夜光杯  −ひま話(2000.12.15)より


今年の夏、私家版鉱物記に軟玉の話1を載せたあと、続編を書くつもりでいながら、全然手をつけていない。
今回は、その代わりに、玉杯の話をしよう。

中国において、軟玉は、宗教的な観念を持って想起される石だった。この石には霊力、あるいは強い生命力があると信じられていた。人々は、玉を祀り、身に帯び、飲んだ。あるいは、玉を磨いてさまざまな日用品やオーナメントを造った。そうした器物のひとつに玉杯がある。もちろん、お酒を注いで、ぐいと干すために作られたのだ。酒は百薬の長であり、もともとはアルコールによる酩酊状態を得て、宗教的な変成意識にシフトするための聖別された液体だった。霊力を持つ玉杯に神酒を満たし、かしこみかしこみ戴くことは、まことに荘厳な儀式だった。それをもって、古代の人々は神聖意識に入り、神殿巫女たちと天上の喜びを分かち合ったのである(どこの国の話?)。

玉杯と酒にはシルクロードのロマンも興を添える。
唐の李賀の「将進酒」は、「琉璃のさかずき 琥珀濃し…」と歌い出される。琉璃というと、鉱物好きは瞬間的にラピスラズリと解してしまうが、琥珀の酒をラピスの杯に注いだとて、一向に美味しそうでない。ここは、半透明の瑠璃色(深い青)のガラス杯で、異国風味の酒を味わったということにしておこう。ガラスは西方ペルシャからもたらされた技術製品で、中国での愛好は、胡人(イラン系の人々)の往来を反映した流行であった。
琥珀の酒は、おそらく葡萄酒だったろうとされている。もちろん琥珀色であるなら、赤ワインではなく、ドイツ産のトロッケン・ベーレン・アウスレーゼか、ハンガリーのトカイ酒かといった、芳醇で甘い、とろけるような白ワインや貴腐ワインでなければならぬ。

葡萄もまた、東西交流のシンボルみたいな果物だが、唐代の中国北西部では、すでにさほど珍しいものでなくなっていた。なかでもトルファンの葡萄栽培は有名だった。火焔山を控えた乾燥した熱砂の盆地に、カレーズ(地下水路)からこんこんと水が湧き出すポプラ並木のオアシス都市があって、ハミ瓜や葡萄が栽培されている。そのあふれんばかりの水気を口に含んで、人々は涼をとり、喉の渇きを癒した。そして、うましき酒を造った。ホータンや酒泉の玉を杯に磨き出し、月夜の沙漠で、琥珀色の酒に酔ったのだ。
李白は、「蘭陵の美酒 鬱金香 玉碗 盛り来る 琥珀の光」と歌っている。異国情緒に満ちた酒場で、李白は胡姫を相手にふら〜りふらりと酔心地。こちらは、スパイスを浸した香りのキツイお酒だった様子だが、あるいはナツメヤシの酒なんかでも似合いそうな気がする。

こんなふうに、いつも楽しい夢を見せる酒ばかりとは限らない。
辺境の地シルクロードの酒と玉杯には、明日の命の知れない哀切を託されたものもある。

王翰の「涼州詞」。

葡萄の美酒 夜光の杯
飲まんと欲すれば 琵琶馬上に催す
酔うて 沙場に臥すとも 君笑うことなかれ
古来 征戦 幾人か回る

秦中の花鳥 たけなわに
塞外の風沙 なお自ら寒し
夜に胡茄の折楊柳を聴けば
人の意気をして長安を憶わしむ

訳すほどでもないけれど、いちおう、私流に詠めば、

おいしいワインを 月に光る杯に注いで さあ飲もうとしたら
誰かが もの哀しい琵琶の音を響かせて 通りすぎたんだ
うう 沙漠の町の酒場で おいら突っ伏して泣きたくなったよ
辺境征伐に駆り出されて 生きて帰った人は数えるほどしかいない
おいらも明日は 駄目かもしれぬ

今頃 長安の都は春の盛りだろうなあ
花が咲いて 鳥も歌っているだろう
この辺境の地は いつになっても春がこない
夜になると 異国の人々がむせび泣くように歌っている
それをきくと おいらは 故郷を偲ばずにいられない

こんなとき、玉杯が美しければ美しいほど、酒が美味ければ美味いほど、ホームシックもまた一層身に迫っただろう。
西域戦士ガンダム 哀・戦士編といったところか。オデッサ作戦の前夜、木馬を抜け出して沙漠の酒場に一人佇めば、後から入ってきた色白のほっそりとした年上の女性が、晩ごはんをおごってくれた。明日はその女性の想人と、生死を賭けて戦う運命であるともしらず…ああ(すでに妄想の世界)。

酒泉玉の夜光杯。 中国観光局「甘粛省」より。西安を出て西域に向かう河西回廊は、チーリエン山脈を常に南に見て進む。敦煌のやや手前に歴史の古い町があり、昔、漢の武帝が匈奴討伐の軍を派遣したとき、若き将軍カクキョヘイは、この地に軍馬を解いて、しばし英気を養った。都を出るとき武帝がくれたお酒を、兵士たちと分け合って飲もうと町の泉に注いだところ、泉の水がみんなお酒になったと伝えられている。以来、この町は酒泉と呼ばれるようになった。軟玉の話1でも書いたが、酒泉の南の鶏巣山は古来玉の産地で、老山玉、河流玉と呼ばれる玉(酒泉玉)が採れた。カクキョヘイらは、この地の玉杯を高く掲げて、征戦の首尾を天地に祈ったことだろう。

「涼州詞」は千古の佳作と讃えられている。現在、酒泉の夜光杯廠というところでは、この歌にあやかった杯を作って土産物にしているという。高温にも厳寒にも耐え、手荒く扱っても割れにくく、軽く叩くと、澄んだきれいな音が響くそうだ。酒を注いで月にかざせば、雪のように白くなり、光輝いて香味が増す…。
酒泉玉は、蛇紋石の一種で、ホータンの軟玉とは、やや趣きが異なるが、その杯は、往時の兵士の感傷を告げて、哀しく美しい。一説には、西安あたりで、機械化大量自動研磨されているともいうが、まあ、一応、シルクロードのロマンということにしておこう。
ああ、美味しいワインが飲みたい。


このページ終り [ホームヘ