No.73 万里の長城(八達嶺)・北京  

 

言わずと知れた「万里の長城」。
随分古い写真ですが、出てきたので載せておこうと思います。

その昔の中国は、黄河中流のいわゆる中原に文明国家が興り、
ここが世界の中心と宣言して繁栄を誇っていましたが、
勢力圏には自ずと限界があって、周囲の異民族・国家を
東夷・南蛮・西戎・北荻と呼んで一線を画し、
これらを征伐・掠奪したり、逆に侵攻・略奪されたりを
繰り返した歴史があります。

秦代(BC3C)・漢代には北方の遊牧民族・匈奴の侵入を
防ぐために、草原の只中に高い壁を長く巡らし、
これが長城の基礎となりました。
BC7C頃から局地的に築かれていた防累群を
一繋ぎのワン・ピースに結んだものといいます。
その後歴代の王朝は修築や移転を繰り返し
(あるいは放置し)、今日残る長城は大部分が明代に
作られたものの遺構になるそうです。
北京付近の長城も然りで、都から 100kmと離れていない
稜線上に絶対防衛線、戦略上のゼロ・ポイントを引いて、
いつでも大軍勢を送り込んで死守する構えをとりました。
とはいえ、北方民族と比較的平和な関係を持った時期には
北方の産物は経済的に重要な交易品だったので
長城のあちこちに交易所が設けられました。

長城の延長は東端の「山海関」から西端の「嘉峪関」まで
6,352km、日本の周りに引き回すと、およそ北海道から
沖縄までを囲い込める長さに相当します。

北京付近の長城はアクセスが容易で、
対外開放政策以降、観光ポイントとして
整備されて、バスツアーの定番となっています。
世界文化遺産の登録は 1987年。

八達嶺は北京市街地から1時間ほどで行ける
場所ですが、途中、「明の十三陵」を見物したり、
得体のしれない薬学研究所に連れ込まれて、
無理から診断されて漢方薬の購入を強く薦められたりが
セットになったツアーを私は経験しました。
どちらかというと長城より、漢方薬セールスの方が印象に
残っています。なにしろ同行の方々で(高価な)薬を
買わない方はほとんどいませんでした。
誰にしろ体に弱点(悩み)を持たない人は
いないということがよく分かりました。

この出張(?)のとき、バスが高速道路上でパンクして、
別のバスに迎えに来てもらって
ようやく市内に戻ったことがありました。
なんだか、そういうことの方が思い出になってます。
まあ 20世紀のお話です。

観光バスの車窓から見た長城。山の稜線を伝って
城壁が延びています。

 

壁の上は平らな石畳になっており、馬5頭が並んで通れるように
設計されています。(軍隊移動用の道路でもあったわけ)

それにしてもよく崩れずに残っているもの。
(いや、たぶん、大分整備したのでしょう。)

周囲の風景は絶景というわけでもないので
ただ蜿蜒と歩くばかり。

このあたりから引き返しましたん。


北京の街なか

市場を見に行くのが定番でした

その土地の風情とか生活が感じられる気がして

食材、日用品、衣料品。こういう生活なんだなあ…という。

自転車は市民の大事な足で、だから路上に自転車修理屋さんが
座っていたりするわけです。

修理して長く使う文化を、好ましいと思います。

自分はやっぱり食材を見るのが楽しみで

あ、タニシを食べるのか、とか。

 川魚だなあ、泥臭くないかなあ、とか

 

ええ? 死んでんちゃうん? 血抜きせんでええの、とか

迷路のようなところを歩いてみたり

ハト小屋

九官鳥

これはレストランで。
やっぱり食材だったのかな

北京ダック  ちゃんとビニル手袋して調理してる

いろいろ いただく

椎茸を使った料理はたいてい美味と思います。

お焦げの部分を美味しくいただく


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