イダーオーバーシュタイン

宝石の町 イダーオバーシュタインの話


 

フランスとの国境に近い、ドイツ中西部の山中に、イダーオバーシュタイン(イーダーオーバーシュタイン)という小さな町があります。

この町の名前は、保育社カラーブックスの「宝石のみかた」、草思社の「楽しい鉱物図鑑」などに出ていますから、ご存知の方も多いでしょう。前者では、世界の宝石を巡って旅をした著者の回想記中にたびたび現われますし、後者では、「めのう」の項目で、鉱物好きな人がヨーロッパを旅行した時、訪問するのにぴったりの町として紹介されています。ここは宝石研磨産業の中心地のひとつとして世界的に有名な土地で、欧州最大の宝石国際見本市が盛大に開かれます。数多くの研磨工房があり、著名な宝石デザイナーが大勢住んでいます。街角には観光客相手の宝石・貴石店がずらりと軒を並べており、観光バスにのった西洋人の団体がどっと押しかけてきます。風景の美しい田舎町でもあり、おそらく格好の行楽地なのでしょう。

このページでは、(珍しく)写真を織り交ぜながら、「宝石の町」イダーオバーシュタインの風貌を語ってみたいと思います。私は過去3回、それもただの観光客として訪れたことがあるだけですが、個人的な思い出があって、たいへん気に入っている土地です。

イダーオバーシュタイン近郊の風景

まず地理的な位置から始めましょう。小さな町なので普通の世界地図には載っていませんが、とりあえずドイツのページを広げてください。西側の国境線あたりを、ライン川が南北に流れています。その中ほど、北緯50度あたりに、フランクフルト・アム・マインがあるのがわかりますか。そこから西方へ目をやると、ライン川の西岸にマインツ、国境あたりにトリアという町が、あるいは国境を越えてルクセンブルクがあります。イダーオバーシュタインは、トリアとマインツを結ぶ線の中ほど、トリア寄りに位置しています。距離にするとフランクフルトから130キロ、マインツから85キロ、ルクセンブルクから90キロくらいです。地形を記した地図ならば、一帯がなだらかな山の中だということがおわかりになるでしょう。そこはハンスリュック高地と呼ばれ、ライン川に注ぐナーエ川の源があります。イダーオバーシュタインは、ナーエ川が切り開いた狭い谷あいにひっそりと息づいた町です。ワイン好きな人は、ナーエ(峡谷)と聞いて、さっぱりした味の白ワインを思い出すかもしれません。
自動車でいくなら、マインツやフランクフルトから、1時間ないし1時間半くらい。電車を利用すると、1時間半から2時間くらいです。鉄道は、ECやICなどの特急列車とは無関係のローカル線ですが、フランクフルトから直通列車があり、比較的簡単に訪れることができます。運賃は、片道2,3千円くらいで(週末の割引切符などを使うともっと安い)、朝早く出れば、日帰りも十分出来ます。電車で行くと、途中「バット・クロイツナッハ」、「キルン」といった駅を通過します。バットは英語でバス、つまりお風呂のことで、その土地がかつて(あるいは今も)温泉地だったことがわかります。キルンは、れんがの乾燥炉の意味で、なんとなくこのあたりの生活がしのばれて(この地方は長らく神聖ローマ帝国の版図でした)、イダーオバーシュタインに近づくにつれ、期待が高まってゆきます。

さて、谷あいに開けた人口4万人ほどのこの町は、13以上の村落が集まった行政区画なのですが、中心となっているのはイダーとオバーシュタインの二つの地区です。この二つは、あわせてL字型をしています。ナーエ川に交わるイダー川に沿って走る幅の広い目抜き通りが、L字の縦棒に相当し、棒の上端から中央あたりがイダー地区になります。
オバーシュタイン地区は横棒にあたり、鉄道駅は丁度縦棒と横棒の接点にあります(オバーシュタイン地区の西端)。研磨産業の中心、ダイヤモンド&ジェム・センターやドイツ宝石協会はイダー側にあり、先に掲げた「宝石のみかた」に何度も出てくる老舗、「ルッペンタール」もこの地区にあります。しかし、駅からは随分離れており、どちらかというと業者相手の宝石店が多いので、私たちのような素人が行ってもあまり面白くないかもしれません(もちろん見学は自由ですし、購買の義務もありませんが、ちょっと敷居の高い感じです)。週末に開かれる宝石関係のさまざまなセミナーや、プロの研磨士向けレクチャーなどの催しはイダー側で行われるため、滞在型の人は、こちらに足を運ぶことが多いでしょう。

