鉱物と関係ない話ですが…
カリフォルニア州ロサンゼルスから北へ150キロばかり上った沿岸にベンチュラという町があり、そこから20キロほど内陸へ入ってゆくとオーハイという谷間の町があります(補記1)。仕事の合間の休日に一人この谷を訪れたのは、15年ほど前のことになりましょうか。
9月のアナハイムは午前中決まってうすいスモッグが空にかかり、大気にやや蒸しっとした湿り気を感じますが、昼過ぎにはすっかり吹き払われて、西海岸らしい強い日差しが、雲ひとつない青空いっぱいに降り注ぎます。
その日は朝食を済ますとすぐ、前の晩にレンタカー屋さんがホテルまで持ってきてくれたカローラに乗り、心配する同僚に手を振って出発しました。なにしろアメリカで車を走らせるのは初めてなので、当地生活の長かった彼にいろいろレクチャーしてもらったものの、ありようは行きあたりバッタリ。交差点やら合流地点で随分怖い思いをし、フリーウェイを降りるタイミングを失したり、道を間違えたり、いろいろあったですが、それはご愛嬌で省きませう。
ディズニーランドのあたりからフリーウェイに乗って数ある合流・分岐をつつがなくこなし、制限速度100キロを守りつつロサンゼルスを越え、一路北へ向ったと思いねえ。
澄んだ青い空の下、車内に差し込むぽかぽか陽気、ひたすら真っ直ぐに伸びる道路の巡航。眠くならない方が可笑しいので、一時間ほど走った頃たまらなくなり、フリーウェイを降りてあまり車の通らないところに止めて眠りました。
半刻後起きて再び路途に。ほどなくベンチュラに至って沿岸を離れ、下道を北に進んでゆきました。行く手はなだらかな平野に見えますが、そこはすでに英語でいうValley(谷間)。谷間というとぐっと両側に山腹が迫り、川を挟んで狭い平地が帯のように伸びている、例えば徳島県吉野川沿いの風景が私のイメージなのですが、車で走っている限り両側に山は見えず、熱い空気に包まれ乾燥して白茶けた野原や潅木、ときに果樹園などが視界をよぎるばかりです。オーハイに入りました。
胸に一片の感動が湧きます。もう何年も前から訪れてみたいと思い、でもそんな機会はそうそうあるわけないと気持ちを日々に紛らしていたのですから。
オーハイは敬愛するJ.クリシュナジにゆかりの地で、まだ彼が若い20代の後半、弟と共に自然の美しいこの地にあって朝晩瞑想を試みました。その後も晩年まで毎年のように滞在し、長い生涯を終えたのも当地の家(パインコテージ)に戻ってほどなくでありました。近所のオークグローブには教育者としての情熱をかけて設立された全寮制の学校があり、それは彼の死後も理念を守って運営されています。
言うなれば、私はKを偲んでオーハイを歩いてみたかったのです。
といって、ただ行ってみたいだけでふらり風来坊に立ち寄った私。いざ来てみると後のあてがありません。
でも彼が散歩した谷間の眺望を追ったり、オレンジ畑の匂いを嗅いでみたいと思っていたので、とにかくK財団を訪ねてみることにしました。
30分ほど町をぐるぐる回った後、時間もないので自力で探すのは断念。目についたスーパーマーケットに入り、思えばあつかましくも、レジの兄ちゃんに、K財団ってどの辺でしょうと聞きました。私の中では町の人なら誰でも知っているだろうという思い込みがあったのです。結局兄ちゃんは何人もの仲間に聞いてくれ、巻き込まれたおばさんは電話帳を繰って財団に電話をかけ、道順を聞いて地図を下さり、おかげで私は無事目的地に車を乗り入れることがかなったのでした。
そこはKが85歳のときに撮影された写真集でなじみの場所だったのですが、やはり実際に見ると敷地の広がりや建物の配置に想像では補えない隔たりがあり、また写真では伝わらない心地よい雰囲気がありました。日差しに白く輝くコテージを眺めながら、植え込みのある円形の石垣(ロータリー)のあたりをうろうろしていると、不審者と見てか、どこからともなく壮年の男性が現われました。
