ダイヤモンドの話1  −その価値を巡って


7月も末のある日、英国海外秘密情報部員ジェームズ・ボンド、通称007号は、上司のMに呼び出され、彼の部屋で20カラットのダイヤモンドを見せられた。慣れないしぐさで右眼にルーペを押し込んだボンドは、言われるままに、テーブルの上の見事な細工の石をとりあげ、卓上ライトの光にかざした。七色の眩い光が眼を射た。
「いい石だろう?」とM。「素晴らしい。たいへんな値打ちなんでしょうね。」とボンド。
「何、」Mはそっけなく言う。「細工に2,3ポンドかかっただけさ。ただの水晶だ。」

「次はこれだ」Mはまたも20カラットほどの石をボンドに示す。石の中心に青白い炎のような輝きがあり、反射屈折した光が湧き上がって目に突き刺さるようだ。今度はほんもののダイヤモンドだった。さっきの石とは比べ物にならない。眺めながら、ボンドは、今はじめて何世紀にも渡ってダイヤモンドが人類の情熱を掻き立ててきたことが納得できた。この数分で、彼は、ダイヤモンドの真髄に触れ、その神秘を理解したと思った。そして終生この日を忘れることはないだろうと思った。

Mが言った。「ダイヤモンドにかかわる仕事をするのなら、その心底にあるものをよく理解しておかなければならない。莫大な利益、投資財産、インフレよけ、婚約指輪、そうした薄っぺらな流行ではなく、ダイヤの美とそれに賭ける情熱そのもののことだ。」

007シリーズ「ダイヤモンドは永遠に」のワンシーンである。

生命は、光に対する本能的な興味を持っている。ミドリムシも魚もカラスも、みなきらきらと光るものに吸い寄せられる(ライアル・ワトソンはこれを「カササギ衝動」と呼んだ)。人間の場合は、それが、ナイフだったり、クロム鍍金のバックルだったり、ワックスを二度がけした自動車だったり、ガラス細工だったり、ラメ刺繍つきの夜会服だったり、鉱物や宝石だったりする。宝石の中でも特にキラキラしいダイヤモンドに、魂も奪われるような恍惚を覚えるのは、これはもう何十億年かけた進化の過程で、遺伝子に分かちがたく刻み込まれた生命の本質に根ざす反応なのである。そのまばゆい輝きの前には、人間は抵抗の術なく、己の生命を捧げるしかない。Mが言いたかったのは、おそらくそこのところだっただろう。

イアン・フレミングが、1956年に、ダイヤモンド密輸団とイギリス政府の戦いを小説に描いた時、現実にダイヤモンド取引は全てロンドンで行われていたから、取引による莫大な税収は政府の貴重な財源といえた。密輸による「脱税」は国家にとって大きな機会損失だったので、007号たちがその摘発に乗り出さなければならない理由は十分にあった。また、その頃ダイヤモンドの商権を一手に握っていたイギリス系のシンジケートは、元MI5(英国情報局)の責任者、サー・パーシー・シリトーを雇って私兵団を組織し、リベリアやシエラレオネを舞台に、謀略と暴力による密輸組織の殲滅作戦を展開していた。元シンジケートの社員が、ナミビアの海岸に隠しておいたダイヤを夜明け前に密空輸しようとして、パトロール員に発見されたこともあった。ダイヤモンドはまさに富の象徴であり、政府まで巻き込んだ独占企業が緻密かつ非情な戦略によって築き上げた、巨大な利益を生む世界的ビジネスであり、人類の欲望と醜さを一身に体現した存在だったのである。そのことを百も承知の上で、ダイヤモンドの本質的な美しさ、そのまばゆい輝きに対する人類の憧れこそが、もっとも大切なものだと、Mに言わせたフレミングは、なかなか大した石の理解者だったようだ。

当時も今も、ダイヤモンドというと、めったに見つからない希少な石であり、非常に高価なもので、資産価値があり、同時に永遠の愛の証であるといった、さまざまなイメージや役割が与えられている。フレミングはそれらがすべてまやかし、あるいは作られたイメージに過ぎないということを、知っていたのだろう。それでもダイヤモンドが大好きだったのだろう。

