美しき青きサファイヤの話  −幻のカシミールサファイヤについて


 

サファイヤは、ダイヤ、エメラルド、ルビーと並んで4大宝石のひとつに数えられる、青い宝石の代表選手である。深みのある紺青色には、他の宝石にはない神秘的な美しさがあり、その色あいこそ、サファイヤを宝石の王たらしめているものである。一種、瞑想的な趣さえ感じられ、じっくりと眺めて楽しみたい石である。
赤い宝石の代表選手ルビーとは、兄弟分にあたり、同じ鉱物種、コランダムに属する。

コランダムは、酸化アルミニウム(俗に言えば、粘土)を主成分とする鉱物で、ごく微量含まれている副成分によって、さまざまな色を示す。特に宝石級の赤い石を、ルビーと呼んで別格に扱うが、他の色の場合には、色名のあとにサファイヤをつけて、ひとからげに呼ぶ。ホワイトサファイヤ、ピンクサファイヤ、イエローサファイヤは、それぞれ、無色透明、ピンク色、黄色のコランダムである。
青色のコランダムを、単にサファイヤと呼ぶ。というより、この名称はギリシャ語の「青」から来ており、もともとラピスラズリなどの青色の宝石を、サファイヤと呼んだのである。その後、青いコランダムのことを指すようになり、鉱物種の理解が進むと、青に限らず別の色のコランダムも、XXXサファイヤと呼んで、サファイヤの一種であることを誇示するようになったのだ。
この他、主にスリランカで採れる、ピンク色とオレンジ色の中間の微妙な色合いを持つ美しい宝石があってパパラチヤと呼ばれているが、これもまたコランダムの一種である。非常に珍しい色あいなので、貴重視されているが、オレンジサファイヤやピンクサファイヤと、パパラチヤを区別する色の基準はあいまいである。

このように、コランダムにはさまざまな色あいがあり、サファイヤに限っても、紫色に近いものから灰色に近いものまで、濃淡、さまざまなバリエーションがある。宝石級のサファイヤの産地としては、スリランカ、インド、ミャンマー、タイ、ベトナム、オーストラリアあたりが有名だが、産地によって色調の違いが大きく、慣れた者なら、その色を見れば、ある程度まで産地の見当がつくほどである(らしい)。ミャンマー産には大粒で非常に美しいものがあるが、産出が少ない。オーストラリア産は黒みがち、スリランカ産は透明度が高いが淡い。タイ産はほどよい紫がかった青、といった具合だ。なかでもインド、カシミール産のサファイヤは、最も美しい色合いを持つとされている。

宝石関係の書物を開くと、サファイヤとして最高の色は、コーンフラワーの花の色に似た、やや紫がかった濃い青色だと書かれている。ピンク色がかった深みのある青と書いた本もある。あるいは、ぼんやりとにじんだような明るい青、とする本もある。いずれも同じ色を指しているはずだが、表現によって印象はかなり違う。私が思うのに、コーンフラワーブルーというのは、おそらく象徴的な概念に過ぎず、単に「最高に素晴らしいきれいなサファイヤの色」を暗示する以外、具体的な実体を持たない色なのだろう。
コーンフラワーブルーとは、そもそもカシミール産サファイヤに見られる美しい青色を表現した言葉である。カシミールサファイヤの特徴は、もやがかかったような乳白光沢(ヘイジー効果)を持つことにあり、そのため彩度の高い柔らかい青色を呈した。結晶方向に交差する直線状のインクルージョンがその原因で、他に類のない上品な輝きと色調は、ベルベッティ・ブルーとも呼ばれて珍重された。このサファイヤは、19世紀の終わり頃、大量に産出した時期があって一時代を築いたというが、現在ではほとんど供給がなく、市場ではまずお目にかかれない。だから、それがどんな色なのか、よくわからなくても当然である。私たちは見たこともない石を神格化して、その石の色こそ最高の色だといいあっているわけだ。
現在では、産地を問わず、非常に優れたサファイヤの色を、コーンフラワーブルーと呼んでいるそうだが、解釈は人によって、まちまちであるように思う。