フェルゼンキルシェの遠景


けれども、ふらりと立ち寄ってみようという観光派にお勧めなのは、ナーエ川に沿って開けたオバーシュタイン地区です。駅を降りると、緑濃い山並みの合間を、東へむかって石畳の道がうねうねと走っています。駅前の広場から北東を向くと、山の中腹に何か白い建物が見えるはずで、それがこの町の名所のひとつ、「フェルゼンキルシェ」、岩窟教会です。切り立った崖をうがって白い壁の礼拝堂があります(写真右)。伝説によると、15世紀の末、オバーレン・スタインとかいう人が、嫉妬に駆られて兄弟を殺してしまったことを後悔して造ったといいますが、もともとはケルト人の神の泉があった聖地で、今もこんこんと清水が湧いています。まず、そちらを目指して歩きましょう。

200mほど進んで、適当なところで線路を渡り、北側の道へ出ますと、そこから東は、教会の下あたりまで、宝石店がずらりと軒を並べたにぎやかな通りになります。ほとんどが観光客相手の店なので、土日曜に訪れても、店が開いており、ショッピングを楽しむことが出来ます。店はだいたい10時くらいから開き、日中は観光客がどんどんやってきて、とても活気があります。、カットした宝石のルースや、指輪、ブローチなどの本格的な(高価な)宝飾品の店から、貴石を使ったさざれ石のネックレスやペンダントなど普段使いのアクセサリーを主体とした店、あるいは水晶専門の店、貴石の丸い球や、スライスしためのう、鳥やけものなどの動物をモチーフに石を刻んだ置物の店などがあり、ありとあらゆる石の細工をみることが出来ます。見ながら歩いているだけで、幸せな気分になれること請け合いです。鉱物好きの人には、加工していない原石も売っていますので、何軒か回れば、いろいろな標本が集まるでしょう。面白いのは、それぞれの店が、得意とする鉱物を変えているらしいことで、たとえば、ある店はラピスラズリの原石が大量にあり、隣の店には紫石やリチア電気石があります。また別の店は、ルビー・ゾイサイトが豊富、向かいはめのうのスライスがてんこ盛りといった具合で、思うに、お互いの商売を邪魔しあわないようにしているのではないでしょうか。貴石を研磨した残りの端材や、加工の途中で欠けてしまった石などを、ガラスびんにぎっしり詰めて、安く売っているのなんかは、手ごろなお土産になると思います。

オバーシュタイン地区にある鉱物博物館

教会の下あたりにある広場。テラスレストランなどもある。

この通りには、食べ物や雑貨品の店などもありますが、ほとんどが宝石・貴石を扱う店で、ふと狭い横道にそれたり、迷い込んだ階段を上り詰めていった先に思いがけず見つかる店などもいれると、ゆうに100軒以上は宝石店があると思われます。(町全体では、数百軒にのぼるそうです。)
この地区のもうひとつの目玉は、鉱物博物館です。教会のある崖の真下あたりに、石畳の広場があり、その西側の、水車のあるちょっと時代がかった建物が、そうです。地元のめのうをはじめ、各地のめのうのコレクションや、各国の美しい鉱物、例えば、ツメブの翠銅鉱の実に見事な標本、ブラジルの巨大な紫水晶、コングスベルグのひげ銀、アンドレアスブルクの魚眼石などなどなど、ちょっとお目にかかれないほど、質のいいものがそろっています。一階のショップでは、地元のめのうなどを売っています。入場料が要りますが、時間があれば、是非見学しましょう。まあ、2,3時間はかかりますね。

めのう細工は、かつてイダーオバーシュタインの特産品でした。その歴史は古く、ローマ時代から貴石の産地として知られていたようですが、文献上は16世紀が最古で、ヴェストリッヒ地区のめのうの研磨細工がフライブルクに提供されたという記述が残っています。イダー川の付近(今のイダー地区)に最初の宝石研磨工房が作られたのは1530年頃だったようです。その伝統は連綿と続き、19世紀後半には、工房150カ所を数える、宝石の町に発展していました。その後、ナーエ峡谷のめのうだけでは、商業的需要を満たせなくなり、世界各地から宝石、貴石が盛んに輸入されるようになりました。それまでに培った技術を生かして、世界中の宝石鉱物を研磨することに活路を開こうとしたのです。ドイツ人は、生来勤勉頑固、宝石をカットさせると、几帳面で正確無比の素晴らしいカットをします。イダーオバーシュタインが今日の隆盛を見るのは、この時点で進んで海外の貴石を探しに出たおかげだといえます。
地元のめのう鉱山は、長年にわたって閉山したり再開したりを繰り返してきましたが、今でも趣味程度の採集が可能なようです。宝石産業のいわば発祥の地、「スタインカウレンブルク」鉱山は、近年再び開かれて、観光スポットのひとつとなっています。玉髄やめのうの晶洞などが見学できるということです。(残念ながら私はまだ行ってません。左下の写真がそうです。)

