ひま話  (2005.5.1)


大阪では年に一度、ゴールデンウィークに合わせて鉱物ショーが開かれる。今年でいったい何度目になるだろうか。知らない。我々はただその季節になると本能と衝動とにつき動かされ、天満橋のOMMビルへ向わずにいられない。そして会場に集められた石たちと、彼らを求める同志の群れとに自らを埋没させ、忘我と熱狂の一日を過ごさずにいられないのである。
それは太古の昔から繰り返し演じられてきた宗教儀式やお祭りに似ている。始まりの理念などとうに忘れ去られてしまった。今や標本即売会としてのありよう自体が既成事実であり真理なのだ。それはのべ数万人の生贄が過去から現在まで繰り返し発散し続けてきた喜怒哀楽と商取引の虚々実々とを蓄えることによって、目に見えなくとも触れることの出来るほど巨大なエネルギー体に成長し、そのエネルギーの発動によって年々ますます強力な呪言歌を奏でるにいたったモンスターなのである。地下鉄谷町線の駅構内からビルに向う人々、ショーの始まる前から行列をなして立ち並ぶ人々をみよ。我々は操り人形のごとく彼の召喚に応じ、石を主題にした通奏低音の呪力に吸い寄せられてやって来た。そして、一歩会場に足を踏み入れるや、すでに失いつつあるペルソナを完全に剥ぎ取られ、抗い難い共感の渦に巻き込まれてしまうのである。その場にあって、個人のちっぽけな自制心や良識は塵に等しい。我々はただひたすら「もっと、もっと」と石への欲望を募らせる巡礼に、石を崇める子羊に、さまよえるオランダ人に、指輪を求めるゴラム(ゴクリ)に、鉱物中毒者に成り果てるのだ。しかも大いなる歓びに震えつつ。大阪ショーとは、そんなオソロしいイベントなのである。ウソですが。


さて、家を出る前にSPSという名を持っていた私は、開場と同時に会場に入るや蜜を求めて飛び回る、熱にうかれた目をしたミツバチに変身した(そんな可愛いもんか?)。宝石のルースよりも、磨かれた石よりも、原石や鉱物標本を好む傾向を持っていたソレは、あたかも植物が光に向って枝葉を伸ばすように、とある鉱物標本専門のブースに向って真っ直ぐに最初の触手を伸ばした。まだ半分白いテーブルを前に、店主が忙しげに石を置いていた。
「たのもう」今では珍しい正調子の発音だ。店主は手を休めずに振り向いた。
「や、こんちは。うちはまだ準備中だよ。毎年のことだけどさ、あははははは。」
もちろん、ソレはひるまない。毎年のことだから。素早く目を利かせ、まだ値札のついていない石ころが発散するビミョウな匂いを次々と舌で味わい、ほどなく風化した白い岩石に点々と染みて広がる青い斑模様をキャッチした。ラピスラズリ! ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉ。彼はバルタン星人の笑いを笑った。「これはな〜んだ?」  
「これはね〜、ははははは。好きだね〜」店主は即座に意を悟った。
「後で参るゆえ、留め置くべし」「御意」 (ホントはそんな言葉遣いしません)

入場3分で最初の商談を済ませたソレは、再び幾本もの柔軟で毒を持った長い触手をなびかせながらクラゲの如き遊弋を続けた。(ハチじゃなかったのか?)
次に立ち止まったのは、ボリビア産の鉱物を得意とする店主のブースであった。昨年に続いて今年もフォスフォフィライトを認めたからだ。分離品ながら、シャープで素晴らしい双晶だ。ぴゅいと触手を伸ばして標本を手にとった。が、一刻躊躇った後に手放した。「迷った時にはやめよ」。限られたリソースを有効に活用しなければならない身の、石貧乏と戦う戦士の、苦渋あふるる戦訓である。アンドール鉱の美晶や黄錫鉱の双晶を横目に、心の中で不義理を詫びつつ次のブースへ向った。

素通りするつもりだった鉱物化石専門店の前を通りがかったとき、なにかが合図を送ってきたかの気配があった。立ち止まって店先をスキャンする。すべての標本をガラス蓋付きケースに収めた一群のカートンボックスがあった。赤枠で囲った値札はどれもリーズナブルといってよいお手頃価格に均されていた。コレクターの処分品だ! 言葉にならない悲痛の念を胸に−なぜならいつかソレにもこうした選択をすべき日が来るだろうから−標本を選んで、6点ほど引き取った。どこのどなたのものか存ぜぬが、しばらくはソレがしが預からせていただこう。そうしてブースを後にした。

次の鉱物専門商のブースに接岸したとき、突然、"Once upon a time, a boy meets a girl. " が起った。真っ先に目に飛び込んできた、といえば誇張になるが、でもすぐに見つけた。テーブルの奥の一番高い台の上に載っていた。透明で色目が淡くて、楚々として、けして人目を惹くものではなかった。でもその気韻が、いいと思った。両手のひらに抱いてささげると、おなかがほころび、ほほが緩み、もう手放せなくなった。そういうことが起るとき、ソレと石とは一体なのである。お店の方には、すでに分かっていただろうが、「これ、もらいます」と告げた。水晶樹に群れる蛍である↓。

このブースには、ピンク蛍、ジーゲン鉱と方鉛鉱、スペッサルチンとモリオンの麗しいペア標本、コレクターの放出品らしいルチル、マダガスカルの蛍入り水晶など、例年にましていいものが並んでいたが、今回は縁なきものであった。

その後もソレは徘徊を続けたが、すでにリソースは予算を超えており、大勢は決しているはずだった。だが、最近話題のマリ産のぶどう石を求めた。エピドートの上にマスカット色のぶどうが冠った標本で、ショーの前から欲しかったのである。旬のものなので、あちこちにあったが、そこはやはり顔なじみの店でお世話になった。
何気に眺めていたひすい彫のブースのショーケースに、白玉細工(軟玉)を見つけた。その瞬間を待っていたかのようにお店の方につかまってしまった。さんざ褒め上げられ、世辞を言われ、ソレは実にダラしなく骨抜きになった。ない袖振って買わねばならない雰囲気である。苦し紛れに値切ってみれば、あっさりそれでいいと言った。値札のついてない品だが、言値の半分以下だ。損したのか得したのか。ただいえるのは、その彫り物をとても気に入ったということだ。

だが、これでいよいよ、いざという時の隠し金も含めて、財布の残りはわずかになってしまった。ソレはその後の遍路を断念して、最後の目的地へ向った。ショーの直前に予め標本を頼んであったお店である。行ってみるとお金が足りないことが分かったが、後の祭りだ。なけなしの残金で引き取れるだけの標本を引き取り、そそくさと会場を出た。
出た途端、ソレはSPSに戻った。じわじわと良識が、生活のやりくり算段が、意識をおおいはじめた。
だが身体には、快い達成感と出逢いの喜びがみなぎっていた。そこで私はほっとため息を漏らしたのであった。「ああ、今年もいいショーだった」


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