そのあたりのことを、ちょっと辛口で、書いてみたいと思う。


ダイヤモンドの値打ちは、しばしば、極めて高い価格や希少性と同一視されることがある。しかし、これはあまりあてにならないお話である。高い価格は、シンジケート(説明なしにこの言葉を使うが、要するに世界中のダイヤの生産と流通を独占管理している私企業があるのだ)が、市場操作によって一方的に維持しているものだし、希少性についても彼らが生産量や流通量を調整しているからだ。

ダイヤモンドの値段が、希少性によって決まるというのは、相対的な意味では本当である。そのためのもっともらしい根拠は、今から30年ほど前にアメリカのある団体によって編み出された4C(カラー、カラット、クラリティ、カット)を基準にした分類表(と測定器具)によって数式化された。当然ながら統計上、偏差値の高い石は、平均的な石に比べれば圧倒的に数が少ない。よって値段も高い。しかし、現代ではその母数自体が膨大なものになっているのだ。
18世紀の中頃まで、ダイヤはインドでしか採れなかった。そのうちのごく微々たるものだけが、西洋にもたらされた。当時ダイヤは王族のためのものだった。1730年ごろ、ブラジルの河底からダイヤが発見されると、ダイヤの供給は飛躍的に増えた。それでもその量は、平均して年間10万カラットを超えなかった。その時代になっても、ダイヤモンドを手に入れることが出来たのは、貴族など一部の特権階級の人々に限られていた。だが、1860年代に南アフリカでダイヤ鉱床が発見された時から、ダイヤは希少な石ではなくなった。1880年には300万カラットが採掘された。一次大戦前には600万カラットとなった(宝石用は150万カラットくらい)。世界恐慌の折にこそ、生産はほとんどゼロに近かったが、その後再び飛躍的に増大し、シベリアやオーストラリアからの産出が加わった現在では、年間1億カラット以上、宝石用だけでも1500万カラット以上のダイヤが供給されている。これら年々の新品のほかに、決して出回ることはないが、これまで人々が購入し、生きた在庫として抱え込んでいる宝石ダイヤの量は、少なく見ても6億カラットを下らないといわれている。

どう見ても世界はダイヤであふれている。にもかかわらず、ダイヤモンドの神話性と小売価格は健在である。その理由のひとつは、宝石用のダイヤモンドの大半が婚約指輪として購入されることにある。生産者側は、アメリカや日本の結婚予想件数にリンクして生産量と市場流通量をコントロールしており、一方、消費者は、新品のダイヤだけを、シンジケートに連なる一流店で買い求めるのだ。そして、いったん売られたダイヤモンドが還流して再び市場に戻ってくるような大規模な仕組みは事実上存在しない。消費者は普通、愛の証を売ったりしないし、宝石商は、アップグレードなど特別な場合を除いて一度売ったダイヤを買い取ったりしない。

さらに、ダイヤモンドに対する情緒的願望も市場に大きな影響を与えている。人々の神話的願望を満たす要素、たとえば、地球上のどんな物質よりも硬く、打ち砕かれないというイメージ、純白で、光あふれる清らかな愛のシンボルであるというイメージ、永遠に輝き続けるという巧みな宣伝によって培われた不滅のイメージは、今ではダイヤモンドと切り離すことが出来ない。ダイヤは永遠で至高の美であるという観念はあまりに甘美なので、私たちはあえてそのイメージを壊したくない。こうした情緒的な側面がある限り、たとえ世界中の成人男女がみんなダイヤの指輪を嵌めるようになったとしても、ダイヤに対する愛着が、そしてその精神的価値が薄まることはないだろう。


とはいえ、実際にダイヤモンドが過剰供給になるという事態が、戦争中や経済が大幅に落ち込んだ時期を除いて、過去ほとんど起こらなかったのも事実である。つまり、世界が平和で、経済も安定して、人々が宝石を買いたがるような時期には、ダイヤモンドは市場にあふれないのだ。買い手が、「こんなものちっとも珍しくない」と袖にするほど沢山のダイヤが、平時にどっと市場に流れたことはなく、いつも適当な不安感−(だんだん大粒のものがとれなくなっている、値段がますます上がっている、良質のものが少なくなっている)−を抱く程度に数量をコントロールされて、供給されてきたのだ。これは並大抵のことではなかった。