スタインカウレンブルクの見学ツアー

町を流れる川の川原に下りて、石を割ってみると、中から、米粒ほどの白い沸石や、青緑色のセラドン石などがあらわれるので、この土地を熱水脈が通っていたんだなあとわかります。ただし、それなりの立派な標本を探したければ、郊外の採集地へ足を運ばねばなりません。宝石・貴石店の中には、自分たちがピクニックでひろってきた石を、陳列棚の隅の方にごたごたと置いてる店が何軒かあります。整理もされず、埃をかぶって、汚らしいので、あまり欲しがる人はいないようです。けれども手にとって眺めてみると、いかにも裏山で採れたという風情があって、「商品」らしさのないところが、かえっていいように思えます。私は、めのうや方解石をいくつか土産に買うついでに、採れた場所のことなどを聞いたりしましたが、十年も二十年も前に拾ったような話が出てきます。たいていの店は家族でやっているので、これはお父さんが拾ったから、何という名前の石かわからない、値段もわからない、売り物じゃないかもしれない、でも地元で採ってきたのは間違いない、という返事がままあります。その後、数年を経て再び訪れた時も、いくつかの店で、同じような石くれがごてごて並んでいました。その様が全然変わってないので、まるで時間に忘れられた一角を見るようでした。
ちょっと変わった方解石(のラベルがついた)標本を手に入れたので、「鉱物ギャラリー」の72に紹介しています。紫水晶の上に、六角柱状の結晶が階段迷宮を作っているものです。市場ではあまり見ないでしょう?

昔ながらの水車を使った研磨作業の実演

いくつかのお店では、一画を仕切って工房にしているところがあり、カット、研磨機械を並べた机の向こうで、拡大鏡を頭からかぶって、石を磨いている人がいます。そういうお店の在庫品の何割かは自作品です。間違って変に値切ると、ひどく機嫌を損ねますから気をつけましょう(負けてくれないわけではありません)。研磨機は、電動モーターを使ったテーブルサイズのものが普通ですが、時々、研磨布を張った大きな回転車輪と、その前に鞍を逆さにした形の受け台を見かけます(右の写真)。これは、水車を利用して車輪を回し、その前の逆さ鞍にうつぶせになって、研磨布に石を押し当てて磨くという、昔からある研磨装置です。実演して見せてくれますが、案外楽そうです。でも、石の削り粉をふんだんに呼吸することになるのじゃないかな。先に紹介した博物館前の水車はこのためのものなのでした。

イダーオバーシュタインを訪れて、印象に残っていることがいくつかあります。そのひとつは、「ラブラドライト」のことです。この石は、長石の一種で、半透明の見栄えのしない塊ですが、ある一定の角度からへき開面を見ると、石の表面で干渉を起こした光が反射して、ブラジルのモルフォ蝶のような鮮やかなりん粉状の輝きが見えるのです。93年頃だったと思いますが、この原石が欲しくて、町中を探して歩いたことがあります。ところが、探しても探しても全く見つからないのです。あらかたの店を回ったところで、ある宝石店のおかみさんが、「ラブラドライトは、もう終わった」と教えてくれました。「ラブラドライトは、昔はたくさんあった。でも、だんだん手に入らなくなって、この春の仕入れで最後になったの。もう入ってこないわ。この町では、ラブラドライトは、終わった石なのよ。」というのです。そして、カボッションカットした石をいくつか見せてくれて、磨いたものでよければ、どうかしら、と勧めてくれました。それは、北欧で採れる、黒い地に強いブルーの閃光が現れた石でした。がっかりしながら、だんだん東に歩いてゆき、通りの端まで、いちおう残った店を覗いてみましたが、やはりラブラドライトはなく、やっぱり終わったのかなあ、と思いました。そこから東は、少し離れた先にあと2,3軒しか店がありません。ところが、その2軒目のショーウィンドウに、メロンくらいの大きさの、あの薄汚い石がごろんと置いてあったのです。はやる心臓を押さえて、店に飛び込み、即座に買い取りましたが、結局、100軒以上のお店を回って、ラブラドライトの原石があったのは、最後から2番目のこのお店だけだったのです。私の喜びをお察しください。

