ひま話    (2001.1.1)


明けましておめでとうございます。

「鉱物たちの庭」も、めでたく2度目のお正月を迎えることが出来ました。今年もまた、ゆらりふわふわ、鉱物たちの世界をのんびりと逍遥したいと思います。どうぞおつきあい下さい。

さて、昨年は新年のご挨拶代わりに龍の話をしましたから、今年もその伝で、蛇の話をしようかと思います。

蛇という生き物は、水辺に棲むやつも、陸に棲むやつも、総じて水や湿ったものが大好きで、泳ぎが得意です。砂漠に棲む種類でも、プールに放り込んでやると、嬉々としてすいすい泳いでみせるそうです。そんなわけで、蛇は、昔から水怪の最たるものと信じられ、縁起のいい(福をもたらす)のも、悪い(人をのんだり、毒を盛ったり、コブラツイストを掛けたり)のも含めて、水界からの使者でありました。水神(みながみ)であり、水主(みずち)であり、それゆえ、蛇の年は、み(巳)年と呼ばれます。お正月ですから、縁起がいい方の話をしましょう。

蛇はもともと生命力の強い生き物で、さらに脱皮をする度に若返り、いつまでも生き続けると信じられていました。昔の人々は、そんな蛇を生命と豊穣の象徴として捉えたようです。ご本尊はもちろん、抜け殻さえも大切に扱われ、抜け殻を入れた風呂に入ると肌に光沢がつき、黒焼きを油で練って禿頭に塗れば黒髪生じ、財布に入れれば財運来ると信じられていました。筆者が幼少の頃には、財布に抜け殻を忍ばせたお婆さん方が、まだ沢山いたものです。さらには蛇の絵札を門戸に貼っておくだけでも、邪な霊を退け、災難を祓う力があったそうです。この札は、出雲大社のものが有名で、日本の蛇神信仰は、この地から始まっているように思えます。

山陰の出雲地方では、陰暦10月頃になると、それまで青く美しかった海の色が、急に鉛色を帯び始め、北西の季節風が吹き出します。すると、黒潮に乗って沖縄や奄美の方からやってきたウミヘビが潮から外れ、冷たい沿岸流のため、ほとんど冬眠状態になりながら海岸に打ち上げられます。それをつかまえて、三方に入れ、神前に供えるのが神主の大切な務めとされていました。そうして初めて、その年の出雲大社の神在祭(かみありまつり)を始めることが出来たからです(今は、剥製で間に合わせています)。
このウミヘビは、背が黒く、腹は黄色、尻尾は黒・黄だんだらの美しい毒蛇(セグロウミヘビ)で、これぞ、「あやしき光、海を照らして、寄り来る」来訪神でありました。夜、火の玉のように光りながら沖から近づいてくるのだそうです。

日本には、もともと土着(定住)するタイプの神さまはあまりいなくて、たいてい年に一度とか、何かの儀式をするときや、何かを教えに来るときだけ、どこからともなく訪れるのが普通でした。神事の多くは、まず神様を、おおおおおおお、と喚んで寄り代に憑いてもらい、儀式のあとは、また天に還って頂くという形式をとります。その都合上、やってくるまで正体が知れないという側面もあり、かく時を定めて漂着する別世界の存在が、福をもたらしてくれるなら神、禍を呼ぶなら鬼(モノ)と呼びました。まあ、どっちにしても、儀式の時だけ来てもらって、済んだら、丁寧に歓待して機嫌よくお帰りいただく、それ以外の季節には、神も鬼もいない状態で、自分たちだけで、自分たちのしたいように暮らす、というのが、日本人のやり方だったのですな。
出雲大社の御神体が毎年入れ替わったのは、いかにも日本的な風習で、かのウミヘビは、毎年必ず、一陽来復に先駆けて海の彼方から永劫回帰を告げに訪れる、古い約束のあかしと受け取られました。
ちなみに、我が家ではお正月の間だけ、「天照皇大神」と墨書した紙を用意して祀ります。正月が過ぎると、はずしてしまいます。この紙は、毎年新しく書き更めて、古いものは使いません。この期間だけ、アマテラスさまをお呼びして、名を記した紙に乗り移ってもらい、一年間の福を授けていただくのだと解釈してよいでしょう(これが伝統的な風習かどうかは知りませんがね)。