ダイヤの需給バランスは、増大する生産量に合わせて、市場の需要を積極的に喚起することで支えられてきた。もう一度、歴史を辿らせていただくと、19世紀中ごろまでダイヤはごく一部の人たちのための宝石だった。それから1930年代までの間に、シンジケートがダイヤを大衆のための宝石にした。大衆に販売することで、巨大な産出量(と在庫)を捌き続けた。ヨーロッパでは依然としてダイヤは貴族たちのもので、一般大衆はあまりダイヤに関心を示さなかったから、主な市場はアメリカにあった。1938年にはシンジケートが販売したダイヤの75%が、婚約指輪としてアメリカで売られたものであった。購買者の9割は独身男性だった。だが、そこに問題があった。彼ら若いアメリカ市民は合理的で、通常、小粒で品質の劣るダイヤモンドを、愛する女性のために贈る傾向があった。ダイヤは単なる「おしるし」に過ぎなかったのだ。また、悪いことにダイヤの値段は、大恐慌のあおりを受けて、20年前と比べると、事実上半分以下になっていた。この状況はなんとしても打破しなければならなかった。ダイヤ市場の復活には、強力な神話の、文化的圧力の創出が急務であった。

そして1939年から大々的な広告活動が始まった。詳細は書かないけれども、この結果、人々は、より大粒の(希少な)品質の良いダイヤを求めるようになり、需要は数倍に増えた。ダイヤの値段は上昇に転じた。1950年代にはシンジケートは世界中で産出するほぼすべてのダイヤモンドを支配し、コントロールしていた。ブルーホワイトの大粒のダイヤモンドが、映画俳優たちの指の上で煌めいていた。007号が活躍したのはこの頃で、黄金時代ならぬダイヤモンド時代のことだった。
1960年代になって、ソビエトの小粒ダイヤが市場にあふれそうになると、シンジケートは方針を転換し、小粒ダイヤの市場を開拓する巧妙な広告活動を行い、見事に需要を喚起してみせた。そして60年代後半から70年代にかけてソビエトのダイヤ供給が飛躍的に増大すると、ペースをあわせるように、東南アジア、とりわけ日本をターゲットにした売り込みを開始した。(日本では、戦後1959年までダイヤモンドを公式に輸入することが許されていなかったが、解禁後、いくつもの大手商社がジョイントベンチャーで大々的販売を始めた。)
数年の間に、劇的な効果が現われた。キャンペーンが始まった1968年には日本でダイヤの婚約指輪を贈られた花嫁は100人に5人の割合だった。72年には、27人になった。81年には3人のうち2人までがダイヤの指輪を贈られるようになった。ダイヤはどんな楽観的な予想をも上回るペースで浸透したのだった。日本はアメリカについで、二番目に大きな市場になった。こうしてシベリア産の大量の小粒ダイヤによって市場が崩壊することは避けられた。

だが、世界に類なきシンジケートといえども、打つ手打つ手が常にツボにはまり続けたわけではなかった。70年代の後半、小粒ダイヤ研磨産業の中心地となっていたイスラエルでは、ダイヤモンドのストックが急激に増加しつつあった。ダイヤ産業育成のために、政府の圧力を受けた銀行が、インフレ率をはるかに下回る低金利でダイヤ原石の購入資金を融資していたため、未研磨ダイヤを貯えることがそのままインフレ対策となっていたからである。シンジケートは、彼ら自身のストックに迫る勢いのイスラエル在庫を解消するため、銀行筋や卸売り業者たちにあの手この手で圧力を加え、「10億ドルの搾り出し」作戦によってストックの分散に成功した。しかし、その波紋は大きく、放出されたダイヤは市場価格を続落させ、イスラエルでは何百ものディーラーが倒産した。ダイヤは貸し付けをした銀行に引き取られたが、81年には、ほぼ1年分の販売高に匹敵するダイヤを、今度は銀行が投売りしなければならない事態を迎えた。膨大なストックの存在は最早隠すべくもなく、折りしもニューヨークでは、景気後退を受けて投資ダイヤの価格が3分の1に暴落した。投資家たちが買い貯めたダイヤが、(もし売れるものならば)抑止力のないまま大量に放出されようとしていた。こうした苦境にあって、ダイヤの信用は一時完全に地に落ちた。これこそシンジケートが、それを防ぐために手を打ちつづけてきた事態だった。その後、彼らは、供給を極端に絞り、幻想を維持するために巨大な資金を投入して宣伝活動を行い、またいったん市場に出た原石を買い戻し続けるなど、必死の踏ん張りをみせ、最後には事態の終焉をみることが出来た。その結果、90年代中ごろまでダイヤ価格は再び安定を取り戻した。