ところで、その後、ラブラドライトは市場から姿を消したのか、というと、全然そうでもなく、鉱物市場では、マダガスカル産の標本が沢山出回っていますし、たしか97年のジョージ・ジェンセンのイヤーズペンダントの飾り石にも採用されましたから、大量に研磨されているのは間違いないでしょう。ただ、あの上品なおかみさんが見せてくれた北欧産の石は、ほとんど見かけなくなりました。彼女が言っていたのは、この黒地にオーロラのような青が閃く石(スペクトロライトという別名がついています)のことだったのでしょうね。

さて、最後に、どうして私が、イダーオバーシュタインを気に入っているのかお話したいと思います。
これは、まったく宝石と関係がない、個人的な話なのですが......。

私が初めて、この町を訪れたのは、青葉の美しい5月の中頃でした。北部のデュッセルドルフに近い、エッセンという鉄鋼の町へ出張し、無事仕事を終えた週末のことでした。このあと別の用事でミュンヘンへ入るまで3日ほどの余裕があり、鉄道で南へ向かう途中、どこか適当なところを観光して回るつもりでした(ドイツなんて、そう行けるものではないので)。イダーオバーシュタインのことは旅行前から候補地のひとつとして念頭にありました。といっても、私は、この町がドイツのどこにあるか知らず、行き方もわからない状態でしたから、行ければいいなくらいのことでしたけれど。ところが、デュイスブルグの鉄道駅で問い合わせて見ると、だいたい4時間くらい電車に乗れば行けるところだというのが分かりました。たいした回り道にもならないようです。そうとわかれば、行かないテはありません。私は切符を買って、その足でイダーオバーシュタインに向かいました。重いトランクを引きずって、駅に降りたのは、お昼頃でした。途中電車は緑したたるこんもりした山あいを通って、どんどんひなびた土地へ入っていくので、まあ覚悟はしていましたが、着いたところは、狭い谷あいにへばりついているような、静かで実に小さな田舎町でした。電車が行ってしまうと、あたりは急にさびしくなってしまいました(欧州の鉄道駅は大体町のはずれにあるものですが)。このときまで、私は、ちょっと立ち寄って、ふらっと見学したら、夜には、マインツかフランクフルトか、とにかく、もっと南の方まで道中を稼ぐつもりでいたのですが、駅前の広場から町を眺めたとたん、なんだか気に入ってしまって、やっぱり一晩ここに泊まろうと思いました。
そうとなれば、宿を探さねばなりませんが、都会と違って、駅前にホテルが並んでる気配はまったくありません。広場のパネルにホテル案内らしきものがありましたが、ドイツ語が読めないので、どうも要領をえません。通りかかった人に、英語で尋ねてみましたが、どの人も返事はドイツ語で、さっぱり理解できず、指差す方向から、やっと見当をつけるばかりです。タクシーにどこかへ連れてってもらおうと思いましたが、1時間に1本くらいしか電車の止まらない駅前に客待ちする車はなく、とりあえず、イダー地区の方へホテル探しに出ることにしました。ところが、なにしろ距離があって、これではとてもトランクを引きずって歩くわけにいかないぞ、と橋を渡ったところで、この方面は断念(へとへと)。駅に戻って、東へ数百メートル坂を下りました。これもホテルは見当たらず。また戻って駅前のパネルの地図とにらめっこです。うーむ、どうやら、駅の反対側、北西500mあたりにホテルらしきマークを発見しました。これで見つからなかったら、どうにもならないなと思いながら、重いトランクを引き引き、3たび、歩き出します。10分ほど歩いて、マークしてあったあたりに来ましたが、何も見当たりません。そこから先、道は上りになって、山すそをどんどん登っていくようです。一体どうしようか、歩くしかないか、と迷っていると、後ろから一台の車が通りかかり、少し行きすぎて止まりました。中から、感じのいいおじいさんが出てきました。