ちなみに、コーンフラワーは、日本では矢車菊と呼ばれている花で、原種はピンク色を帯びた青い花を咲かせる。本によっては、矢車草と訳されていることもあるが、白い花を咲かせる同名の植物が別にあるので、使わないほうがよいだろう。

このページは、カシミールサファイヤの話題を書くつもりなのだが、以上、サファイヤという石の区別、その色あいの多様さ、カシミールサファイヤは最高の色合いを持つとされているが、実際にはほとんど目にすることはない、ということを、まずは頭にいれてほしい。

ここで、カシミールサファイヤの産地、カシミール地方について記しておく。

カシミールは、インドでもっとも美しい土地のひとつである。ヒマラヤ山脈の西端、カラコルムの山懐に位置する山岳地帯を控えた高原で、古くから中央アジア(イラン、アフガン、カスピ海沿岸諸国)からインド亜大陸へ抜ける唯一のルートとされ、現在はパキスタン、アフガニスタン、中国などと国境を接する地理的交通の要衝であり、各国が通行権の確保に常に兢々としている戦略的要地である。

カシミールの山岳地帯は、パンジャブ地方の沃野を潤すインダス川の源である。優雅な川と谷、湖と美しい木々、切り立つ懸崖と壮絶な渓流、氷河、万年雪を抱いた険しい山脈からなるこの土地は、「魅惑の谷間」としてインド人に広く愛されている。
夏の州都スリナガルは、大きな湖をもつ古い都で、涼しい気候と眺望の美しさで知られており、インド人あこがれの新婚旅行地として人気がある。インド初代首相ジャワハルラル・ネルーは、3000年の血統を誇るカシミール最高位のブラーミン出身で、生涯折に触れてこの地を訪れ、政務の疲れを癒した。

カシミールの歴史は古い。紀元前3世紀、アショカ王の頃には仏教が伝わって、紀元3−4世紀にかけて仏教文化が花開いた。今はパキスタンに編入されているガンダーラ地方の仏教遺跡は、アフガニスタンからインドへの歴史的通廊、「目もくらむ」カイバー峠を越えてカシミールへ抜けるルートの途上にある。カシミールはさまざまな宗教を持った民族が、侵入しては王朝を立て、やがて次の支配民族に国を譲るということを繰り返してきた。
7世紀にはヒンズー教の王朝が興り、14世紀にはイスラム教を信奉する王の支配下に入った。18世紀半ばにはアフガン人が、19世紀前半にはシークがこの地に侵入した。そして、19世紀の後半、すなわち、カシミールでサファイヤが発見された当時は、イギリスを宗主国とするヒンドゥー藩王国が成立していた。
藩王国とは、大英帝国の外交権、宗主権を認める見返りとして、対内におけるすべての自治・権利を委ねられた、インド人が支配する国家のことで、インド亜大陸の中ではほとんど独立王国に等しかった(イギリスは、彼らの反目を利用して巧妙な分割統治を行った)。王国を支配したマハラジャ(ヒンドゥー教の藩王)やニザム(イスラム教の藩王)たちは、絶対的権力と莫大な富を持った古い王族であった。当時のヨーロッパ列強に匹敵する国力を持つ王国も多く、例えば第一次世界大戦では、各地のマハラジャ率いるインド軍は、人員面でも金銭面でも、大いにイギリスを助けたものである。(もちろんイギリス直轄下にも、精強なインド兵がそろっていた。)

