★秋のはじめには「指輪物語」が、季節が深まると「ムーミン谷の11月」が読みたくなる...というのが、実際に読むかどうかは別として私の心の傾向なのだけど、のはずなのだけれど、今年はなんだかそんな気分でなく、暇だというのに妙にせわしく日が過ぎて、気がつくと師走の声を聞いてしまった。
この間に読んだ本といえば、まずフールニエの「ル・グラン・モーヌ」(邦訳は「さすらいの青春」「でかモーヌ」「モーヌの大将」など)。何年もご無沙汰だったのをふと手にとり、読み返して筋をほとんど忘れているのに驚いた。そう思って省みると、3年以上読み返していない本の粗筋は、たいてい思い出せないことがわかった。そのくせ、「あの本は昔読んだ。よかったなあ」ということは覚えている。つまり自分が何を感じたかだけが漠然と残り、本の中で繰り広げられる出来事はあらかた忘却の海に沈んでいるのだ。これって、私の実生活と同じだなと苦笑い。それはともかく、この本は詩人さんやインテリげんちゃんにオススメです。プラトニックなロマンスが好きな方はハズせません。
★次に手にとったのが、愛読者を自負するP.A.マキリップの「妖女サイベルの呼び声」。まさか忘れてるわけないと思ったが、忘れていた。インクレディブル。読み返してやっぱりいいなと思った。佐藤高子さんの邦訳はことのほか素晴らしい。今でも売られているのかしらんと、Amazon.com
で検索してみたら、思わぬ拾いものをした。「陰陽師」で絶賛された岡野玲子さんが、「コーリング」という題名でコミック化していたのを発見したのだ。取り寄せた。岡野さんは十代の終わりに原作に出会い、没入し、この世界を視覚化したいあまり、とりあえず漫画家になって画力を磨いた...と、あとがきに書いておられた。うん、それくらいいい本だ。
この後、イムリスの平原に佇む忘れられた廃墟やアイシグ山の底深き坑道、吹雪が舞うオスターランドの荒野なんかを久しぶりに旅したくなり、同じ作者のイルスの竪琴(3部作)に手を伸ばした。指輪やゲド戦記ほど有名でないが、もっと評価されていい本じゃ。淡々と続く抽象的で比喩的な描写は彼女の真骨頂で、わけがわからないまま活字を辿り続けるうちに思考が剥ぎ取られ、領国を吹きわたる風に脳みその洗われる心地がいたします。大好き。読み返す回数が多いのでさすがに内容を覚えていた。
★もうせんから大林宣彦の尾道3部作(映画)を、久々に堪能したいな、今見るとどんな感じかなと気にかけていたところ、TSUTAYAの100円デーがあったのを潮に、まず1作目の「転校生」を借りて見た。続いて原作を読み返した。山中恒の「おれがあいつであいつがおれで」。この作品はTVでも繰り返しキャストを変えて映像化されたが、山中さんの文章には独特の勢いがあり、やっぱり本で読むのが一番だ。映画「転校生」は大林流の抒情がかなりかぶっているので、別作品として楽しみたい。ついでながら尾道3作目の「さびしんぼう」も、山中さんの「なんだかへんて子」が原作。結末のキレが素晴らしい。でも、作品としては映画のが好きです。こういうテーマは抒情たっぷりで語って善し。夕陽の瀬戸を船が渡るし、富田靖子は横顔見せてピアノを弾く。
話を本に戻せば、もはや驚く気もしないが、やっぱり筋を忘れていた。機会逃すまじと、「ぼくがぼくであること」、「とべたら本こ」、山中作品を続けて読んだ。「ぼくが...」は半分覚えていたが、「とべたら...」はすっぱり記憶からとんでいた。マジっスか?
かくなる上は、この調子で昔の愛読書を片っ端から読み返してみようと思っている。きっと新鮮な気持ちで楽しめるに違いない。今読み返したいのは、ル・グインの「闇の左手」。エストラーベンと共に、つらい冬の旅をしたい。BGMにシューベルトでも流すかい?(とかいいながら、灰谷健次郎の「太陽の子」と恩田陸の「六番目の小夜子」を読んでいる)
★ところで記憶力といえば、このサイトも作り始めて5年になり(公開してから4年半)、当然、昔書いたことには忘れているものがある。
先ごろ、掲示板に「かまさい」さんが来られ、当サイトを読んでハンドルネームを変えられたと仰るのだが、「かまさい」なんて一体どの部分に書いたのか、しばし途方に暮れ申した(鉱物記「別子鉱山」の用語集のページに在り)。
つい先日、「鳥頭」という言葉を覚えた。鳥は3歩あるくと以前のことは忘れてしまうとか。私はそこまででもないと思うが、それに近いかもしれない。でも、自分で思っている分にはいいが、人から「とりあたま〜」と言われるとトサカにくるかも...。
時たま、サイトの内容について問い合わせを頂くことがあります。典拠は何でしょう、参考資料を教えてください等。大体はお答えしているが、返事に詰まることもある。本というのはぜいたく品で高価なものだから(鉱物標本もそうだけど)、私の場合、図書館のお世話になることが多い。手持ちにないものは参照出来ないし、著者名はもとより(?)、題名すらうろ覚えというケースもある。蔵書にあれば一応心当たりを片端から引っ張り出して、どこだろう?とページを繰って探せば、たいていカタがつく。それでも分からない時は、ゴメンチャイだ。やがて別の機会にひょっこり該当箇所にあたって、膝を打つ。一方、ひどい時は手持ち・借り物に関わらず、「何を参照して書いたのだろう?」と不審を抱きつつ、「へえ〜そうなんだ〜」などと他人事のように感心して読みかえすこともある。出典は二度と見つかるまい。面倒でも参考文献は都度記載しておくべきだ...と気づいたので、最近は重要と思うものはなるべく紹介するか、いっそ原典を引用して済ませるようになった。