シンジケートの市場における影響力は50年代から60年代にかけて絶対であった。70年代から80年代にかけては、さまざまな難問を孕みながらも指導力を持っていた。シンジケートはライバルと協力し、あるいは容赦なく排除した。市場の7割ないし8割が彼らの影響下にあった。だか90年代に入ると少し事情が変わってきた。

きっかけは、オーストラリアの新しいダイヤ鉱山だった。70年代後半にキンバリー近郊で見つかったこの鉱山は、年間5000万カラットの生産が見込まれる、きわめて豊かな鉱床であった。従来とはまったくタイプを異にしたランプロアイト起源の水平鉱脈で、大規模な露天掘りが可能だったのである。シンジケートは当然ながら、ここから産出する原石を一手に請け負う覚悟で交渉を始めたが、オーストラリア議会の介入によって、契約は頓挫した。当時、南アのアパルトヘイト政策が激しく批判されており、南ア企業は目の敵であった。それでもなんとか、シンジケートは流通をコントロールする手段を見つけ出した。

アーガイル鉱山は86年に本格操業を始め、90年代には3500万〜4000万カラットのダイヤを産出するようになったが、膨大な工業用ダイヤは(この産地では工業用または準宝石用原石が多く、カラットあたりの平均単価は、ほぼすべてが宝石用といえるナミビア産に比べて30分の1以下である)、急激に増大した切削工具や研磨工具向けの需要に消費されている。全世界あわせて年間1500万カラットに膨れ上がった宝石用のダイヤは、すでに伝統となった給料3カ月分の指輪を買う結婚予定のカップルを始め、結婚10年目の夫婦たちに、熟年カップル向けのエターニティ・リングとして、さらにクリスマスプレゼントや誕生祝いやホワイトデーのお返し(これは日本だけの習慣)にと、新たな需要を生み出しながら買い支えられている。

ただ問題は、文句なしに世界一の産出量を誇るアーガイル鉱山が、シンジケートとは別の英国資本RTZ社の支配下に入ったことだった。世界一の鉱業資本である同社は、シンジケートへの供給契約を更新せず、96年6月から独自の販売網構築に向かった。ロシアもまた、この年から自力販売を始めており、ついに数十年にわたった独占体制は崩れた。97年には、世界第二のダイヤ産出国ザイールでクーデターが勃発、コンゴ共和国が成立してシンジケートをはずれた。こうした一連の動きにより、シンジケートのシェアは40%程度まで後退した。それでも、市場をコントロールするには十分なシェアであることには変わりない。

「ほとんどの場合独占は悪である。けれどもダイヤモンドにあっては、独占は万人に恩恵を与える」シンジケートの総帥は、かつてそう語った。現在、独占状態は崩れ、寡占状態が出現したが、今後、彼らが協調してゆくにせよ、競争するにせよ、ダイヤモンド幻想を積極的に維持してゆくことだけは確かだろう。忘れてならないのは、シンジケートの傘下をはずれて独自の流通ルートの構築を目指しているどの企業も(どの国家も)、ダイヤモンドの販売によってより大きな利益を得たいがためにそうしているのであって、ダイヤモンドの宝石としての市場価値を損なう気持ちは毛頭ないということだ。

数年前からオーストラリア産の「準宝石クラス」の原石がインドに大量に販売され、結果、低品質のダイヤが安く出回るようになって(特に日本に)、ダイヤモンドのイメージはかなり低下したといわれるが、ダイヤモンド信仰は依然根強いように思われる。98年以降、シンジケートは、取り扱い量の3分の2を占める、0.75カラット以下の原石の流通管理を放棄するという非常(制裁)措置をとった。これは、他勢力への牽制の意味合いからだが、一方で、シンジケートの卸価格は堅調に値上がりを続けており、婚約指輪を買いにいったなら、店員さんに、「だんだん値段が上がってます。」と言い訳されることだろう。少なくとも、「宝石」クラスのダイヤ価格は小康を保ちつつ、安定上昇気運にあるとみてよい。これが、需給バランスと市場創造の効用である。