「こんにちは。なにかお困りですか。」
と、微笑みました。(きれいな英語です)
「こんにちは。ホテルを探しています。」(怪しいものではありません。)
「ホテルですか? このあたりには、ホテルはありませんよ。」
「えっ。でも、私は駅前のパネルを見て歩いてきたんです。」
「いやいや。ところで、あなたはどこから来たんですか。」
「はい、日本からです。」
「ああ、日本ですか。泊まるところをさがしているんですね。ホテルがいいのですか。」
「ええ。」
「ホテルは町の方にあります。あなたが来たのと反対方向です。車で15分くらい行ったところです。この先にはホテルはありません。でも、ペンションならありますよ。」
「ペンションですか。」
「どうしてもホテルが良ければ、お送りしてもいいですよ。でも値段が高いです。私はもったいないと思うのですが。」
「そんなに高いのですか。」
「そうですね。1日1万5千円はします。もちろん素晴らしい部屋とサービスがありますが。ペンションなら、4千円くらいです。」
こうして、そのおじいさんは、私にホテルへの行き方を教えてくれた後、ペンションを勧めてくれました。ここから5分くらいのところのようなので、ご親切に感謝して、ペンションへ行ってみることにしました。そう言うと、

「ああ、いい選択をしました。」と言いました。そして、よければ乗せていってあげましょう、と申し出てくれたのです。ありがたくお受けすると、車のトランクを開け、荷物を持ち上げるのを手伝ってくれました。車は、急な坂道を登ってゆきました。

「ほんとうにありがとうございます。」
「どういたしまして。この町にはいつ着いたのですか。」
「ついさっきです。」
「どのくらい滞在されるのですか。」
「1日だけですが。ホリデイなのです。」
「そうですか。あなたは宝石の仕事をしているんですか。」
「いいえ。でも鉱物を集めるのが趣味なのです。できれば地元のめのうが欲しいですね。」
「ああ。うれしいことを言いますね。ここのめのうは、日本でも有名ですか。」
「ええ。」(多分....)
「今度来るときは、もっとゆっくりおいでなさい。見物するところが沢山あるし、石を探しにハイキングに行くこともできますから。」

そんな、話をしていると、ふと彼が車のスピードを落として、一軒の家の前で止まりました。
「ここは私の家です。少し待っていていてください。」
そういうと車を降り、後席に置いてあった紙袋を持って家に入ってゆきました。なにか大声で呼びかけています。おおい、わしだ。今帰ったけど、ちょっと若い人をペンションまで送ってくるよ、といった感じでした。
そして、戻ってくるとまた車を走らせ、妻に断っておきました、と説明してくれるのでした。多分買い物に出た帰り道だったのです。ペンションはそこから2分ほど行ったところでした。小高い丘の中腹の見晴らしのよい場所にあり、林越しにふもとの町が一望できました。建屋は、(私がイメージする)西洋の農家を一回り大きくしたような造りで、日本でいうと山荘風の家に近い感じです。緑の芝生が美しい庭には、木のテーブルとイスとブランコがおいてありました。彼は、どうですか、というふうに私をみました。いいですね、と言うと、部屋があいているか訊いてみましょう、と先に立って玄関のドアを開けてくれました。
呼びかけると、中から太ったおばさんが出てきました。このペンションの女主人です。おじさんは、しばらく彼女と話をした後、部屋は空いています、料金はこれくらいです、と言った後、「残念なことですが、このペンションには英語を話せる人がいないようです」と、申し訳なさそうに付け加えました。
私は、「全然かまいません、ここでは何か食事も出来ますか」と訊ねました。

すると、女主人が、一階がレストランになっているから大丈夫です、と言いました。部屋を見せてもらいましょう、とおじいさんが言い、おばさんがにっこり肯き、私は二階にある部屋を見せてもらい、それから泊めて下さいと伝えました。カタコトの英語ならなんとか通じ合えるようです(私の方も、もちろんカタコト)。

階下に戻ると、おじいさんが待っていて、「どうでしたか、気に入りましたか」と、我が事のように心配してくれました。「ええ、とても。ありがとうございます」というと、はにかみながら、「どういたしまして」と、お辞儀をしました。それから、
「あなたは、お昼ご飯はまだなのですか?」
「ええ、これからです。」
「そうですか、町に降りれば、レストランが沢山ありますが、もしよければ、ここでも食べられますよ、ドイツ風の料理なので、お口にあえばいいのですが」
「私は、ドイツの料理は大好きです。」
「それは、よかった。.....実は、家に家内を待たせているので、これで、お暇しなければなりません、お昼をご一緒できなくて残念なのですが....。」
私は、その礼儀正しさに感心しました。そして、なにかお礼をしたいと思ったのですが、どうしていいかわからず、結局何度もお礼を言うしかできませんでした。こうして、私は、親切なおじいさんに、すっかりお世話になってしまったのでした。