来意を告げ、話しているうちに、オークグローブにある学校まで足を伸ばす運びに。学生らしい若者が案内をかってくれ、彼の車の後をついて走り、ほぼ15分くらいで到着しました。アメリカ人って親切です。
地名からオーク(樫)の木が茂る沼地を連想したのは我が十八番のベタなマチガイと知りました。沼地だったのは昔の話で、乾燥した固いグラウンドが広がっていました。もっとも雨が降るとやはり泥地になるとか。
なだらかな斜面を登って校舎に入り、ここで教師をしている方に1時間ほど中を案内していただきました(ちょうど夏休みだったので)。しんは強そうなのに話しぶりは穏やかで、それはKの近くで過ごした方たちに共通する静かさでした。
それから再び財団に戻り、邸内の庭や背後のスロープに続く小径を散策。折れた小枝を踏みしめながら、軽く丘を巻いて歩きました。残念ながらオレンジの実は見つからず。
道々出逢った方が、ペパ・トゥリーを見たか? と訊きます。かぶりを振ると、教えてくれたのはさっきうろうろしていた丸い石垣に植わった樹。Kが若い時、その下に座って神秘的な体験に遭ったと伝えられる樹です。気づかずに、素通りしていたなんて、ちょっとなさけない…。
最後にライブラリ(図書館)を訪ねました。白いペンキを塗った木の外壁がお洒落な印象を与えるこじんまりした建物でした。中に入ると空気が変わったのを感じました。しっとりした密度の濃いなにか充実したもの。温度とは別の温みが肌を和らげます。読書をしている方が数人いて、目で挨拶を交わすと、とても親密な気持ちになりました。毎日こういうところに通って本を読んで暮らしたいものです。私はのんびり本が読めたら、それで結構幸せなのです。
ゆり椅子にくつろいだ老婦人が顔を上げて「どこから来たの?」と問い掛けます。「じゃぱぁん」と応えると、目を丸くして微笑みました。帰りがけにも目が合い、その時なにか嬉しいことを言って下さったのですが、なんだったか思い出せません。ただ、嬉しかったことだけ心に残っています。エリアーデのスペクタクルでも演じてもらったら、思い出せるかもしれません。魔法の言葉だったのでしょう。
ライブラリを出た時は夕暮れが近づいており、予定よりずっと長い時間を過ごしていました。帰り道は休みなしで走り、灯ともし頃アナハイムに。同僚がほっとした顔で出迎えてくれ、大丈夫だったかと訊きました。うい。
先週、久しぶりにKの写真集を開くことがあって、ここに書いたことやその時の気分を思い出しました。一体何年この感触を忘れていたでしょう。つねに覚えていたいと願ったはずなのに、そうでなかったことをひりひり感じました。
日々に漂って、時間を無駄にするのはたやすい。でも私はもっと年をとった時に、例えばライブラリで親しく声をかけてくれたあの老婦人のような優雅な笑みをこぼしたい。それならやはり、真宮寺さくらさんみたく、「日々これ精進です」の意気で生きねばならんじゃろ。
補記1:オーハイ谷
Ojai
Valley: 現地ネイティブの言葉でオーハイは巣の意。
Kは口述している。「…そして太平洋をあとにして田舎に向かう。平和で静かな、田舎の持つあの不思議な威厳に満ちた、いくつもの小さな丘をうねうねと縫って谷間に入っていく。もう六十年も来ているのだが、来るたびに驚きがある。静かで、人間の作為のあとがほとんどない。谷に入るとまるで大きな容れもの、巣に入ったように思える。」 ("Krishunamurti
to himself" 1983.2.28 Kはこの時 87歳。)
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