というわけで、ダイヤの希少性というのは、周到に用意されたイメージにすぎない。その市場価格もやはり、いい悪いは別として、慎重な需給バランスの調整と販売網統制の結果なのだ。4Cによるグレード分けと価格付けもまた同様で、上述のようになにしろ母数が膨大であるし、値段をつけるのは、あくまで人間側の思惑なのだ。「あるクラスの石が100個採れる間にさらに上のクラスの石は10個しか取れない。だから価格は10倍である。」といえば、いかにももっともらしいが、同様に「値段は二乗倍で算定するから100倍である」といったって、「いや5割増しである」といったって、論拠に何ら変わるところはなく、現実に、4Cに基づく価格表は、高付加価値ダイヤを生み出す魔術的手段となっている。大粒ダイヤは濡れ手に粟の利益を生む貴重な商品である。


因みに、ダイヤの生産量をカテゴリー別に見ると、約15%が宝石用、40%が準宝石用、45%が工業用の原石となっている(年によってばらつく)。準宝石用とは、比較的新しい概念で、平たく言えば、質の悪い宝石の原石である。実際にはこのうちの2割程度が宝石に研磨されるが、研磨技術の進歩もあり、昔なら捨てていた石でも美しく加工出来るようになったのである。価格は平均して宝石用の10分の1くらい。残りは工業用となって、単結晶のまま、ダイヤモンド・ダイやボーリング用のコアドリルなどに用いられる。ダイヤモンド・ダイというのは、ダイヤ結晶の内部に特定角度のごく細い穴を貫通させ、その穴に金属ワイヤを強引に通して、太さ一定の極細線を加工するためのもので、合成ダイヤ(微小結晶の集合)では代用出来ない。工業用ダイヤの多くは質が悪く、破砕して研磨砂として有効に利用される(合成ダイヤと競合する)。工業用ダイヤの価格は、宝石用の100分の1以下だが、鉱山によっては、ここから上がる利益だけで、その巨大な組織と大規模な設備を十分に維持出来るところもある。逆にいえば、シンジケートにとって、宝石用のダイヤの利益の大半は、ほほ純然たる利潤といってよく、この剰余資金によって、彼らは、過剰ダイヤモンドを一手に買い支え、市場への流通量をコントロールしながら、宝石ダイヤの価格を守ってきたのである(一次大戦中には戦前の10年分以上のストックを抱えたこともあったが、産出が激増した現在では、1,2年分くらいが限度という)。


4Cという基準についてもう少し書いておきたい。
これは、ダイヤモンドを、色、大きさ、透明度、カットの仕上がり具合の4つの基準で、(ある程度)客観的に分類する方法であり、グレードを保証することによって、ダイヤモンドの価格に公正さと品質に基づく裏付けを与えようという試みだった。この便利で画一的な基準が考案されるまで、(考案されてからも)、ダイヤモンドの品質に対する評価は、専門家の間でさえ多くの場合、一致しなかった。同じ石に対する評価額は、鑑定者によって何倍もの開きが生じるのが普通だった。

実際のところ、宝石はまず第一にその美しさ、第二に珍しさに値がつけられるもので、本質的に値段のつけようのないものに値段をつけているのである。当然、美しさの感じ方には個人差があり、また現実にいくらでなら売れると判断するかが、評価の分かれ目だった。評価者が、美しいと感じ、これを欲しがるお金持ちがいると判断すれば、値段は上がった。いい石でも売るのは難しいと判断すれば、値段は下がった。けれども、そうした理屈が通用するのは、世界でも一握りの富裕層の間でだけである。欲しいとなれば、値段は関係ないという人たちの間だけの話だ。宝石を大衆のものとするならば、工業製品と同じように、画一的な品質管理と価格付けの整合性が必要だった。大衆消費の世界では、買い手は必ずしも品質を見分ける目をもたないまま、値段だけで宝石を判断することがある。値段の高いもの、イコール、いい物なのだ。だからといって、何でもかんでも高い値段をつければ、買い手は売り手と商品に不信感を抱き、離れてしまう。買い手が、市場は健全で、値段は妥当で、将来的には買った値段以上の資産価値が生まれると、納得するような説明が必要だった。その点で、4Cの発明は、大きな進歩であった。

