を集めて評定を繰り返したが、名案は浮かばない。難局を乗り切るべく、秦に立てる使者も見あたらない。そのとき、宦官長が、
「私の家来に、リン・ショウジョという者があります。彼ならば使者が務まりましょう。」と申し出た。「彼には勇気と智謀があります。」
そこで王はショウジョを召し、その意見を聞いた。
「秦は大国ですから、璧を出さないわけにはいかないでしょう。」とショウジョ。
「だが、もし秦王が私の璧を取って、約束通り城を渡さないときは、どうするのだ。」
「璧を渡すのを拒めば、趙が悪いことになります。璧を取って城を渡さないなら、秦が悪いことになります。どちらかを選ぶなら、秦が悪いように仕向けるのがよいでしょう。」
「城が得られなくても璧を差し出せと申すか。」
「交換の使者には私が参ります。秦が約束を守って15城を渡すなら、璧は秦に置いて帰ります。城が手に入らなければ、璧は私が完全に持ち帰ります。」
こうして、ショウジョは、璧を手に秦王のもとへ赴き、王と会見した。ショウジョが璧を捧げて渡すと、王は大喜びで受け取り、居並ぶ家臣や侍女たちに見せた。みな万歳を唱えて玉の入手を祝った。王は、城のことにはまったく触れず、そんな話は始めからなかったかのように振舞った。
と、ショウジョがさっと進み出ていうには、「お待ちください。実はその璧にはキズがあるのです。お教えいたしましょう。」
王は、少し驚いて、ショウジョに璧を渡した。ショウジョは、璧を手にすると、後ずさりして柱を背に立った。表情が一変し、鬼神のごとき怒りにたぎっていた。髪は逆立ち、冠を突き上げた。おお、大気が怒りに満ちておる!城の広間は水を打ったように静まりかえった。ショウジョは、王を睨みつけながら言った。
「王よ。趙の国では、秦王は貪欲な人だから、璧は取っても城は渡すまいというのがもっぱらの意見でした。だが私は、『庶民でさえ人を欺かないのに、大国の秦がそのようなことをするわけがない。それにたった一つの璧のために秦に逆らってはならない』、そう言って使者を志願しました。恵文王は、斎戒5日の後、つつしんで璧を奉じることにされました。秦国に敬意を表してのことです。
それが、この有様は、なんですか。王には約束を守るお気持ちがまったくない様子です。璧は返して戴きました。
この上、無理にも奪おうというのなら、私は、璧もろとも自分の頭を柱にぶつけて割ってしまいます!」
そして、まさに柱に璧を打ちつけようとしたので、秦王は慌ててとめた。璧が惜しかったのだ。王は、謝って、役人に地図を持ってこさせ、指で示して、ここからここまでの15城を趙に与えるから、璧を渡すようにと言った。だが、ショウジョは心を許さない。
「和氏の璧は天下の重宝です。趙王は、奉じるにあたり、5日間の斎戒をしました。いま大王も同じように斎戒をして、礼を厚くしてお受け取りください。そうすれば、私も璧を奉りましょう。」
ショウジョが、一歩も譲る気配を見せなかったので、秦王は、やむなく彼を下がらせた。そして5日の斎戒を勤めた後、再びショウジョを引見した。今度は最高の礼を尽くした。しかし、ショウジョはもはや秦王を信用出来ないと考えたので、従者に璧を持たせ、密かに国に帰らせていた。
ショウジョは、秦王を前に、こう言った。
「秦の王は、穆公以来、約束を守ったことのないお国柄です。璧は、趙に持ち帰らせました。ここにはありません。私の提案はこうです。今度は秦が先に15城を趙に下さい。そうすれば、璧をお渡ししましょう。いま、私は天を欺きました。その罪は覚悟しております。釜うででも何でもお好きになさるがよろしい。どうぞみなさんでご相談ください。」
もちろん、秦王は、がおおお、と怒ったが、結局、ショウジョを殺しても璧は手に入らず、秦と趙の国交が断たれるだけだ、むしろ厚遇して帰すほうがましだ、ということになった。こうしてショウジョは礼遇されて、無事帰国することが出来た。趙王は、ショウジョを上大夫にとりたてた。璧と城との交換はとうとう実現しなかったが、彼の働きで、趙は面目を保つことが出来た。世の人は、リン・ショウジョを完璧の使者と呼んだ。「璧を完うして趙に帰る」と。
この話は、その一部が伝えられて、時にミャンマーのヒスイがいかに珍重されたかを語る引き合いに出されることがある。しかし、和氏の璧は、おそらくヒスイではなく軟玉だった。また、古代の王が15の城都と一個の玉を交換しようとした、と言われるが、本当に交換する気は毛頭なかったのである。
玉というものが、それほどの代償を払っても手にいれたい憧れの品物だったことは疑いない。ただ、この時代の王者の感性を現代の私たち(一般人)の常識に当てはめて考えることは、ちょっと無理がある。洋の東西を問わず、宝石やら名馬やら磁器やら香料やら、珍奇で高価な産物を求めて、王たちは何年間も戦争し、ときには家族や臣下をも殺した。何百人もの奴隷と交換で宝物を手に入れた。私たちの感覚からすれば、狂ってるとしか、いいようがないのである。どこかの大会社の社長が、15の支店・支社を売ってダイヤを買う資金にあてたといったら、誰も、おお、ダイヤってそんなにすごい値打ちがあるのかあ、とは言わないだろう。騙して、ただで取り上げようとした秦王の方が、まだ賢い。それでも、15の城都という玉の対価に、世人は驚きながらも妙に納得した。玉に対する信仰はそれほど強かったのである。
備考:はるか昔、周の国人に、卞和(べんか)という男があった。あるとき、玉の原石を手に入れて、時の脂、に献上したところ、「これが玉だと!嘘つきめ」と、左足を切られてしまった。よせばいいのに、武王のときに再び献上し、またもや詐欺師扱いを受けて右足を切られた。しかし、文王がこの原石を工人に磨かせたところ、素晴らしい玉であることが分かり、璧に加工されて、国の宝となった。その後、数百年を経て、趙の恵文王の手に渡ったのが、この和氏の璧である。
ちなみに卞和は両足を切られた後、泣き暮らしていたので、周囲から「かわいそうに」と声をかけられた。その時、彼は次のように答えたという。「足を切られたのが悲しくて泣いているのではない。これほど素晴らしい玉が世に認められないことが悲しいのだ」