75旧版.ファデン水晶 (パキスタン産)

 

 

君。謎を解きたまえ。

ファデン水晶 −パキスタン、ワジリスタン産

 

水晶には六つの柱面がある。このうち平行する2つの面だけが特に大きく発達して、結晶が板のような形になったものがある。そうした水晶には、白濁した帯が中央付近を斜めに走るという特徴があり、いつしか「ファデンクオーツ」と呼ばれるようになった。ファデンとはドイツ語で縫い糸のことをいう。

いったん出来た水晶が、なんらかの圧力によって真っ二つに裂け、その後にガスや液状の不純物を多く含んだ鉱液が供給されて再び結晶作用が進行した結果、白濁しながらも裂け目が修復されたものがファデン水晶である、というのが、現時点での有力説だという。

ただ、写真の標本に限って言えば、筆者にはとてもその通り出来たとは思えない。この標本は、左右2つの板状の結晶が中央部で互いに貫入しながら、結晶面を作っており、さらに、上下には、普通の六角柱状結晶を伴っている。白濁帯は、その中央を一直線に分断している。もし、上記の説が正しいのなら、これら最低4個の結晶が生成したあとで、結晶格子の方向の違いを無視して、見事に水晶を断ち割らねばならない。それも上から下まで同じ幅の隙間を作るようにである。単純な衝撃が加わることで、そんな芸当が実現するはずはない。また、縫い目を補修した鉱液は、当然水晶全体を、さらに大きく成長させたはずで、それならば、発達した2つの柱面の最外部まで、白濁帯が伸びていなければならない。しかし実際には、白濁部は、内部に閉じ込められていて表面まで達していない。さらに、白濁帯を拡大して見ると、白く見えるのは気泡の集まりである。一つ一つの気泡は、帯の伸びる方向と直交する向きに規則正しく連なっている。気泡の密度は中央で高く、またその大きさも中央部のものが大きくなる傾向がある。これらの連なりの層が、ちり紙のように積み重なって全体として帯状に見えるのである。上記の仮説は、こうした気泡の規則性を説明しない。

それなら、この標本は、一体どうやって出来たのか。少なくとも、結晶の成長過程で裂けたりはしなかっただろう。普通の結晶と同じように、鉱液からの成分補給を受けながら成長し、結晶面がその内部より先行して晶出するプロセスを経て発達していっただろう。その過程で白濁帯の部分は、もっとも最後まで結晶化が進まなかった部分だったと思われる。なぜなら(ここから先は、理屈を言ってるだけで、理論を展開しているのではない)、この部分は左右の板状結晶の中央部に当たり、それぞれに属する結晶格子の大枠に共有される分子のまわりで、どうしても不整合な部分が残ったことと、結晶面が先に析出したために内部に取り込められた鉱液中の不純物が、次第に濃度を上げながら、この標本の最も奥まった部分である中央帯に追いやられて集まったため、いっそう析出に困難を生じたのである。こうして、微小な気泡が結晶の中央部に取り残された。気泡の大きさが帯の断面左右で小さく、中央部では大きく、また数も多いのはそのためである。

ついでに言えば、こうした気泡の並び方は重力による影響を暗示していないが、例えば製鉄の過程でリムド鋼に「す」が入るのとよく似た傾向を示しているように思う。つまり、気泡が鉱液中を浮上して結晶との境界面に溜まって肉眼でも見えるほどの大きさに成長していったが、結晶面付近から外部に逃れることは出来なくて、結晶面辺縁でまわりを水晶に固められ、あっという間にその場に封じ込められた、そして結晶が成長してゆくのに合わせて、過飽和となった気体があたかも年輪のように(先の表現を使えば、ちり紙のように)重なって帯状に伸びたと見るべきである。また、この白濁帯の幅がほとんど一定であるということは、結晶の成長中、ほとんど同じペースで析出が進行したと同時に、鉱液に含まれる不純な気化成分も同じ濃度に保たれていた、すなわち、結晶と帯は同時に、一気に発達したと考えられる。

とはいえ、この説にも可笑しいところはある。この説明では最初の白濁部分がどうやって出来たのかを語るために、いくつかのあまり妥当でない仮説を取り入れなければならないし、最初の種となった結晶がどの部分から発生したかがうまく説明できない。

ここではこれ以上考察を進めないが、どんなに不思議な様相を示していても、鉱物世界には、単純明快かつ優雅な法則が働いているはずである。どんな法則なのか、あれこれと空想を巡らすのも、また楽しいものだ。標本は、私たちに語りかけ、謎を提示する。しかしその答えは、未だ神秘のベールをかぶっている。