カシミールは、大小およそ560を数えた藩王国の中でも、グワリオルやハイデラバードに並ぶ、広大な領土を持った大国だった。住民の生活は、イギリス直轄地のそれよりもはるかに豊かだった。藩王家は、ヨーロッパの王族もうらやむ大金持ちで、「ハスの花をかたどった黄金の日傘の下、ダイヤをちりばめたメダイヨンの輝くモスリンのターバンを頭に巻き、父祖伝来の家宝のエメラルドを真ん中に抱いた12連の真珠の首飾りを身に着けていた」そうだ。
カシミールでサファイヤが発見されたのは、1881年のことである。ふとした偶然で発見された美しいサファイヤは、次々と人手を渡りながらデリーに運ばれ、その真価が知れるや、インド中の宝石商人の注目するところとなった。鉱山はすぐにマハラジャの監視下に入り、大量のサファイヤが採集された。藩王の金庫は当時大いに潤ったことだろう。余談になるが、1846年、第一次シーク戦争で、シークをカシミールから追い出したイギリス東インド会社は、現金600万ルピーと、毎年ヒマラヤ・ヤギのムク毛で織ったパシュミナのショール6枚を貢納する条件で、藩王家にこの土地を売却したが、もしその時点でサファイヤが発見されていたら、当然、宝石も貢納条件に入っていただろう、などと想像するのは楽しい。

発見のいきさつをもう少し詳しく書くと、その年、スリナガルのはるか南東方、ザスカール山脈のスージャムという村の近くで山崩れが起こり、花崗岩の岩脈を含んだ、古い石灰岩と片麻岩とが交錯した巨大な露頭が現れた。その中にペグマタイトのポケットがあって、トルマリンとサファイヤの結晶が発見された。ポケットには、粘土がいっぱい詰まっており、簡単に結晶を抜き取ることが出来たという。サファイヤは青色から灰色、ときにピンク色を帯びたものが採集され、一部は非常に美しいコーンフラワーブルーであった。大きなものでは、300カラットくらいまでのものが取れたが、多くは色がうすかったという(春山行夫「宝石1」による)。カシミールサファイアは、当初大量に採掘されて、大いに出回ったが、あまりに沢山採れるので、青めの紫水晶と思われて随分安い値段で取引されていたらしい。その後、サファイヤであることが知られると、カシミール藩王の注目するところとなり、採掘にはマハラジャの許可が必要となった。そのことがサファイヤの価値と価格を(高値)安定させた。けれども、ほどなく産出が激減し、20世紀の初めには、いったん宝石市場の表舞台から姿を消したようだ。またその産地は長らく、西方世界には知られず、カシミール人の間で密かに採掘されては、ジャイプールあたりで、加工されていたらしい。
その後、二度に亘る世界大戦、インド独立、独立に伴って勃発したパキスタンとインドとのカシミール紛争、国土の分割、中国との国境紛争など、カシミールにとって多難な時代が続いた。その間、地元の業者は細々と採掘を続けていたようだが、採集量はやはり微々たるもので、市場を形成するにはいたらなかった。1927年に新たな鉱山が発見され、二次大戦後も採集が続けられていたというが、現在どうなっているのか、筆者は資料を持っていない。ただ、産地のザスカール地方は、海抜4556mの高地で、一年のほとんどが深い雪に覆われているため、採集作業自体が、非常に困難であるという。かつてのような美しいサファイヤは、年に数個採れるくらい、あるいは事実上絶産に等しいらしい。(別の資料では標高4023mにある傾斜20度の険しい斜面、となっている)
スミソニアン博物館のキュレータを務めるジョン・ホワイト氏は、「カシミール産の青いサファイヤは、他のサファイヤの品質を比較する基準となっていますが、そこでは長い間サファイヤが採れていません」と書いている。(「地球のしずくたち」)

別の著者の本には、「本物のカシミールサファイヤが市場に現れることがあるとしたら、100年前に採掘、研磨されたものが、アンティークのオークションで売りに出される時くらいで、コレクター垂涎の的となっている」とあり、希少価値と相俟って、非常な高値がついているという。
ここで「本物の」と断っているのは、カシミールサファイヤの名前で、他の産地のサファイヤが販売されるケースがあることを暗示している。


さて、ここからは、私の体験談である。インド旅行の折、いろんな宝石店を回る機会があって、カシミールサファイヤがないかと探したけれども、これがコーンフラワーブルーだ、という基準を知らなかったので、結局よくわからなかったという、まあ、たわいもない話だ。しかし、インドらしい訳の分からなさが横溢し、私にはそれなりに楽しかったので、その雰囲気をお伝えしたいと思うのだ。(つまらなかったら、ごめんなさい)

念のためお断りしておくと、見たり、聞いたり、思ったりしたことをそのまま書いただけなので、私の見解が事実に近いという保証はない。旅ってこんなもん、程度に読んでいただければ幸いである。


北インドへ行ったときのことだ。
ジャイプール、アグラ、デリーの3つの町を観光して回った。(このときの旅行はビジネス出張であった−でも何の仕事だ?)