しかし、これで全てが解決したわけではなかった。またランク付けによる弊害も現われた。

まずいえることは、4C基準というのは必ずしもその石の美しさを反映したものではないということだ。依然、ダイヤの美しさに対する評価は人によって違いがある。美しさは画一的な基準で計れるようなものではないからだ。4Cのグレードで同じクラスに含まれる石が何個もあって、皆同じ値段がついていたとしても、訓練された鑑定士が、どれか一つをずっと優れたものとして取り上げるということは、現に今でも起こっている。宝石商たちは、(4Cを反映した)ダイヤの値段と、美しさがしばしば一致しないことを知っている。彼らは普通、沢山のダイヤを見慣れているが、個人的な意見を聞いてみれば、その中ではっきり自分の好きな石とそうでない石とがあることを教えてくれるだろう。

彼らはその石を選んだ理由として、「スピリットがある」、あるいは「ライフを持っている」といったことを言うかもしれない。けれども、それは言葉では正確に言い表せない「何か」なのだ。それは石を見たときに直感的に感じられるもので、ほとんどあやまちようがない。4Cでは表現されないけれども、その石を他の石より特別だと感じさせるオーラのようなものが存在しているのだ。石に吹き込まれた生命、あるいは石と人間との共鳴作用といっていいかもしれない。ただし、その評価は見る人によって違ってくる。共鳴作用という言葉を使ったが、ある人にとってそれは無上の輝きであっても、別の人には、ケバケバしいだけの石かもしれない。どの石と響きあうかは、人によって違う。
だからまず、4Cのグレード(=値段)と、石の美しさを同一視してはならない。「石の美しさ」と「4Cグレード(または鑑定書)」は、ヴィトゲンシュタインの概念を借りていえば、重なりあう部分もあるけれど、半ばは一致していない別の集合サークル同士なのだ。

第二に、4C基準は、基準としては完璧だとしても、また決められた測定器具があるにしても、判断を下すのは人間であり、その判定はファジイなもので、絶対的なものではない。
実のところ、ある権威が4Cに基づいたランク付けをした石に、別の権威が別のランク付けをしたって一向に差し支えないのである。それは誠実さと見識の問題に過ぎない。「私はそう判断した」といえば通るのだ。
オランダのある老舗ダイヤモンド商の観光客向け店舗を見学したことがある。その店では、すべての研磨ダイヤに、その店でだけ通用するランクづけと価格づけを行っていると説明していた。そのうちで、特に品質のいい、高価なものだけ、国際的に通用する鑑定書が添えられているとのことだった。その有名店は、自分の店の価格はあくまで自分の店の価格であって、また鑑定であって、ほかの業者が同じ石にどんな値つけ、どんなグレード付けをしようと関係ないと明言した上でダイヤを売っていた。考えてみれば当然のことだ。どんな宝石店にも相応しい利益は必要だし、鑑定士は自分の目を信じて評価を下すのだから。

第三に弊害について。といっても私が勝手にそう呼んでいるだけなのだが。

4Cによってグレード付けする作業自体は有益なものだ。それによって、説明可能なランク分けが出来、相対的な希少性や、美しさの目安、値段の目安をつけることができるからだ。
ただ、この基準は、実用的に見ると区分けが細分化されすぎている。例えば、カラー(色)はアルファベット順にD(純白)から流して、E,F,G,Hとだんだん黄色みを帯びていくが、DとEの区別は、通常の使用条件下では全然明確でない。例えば光線によっても色が違って見える。また、クラリティはキズの有無を表す基準で、キズが少ないほどダイヤが燦然と輝くと考えられる。しかし、FLという最上区分からI3(肉眼で発見可能な大きなキズが沢山)までの11の基準のうち、上から8つまではルーペで見ないと判別不可能なキズのために捧げられている。また6つまでは、訓練された専門家がルーペで見ても発見がやや困難なキズのグレードに捧げられている(4Cが発明されるまで、この範囲の石は同じグレードで評価されていたという)。専門家は、輝きが違うから、どこかに欠陥があるはずだと判断してキズを探すのだろうか。そうではない。VVS1とVS2の石があったとして、その違いが、私たちの目にとって有意なほど輝きに影響することはない。