ペンションの部屋は、質素で、清潔な感じでした。とりあえず荷物をほどいて、階下で遅い昼食をとることにしました。一階には宿泊用の部屋はなく、広いレストランになっていました。南に窓の開いた明るい広間でした。長いテーブルを寄せて、十数人の地元の人らしい集まりが昼食をとっていました。ほとんどが年をとった男女で、キリスト教会か、あるいは町内会の集まりのように見えました。話声に耳を傾けていると、皆が礼儀正しく、優雅に会話を続けており、親密な一体感が強く感じられました。多分、この小さな町で、何十年も一緒に暮らして、一緒に年をとってきたのでしょう。

メニューを見せてもらうと、すべてドイツ語で、さっぱりわかりません。ウエイトレスの娘さんに英語のメニューはないかと訊ねると、首を振って、「英語はわかりません。」と英語で言いました。こういう言葉だけ話せるところは、日本人もドイツ人も同じですね。彼女は、若いウエイターの側によって、何かいいました。ウエイターは、「誰か、英語の話せる人はいませんか。」と、これも英語で店にいるお客さんたちに訊ねました。すると、それに応えて町内会(?)の方の中から感じのいい初老の紳士が立ち上がって、私のテーブルに来てくれました。
「こんにちは。お手伝いしましょう。」
というわけで、またしても私は地元の方の好意で、料理を注文することができました。
「あなたは、お年はいくつですか。」と訊ねられたので、答えると、
「そうですか。では、何か食前酒を召し上がりますか。ワインはいかがですか。」
「はい、いただきます。」
「お好みは?赤、白?」
「白を。」
「甘いのがいいですか、それとも辛口を?」
「どちらかというと辛口のを」
「結構。では、これはいかがです。(とテーブルワインの銘柄?を指差し)、ナーエで作られた素敵なワインです。」
あたかもソムリエみたいに世話を焼いてくれたあと、同じ調子で料理を選んでくれました。それから、少し世間話をしている間にワインが届きました。
「いかがですか。」と、少し不安そうに私の顔を覗き込みます。「とても、おいしい」と言うと、本当にうれしそうに笑って、「グッド・アピタイト」(たんと召し上がれ)と言って自分の席に戻っていきました。その後、周りの人たちに私の話をしているようでしたが、私としては、この町の人たちが実に旅人に親切で、礼儀正しく、押し付けがましいところがなく、はにかみがちなのに、さわやかな印象を受けました。彼らの昼食会は、私がまだ食事を採っている間にお開きとなりましたが、私を助けてくれたおじいさんを含めて何人かの方が、レストランを出て行くとき、わざわざ、私のテーブルに近寄って、挨拶をしてくれたのにはいっそう感心しました。

食事の後、私はぶらぶらと坂を下りてゆき、ふもとの町で例の岩窟教会を見たり、宝石・貴石店をひやかしたり、アイスクリームを食べたりしました。とても楽しい一日でした。そしてこの町がいっそう気に入りましたので、予定を延ばして、もう一泊することにしました。翌朝、ペンションの女主人に、もう一泊出来ますかと訊ねると、身振りで通じたらしく、にこにこして肯きました。

私は、いろんな国の中でも、特にドイツは旅行者にとって素敵な国だと思っていますが、この時の印象は、今でも心に残っていて、思い出すと幸せな気分になります。私が、個人的にイダーオバーシュタインを気に入っているわけ、わかっていただけたでしょうか。彼らにとっては、私は行き擦りの旅人に過ぎないのですが、行き擦りの旅人としては、その土地の人のちょっとした親切や、気遣いのしぐさは、いつまでも忘れられないものです。

その後、もう2回この町を訪れた時は、別段これといったエピソードもなかったのですが、私は今でもこのこじんまりとした落ち着いた空気の町に、いい印象を抱き続けているのです。そして、いつかまた訪れたいものだと思っているのです。

 

追記:恐竜古生物復元模型作家、徳川 広和さんの「ふらぎ雑記帳」に、2017年12月のイダー・オバーシュタインの様子が紹介されています。(記事 2018年1月5日)


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