昔のテレビヒーローは、そんな日本の神々の伝統をしっかり踏まえていました。月光仮面もウルトラマンも、危急の際には飛んできて敵をやっつけてくれますが、仕事が終わると、どこへともなく去ってゆき、普段は正体を隠して日常生活に介入しません。ウルトラマンはカップラーメンを食べたりしないでしょう?伝統が崩れてきたのは、おそらく仮面ライダーあたりからで、本郷猛は世界の平和を守るため日夜ショッカーと戦い続け、ガンダムのパイロットに至っては、明らかに異質なニュータイプであります。ちなみに、名探偵明智小五郎は、泰西探偵小説の衣鉢を継ぐ常駐する神さまですが、コナンくんは、日本式の不在神といえます。

…蛇の話に戻りますか。
蛇は、足がないのに、地を這って素早く進むことが出来ます。ジオン公国が最後に開発したモビルスーツは、まだ完成しないうちに、最終防衛線での戦闘に投入されました。赤い彗星の異名をとるパイロットが、「足がついてないな!」と、メカニックマンに質したところ、「あんなの飾りです。お偉方にはそれがわからんのですよ。蛇を御覧なさい」と言い返されたとか、されなかったとか…。昔の人は、足もないのに移動するなんて不自然だと考えていたのでしょう。「はっきり言う。気に入らんな。」

いや、ウミヘビの話でしたね。
まあ、こういうふうに南方から蛇がやってくると、年に一度出雲に集まった全国の神様は総会を始めることが出来ました。念のために言うと、この神々も、普段は各地方の神社に常駐しているわけでなく、気ままに野山や森をさすらい、鉱物やキノコなど採集して喜んでおられます。
さて、来訪した蛇は、大昔、日本人の祖先がはるばる海を渡ってやってきた南の島の果て、常世の国ニライカナイからの使者でした。年中稲が実っている常世(とこよ)の生命力を、わが国にもたらしに来る神さまのひとりだったのです。それで、集まった皆の衆に祝福を与え、手土産にさまざまな珍しい鉱物標本を下さり、シャンシャンシャンと手拍子を打って総会が無事終わり、神々は蛇の生命力を大切に地元に持ち帰って、それぞれの国に振りまき、かくて新しい年、2001年のお正月がやって来たのでありました。めでたし。めでたし。
ちゃんちゃん。

あと、ついでに蛇と石の話にも軽く触れておきましょう。このホームページは、本来、鉱物世界に遊ぶサイトですからね。

蛇は龍と同じで、財宝とも関わりがあります。なぜなら、財宝を隠した洞窟や、暗くて湿った地下蔵は、蛇のたいへん好むところで、そうした場所でとぐろを巻いている姿を見た昔の人は、彼らを宝物の番人と判断したようです。当然、坑内出水のあった鉱山なんかも大好きなので、古い廃坑の奥に、水晶や菱マンガン鉱や蛍石の美しい結晶が、人知れず眠っているという噂を聞いて、おっとり刀で駆けつけたコレクターたちは、暗闇を走る懐中電灯の一条の光の先に、赤く輝く蛇の目と、青光りする美しい鱗のうねりを見ることになりましょう。彼らは、石たちの安らかな眠りを守り、侵入者達を阻む、鉱物界の守護者なのです。な〜んてナ。

また蛇は、身中に石を持っているという説話も多々あります。その石は月長石のように白く毒を吸い出す力があるとか、オパールのように虹色に輝く石で夜道をよく照らすとか、ルビーのような赤い石で恋を成就するとか、まあ、いろいろです。蛇自身が、財宝の化身だというお話もあり、林の中に黒々とうち重なる蛇どもあって、きゃっと逃げ出したが、戻ってよくみると、黄金の塊であったとか、ヘッス鉱であったとか、ただの蛇紋石だったとか…。

そんなわけで、生命力とも金銀宝石とも縁のある2001年巳年です。今年も楽しい鉱物ライフを満喫いたしましょう。
では。

cf.タゴール「幸福の歌」にこんな一節があります。「幸福といって欲しがっているものは 幸福ではない 何が欲しいのか 自分自身にもわからない 暗闇で光っているもの それを恐れなさい −あれは 蛇の頭で輝いている宝石です」


このページ終わり  [ホームへ