むしろ、4Cという発明によって、ダイヤモンドは「美しさ」という基準から「希少さ」という基準で計られるものに変質したともいえよう。4Cは、膨大な産出量から、実用性を離れた希少ダイヤを生み出すための魔法のふるいである。そして、ダイヤの価格が、きめ細かなランク付けによって保証され、上位へいくほど等比級数的に数字が跳ね上がっていく価格表で表現されるようになった時、「投資」ダイヤという化け物が姿をあらわした。肉眼では(宝飾品に加工されたものでは特に)判別できない「品質」の差に捧げられた順位表は、投資シーンでこそ役に立つものだった。この基準が「投資」ダイヤ、その希少さのゆえに数年後にはインフレ率をはるかに超えて値上がりするはずの相場商品を保証するシステムとなった。ダイヤモンドと一対になった鑑定書。人々は、ただ鑑定書と値上がりとを信じてダイヤを買った。完全無欠の美を誇るはずのダイヤは、その美しさを愛でられることもなく、銀行の金庫の中でいつか有利に転売される日を夢見ることになったのである。これが悲劇でなくてなんであろう。

......やや非難がましい調子になってしまったが、要するに4Cは利点もあるが、万能ではない、またその運用が福となるも禍となるも、それを用いる私たち次第ということだ。

ダイヤモンドは石である。それも宝石である。その素晴らしさ、美しさは、やはり自分の目で確かめるべきではないだろうか。その石に対する評価が、仮に4Cという基準と違っても、仮に値段が安い類のもので、あまり資産価値がないとしても、もし、本当に石が気に入って身に付けたいのであれば、一向に構わないのではないか。(ついでに言えば、何故給料3カ月分なのか?)

もし今、立派な鑑定書付きで結納品として到来したダイヤの指輪があって、その本当の価値を知りたいと思うのなら、鑑定書は、参考にはなるけれど、あくまで参考に過ぎないと覚悟したい。私たちは自分の目で石を見つめ、語りかけ、その声を聞かなければならない。Mや007号のように、ダイヤの美しさは自分で感じなければならない。そして、実際にそれを感じるだろう。

ダイヤモンドの値打ちは、希少価値でも、4Cに代表される機械で計測可能な品質でもない。ただただ、そのまばゆい輝き、生命が炎となって光を放っているかのごとき純粋な輝き、私たち人間が呼応し、共鳴しあうような神秘的な輝きにこそある。その美しさは誰にでも、即座に感じ取ることができる。ただ、素晴らしい石に出会うことさえ出来たなら。だからこそ、水晶をダイヤと勘違いした007号が、ほんの数分後には、自分はダイヤの本質とダイヤに対する人類の情熱を理解したとまで確信できたのだ。この点でもフレミングはなかなか石に対する理解が深い。

一休禅師の道歌に、こんな歌がある。

本来の 面目坊が 立ち姿
ひと目見しより 恋とこそなれ

面目坊は、未生前(みしょうぜん)のあなたであるが、この句をダイヤモンドにしたならどうだろう。私たちがこの宝石に抱く感慨を、うまく捉えることが出来るのではないだろうか。
ひと目見しより。  
恋とこそなれ。

(2000.2.7 修正1 SPS)
(2001.3.15 整理 SPS)


追記:

  1. 日本では、4Cの基準を故意に大甘に評価した鑑定書や、欧米では宝飾品として価値のない工業用グレード(または準宝石クラス)のダイヤが、宝石として販売されているという話を聞くのですが、そういったことは、あえて省かせていただきました。
  2. ついでながら、インターネット上で、私からみてダイヤモンドについての情報が一番豊富だと思われるサイトを紹介しておきます。 「購入者の側に立ったダイヤモンド入門

    内容から拝察すると、ベルギーのダイヤモンド業者が、日本人向けに、ダイヤについてのしっかりした知識を身に付けてほしいと考えて作ったもののようです(もちろん日本語)。広範なトピックを取り上げ、専門業者らしく、数字データを引きながら、詳しく、わかり易く説明してくれています。印刷すると数十ページに及ぶ豊富な内容です。業界の事情なども通り一遍でなく、きちんと書かれています。少なくとも「日本の特殊事情」というところだけでも目を通されれば、決してご損はないと思います。

  3. 本文は、2000年1月に作成しました。それから一年経ちますが、ダイヤモンド市場はシンジケートを始めとする巨大企業の複雑な将来戦略が交錯し、まか不思議な様相を呈しています。そのあたりの最新事情については、「空想の宝石・鉱物博物館」さんの「宝石読本」に興味深い特集があります。どうぞご覧になってください。

  4. 最初のバージョンは、やや内容が分裂気味だったため、シベリアダイヤ疑惑の話を整理し、「ダイヤモンドの話2」へ移しました(2001年3月)。少しは、読みやすくなったでしょうか…?


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