★忘れてしまっても、本を開くとその内容が甦ってくる。文字というのはまったくもって偉大な発明だ。文字は知識にアクセスするキーであり、膨大な過去の出来事や、いろんな人の思考を追体験出来る魔法の道具である。今でも世界の半分以上の人は文字が読めないし、多分日本人の9割方は英語圏に存在する膨大な資料にアクセス不能であるが、逆に文字が読め、多国語を操れる人は、その分だけ有利な立場にあるといえる。もっともアクセスしなくたって命に別条はない。
しかしもっと昔、印刷術が発達する以前には、一冊の本の貴重さはしばしば命をかけた旅に匹敵するほどであった。さらに昔、文字の使用が王や司祭者らの特権であった時代には、記録はまさに権力の本質をなすものであった。
中国では殷・周の初期、文字は青銅器に鋳込まれ、子々孫々守り伝えるべく授受されたが、それ自体は王朝の独占物だった。春秋時代に先駆けて漢字が各国に流出すると、周王朝の求心力は著しく弱まった。各国はてんでに自らの歴史を刻み始めた。社会規範は手元の文書の中にあり、もはや宗家の神聖なる祭壇に求める必要がなかったからである。かたや文字には霊力があるとされ、後代には栄進も財貨も美女もみな書物の中にあると言われた。漢字の威力は今も信仰されている。
★太古、まだ文字がなかった頃、人々が小さな部族集団を作って暮らしていた頃は、部族の中にとりわけ記憶力に優れた人物があり、政治の中枢を握っていたと思われる。彼らは訓練を積み、古い伝承やしきたり、さまざまな状況における祖先の言動、祭祀の様式を保持し、日々の生活の中で民の規範となった。彼らはしばしば集団を束ねる権力者であり、あるいは権力者を補佐する賢人であった。祭祀を仕切り、解決の難しい争いが起これば先例主義の判決を下し、覚えた名文句で演説をし、時には知恵ある祖先の霊を心中に召喚して施政方針を探った。いわゆる祭政一致の時代である。やがて彼らは文字を発明した、か、外の世界から伝授された。より正確な記録の保管と閲覧が可能になった。しかし、それは巫師の権力に突き刺さった致命的な薔薇の棘でもあった。文字は秘密にされたが、いつまでも隠してはおけなかった。知識は流出し独占を維持出来なくなった。また文字を使うこと自体が彼らの能力を損なった。
現代でも文字を使わない人、たとえばトルコの掛売り商人は、帳面もつけていないのに先月誰に何を売って代金はいくらになるかを決して間違えない。いわゆる土地の古老は驚くほど豊かな伝承や歌謡を諳んじている。ところがこういう人たちが文字を覚えるとどうなるかといえば、売掛明細や昔話を思い出せなくなるのである。その必要がなくなったので、記憶力が減退してしまうのだ。それはアフリカの草原で暮らしていた視力5.0の人が都市で生活すると近視になることに、飽食の徒がチャレンジ精神を失ってしまうことに、日本人の下顎がだんだん小さくなっていることに、ギプスで固められた腕や足の筋肉が棒のようにやせ細ってしまうことに似ている。
これを古代の祭祀者に当てはめれば、彼らの人並みはずれた知識の保持力、応用力は文字によって減殺され、あるいは祖霊と交流するトランス能力をも失ってしまったと考えられよう。すべてのことは彼らの記憶、あるいはアカシックレコードや集合無意識や高次元霊団の指導に仰ぐまでもなく、お手元の冊子を参照すればよくなったのだ。そうなれば巫術は鬼面人を驚かすパフォーマンスにすぎない。人々の信頼も離れていった。中国の祭祀社会の衰退は、おそらくそのあたり、−文字の発明と拡散−に原因があった、と私は思っている。(関連ページ ひま話「太陽と鳥2 春秋戦国〜漢代」)
★ついでに文字の伝播にかかわる話をもうひとつ。
文字のない国があった。その国の子供たちはとても利発で、目がよくて、何時間狩をしても少しも疲れなかった。そこへよその国から大人たちが来て、文字を教え始めた。すると、子供たちの顔が変わり、疲れを覚えるようになった。それまでほとんど眠らずに活動できたのに、文字を覚えたら眠らずにいられなくなった。
文字を使うのと使わないのとどちらがいいか、を言うことは意味があるまい。私たち(日本人)はすでに選択を終えている。そんなわけで、その一人である私は、いつでも知識にアクセスする権利を手にした一方、なんでもかんでも片っ端から忘れてゆき、たれぱんだのように昼間からうつらうつらするのであった。ちゃんちゃん。
補記ディネーセンは「アフリカの日々」(2部3章)の中で、大衆の間に初めて文字が広まったとき(たとえば19世紀のヨーロッパや20世紀初頭のケニア)、人々がいかに熱狂的に文書の権威を認めるものか、活き活きと描写している。
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