かけらの2のそのまたかけら.ニザムのダイヤ2

 

ハイデラバードのニザム(君主)、マーブット・アリ・パシャの治世、1891年頃のある日のこと。

世界屈指の大金持ちであるニザムの家、チョウラハマ宮殿を、ヤコブという名のひとりのユダヤ人が訪れた。亜大陸をまたにかけて怪しげな商売に奔走するダイヤモンド商人、という芳しからぬ噂のある彼は、しかしこの日、掛け値なしに世界最大級のダイヤモンドを携えていた。
「ヴィクトリア」と呼ばれるその石は、1884年に南アフリカのキンバリー鉱山で発見されたものだった。イングリッシュ・カットという、やや平べったいカットが施され、大きさは182.5カラットあった。

ヤコブはこの日のために計画を立て、準備をしてきた。王の個人的な世話をする従者アービドに渉りをつけ、懐柔することに成功していたのだ。お金はかかったが、それは見返りの大きい投資である。アービドの口添えで、ニザムはダイヤに関心をもち、彼を宮殿に喚んだのだから。しかし気まぐれなニザムが、ダイヤを買う気持ちになるか、あるいは、何の値打ちもない石ころのように放り出してしまうか、それは成り行き次第でどうにでも転ぶのである。君主たちとの商売はいつでも大博打だ。

ヤコブが到着したとき、宮殿は異様な静けさに包まれていた。ニザムが昼寝中だという。召使いたちは音を立てずに歩いていた。ヤコブは部屋に通されて待った。やがて宮殿が騒がしくなったので、ニザムが目覚めたことが分かったが、何人もの召使いを引き連れて部屋に入ってくるまで、さらに長い間待たねばならなかった。ニザムは椅子に座ると、あいまいに頷いた。ニザムの前では誰もが立ったままである。ヤコブも立ったまま挨拶した。ニザムは黙って彼を眺めていたが、やがて用件を思い出したらしい。ダイヤモンドを見せるようにとの言葉があった。ヤコブはどっと汗が吹き出るのを感じた。

彼はポケットから赤い紙包みを取り出すと、テーブルに広げられたビロードの上にのせた。包みが開かれ、大粒のダイヤが燦然と輝いた。ニザムは石をつまみあげた。驚いた様子はなかった。しかし、その目が興味深そうに光った。ダイヤを指にあてた。指輪として使えるか、考えたらしい。が、指輪には大きすぎた。
「アービド!」 ニザムは大声で従者を呼び、衣服にあててみるよう命じた。正装用の衣服のボタンにしようと思いついたのだ。アービドは命ぜられるまま、衣服の前に石をかざした。ややあってニザムは首を振った。十分な大きさだが、正装用に同じものを5個揃えるのは大変だと気づいたのである。ニザムは今や誰の目にも不満そうに見えた。ヤコブはもう汗でずくずくになっていたが、それどころでなかった。

その時、アービドが助け舟を出した。彼はニザムの気分を誰よりもよく理解することが出来るのだ。アービドはダイヤモンドの下にあった赤い紙を取りのけ、代わりに近くにあった書類をテーブルに載せると、その上にそっと石を置いた。ペーパーウエイトである。それを見て、ニザムはにっこりと笑い、アービドにうなずいた。その瞬間、取引が終った。石は売れたのである。ヤコブは一言も口をはさめなかった。

こうしてハイデラバード藩王国の財宝に182.5カラットのダイヤモンドの文鎮が加わった。
だがその後の文鎮ダイヤの運命は暗い。それはヤコブとアービドの間に利益配分を巡るトラブルが起こったからだ。裁判が争われた。あろうことか、ニザムまでが証人として呼び出された。裁判は落着したが、誇り高いニザムは宮殿に戻ると、ダイヤをボロ布にくるみ、机の引出しの奥に放り込んでしまった。不吉な石として身近におくことを嫌い、かといって、売りに出す気にもなれなかったのだ。ダイヤはそれきり忘れられ、やがて第七代ニザムとなる、息子のミル・オスマン・アリカーンに受け継がれた。アリカーンは、きわめつきのどケチで、偶然この石を見つけると、金の台座をつけ、そのまま使いもせずに、どこかにしまい込んだ。以後、誰も石を見たものはない。アリカーンの死後、アガ・カーン3世に売られたと伝わるが、定かでない。今でもインドのどこかに眠っているとの説がある。


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