この3都市は、それぞれ200キロくらいずつ離れた位置にあり、結ぶと、北インドの中央に3角形が描ける。北インド観光の中心ともいえ、旅行社のパンフなどには「悠久のインド・黄金のトライアングル」などと書いてある。これは誇張ではなく、実際に、その通りである。
ジャイプールは、ラジャスタン州の州都で、西方に広大なタール砂漠が広がっている。乾燥地帯に開けた町で、象やラクダをよく見掛けた。かつてムスリム(ムガールなどのイスラム教国)に対抗して、この地を支配していた強大なヒンドゥー諸部族(ラージプート族)の名残をとどめ、赤砂岩で作られたアンベール城や風の宮殿が有名である。
アグラは、その東、ウッタル・プラデシュ州にあり、ジャムナ河のほとりの町である。白い大理石で作られた霊廟、タージ・マハル廟が有名だ。全インドを300年間にわたって版図に収めていたムガール帝国が、一時首都をおいていた時代に繁栄した町である。(王朝がデリーに移ると、あっさり、さびれてしまった。)
デリーはこの2都市の北方にある。ムガール帝国から英領インド時代を通じ、独立した現在も、インドの首都となっている。色白のアーリア系の人が多く、雰囲気が他の町とは全然違っている。ニューヨークがアメリカでないように、デリーはインドではないというインド人もいる。

我々は、まずジャイプールに入った。ジャイプールは「宝石の町」と呼ばれており、宝石研磨産業の世界的な中心地の一つである。タイやミャンマーで採れるルビーやサファイヤ、あるいはブラジルのエメラルドといった宝石の原石は、バイヤーの手でこの町に運ばれ、高い技量を持つ宝石職人たちの手でカットされて、世界中に流されてゆくという。またオランダでカットされたダイヤの残り屑、あるいは小さな原石も、人件費の安さを強みに、ここでカットされ、小粒のダイヤ(メレーダイヤやカラットの小さなダイヤ)として市場に流されるそうだ。私たちは、普通に観光した後、市内の宝石店へと足を伸ばした。
ことさら宝石好きがそろっていたわけでもないのだが、せっかく宝石の町にきたんだから、何か手頃なものがあったらお土産にしようじゃないかと、自然に話がまとまったのである。
ガイドブックによると、インド産の宝石としてはガーネット、スタールビー、スターサファイヤ、エメラルドなどが有名だとのこと。かのゴルコンダ産のダイヤは、どこへいったのだろうか。

さて、私は、狙いをカシミールサファイヤに絞ることにした。この幻の宝石を、私は、まだ見たことがなかった。一度、ある宝石ブローカーが、小っちゃなルースを手に入れて、ン百万円の値段をつけて売っていたことがあったが、いつも金庫にしまってあったので、結局見る機会がなかった。本当のコーンフラワーブルーとは、一体どんな色だろうというのは、私の長い間の疑問であった。それを知るには、久しぶりにインドに来た今こそ、絶好の機会だと思われたのだ。もちろん、そこらへんにころがっているようなものではない、ということは承知していたが、もし見つかるとしたら、カシミールか、あるいはこのジャイプールがもっとも可能性の高い土地であろう。たとえ見つからなかったとしても、日本で聞くよりも、もっと生々しい現地の事情が聞けるのではないだろうか。私はそんな期待を抱いて、カシミールサファイヤ探索を始めた。以下、話は4つのエピソードからなる。

第一は、ジャイプールで最初に訪ねた宝石店でのことである。
その店は、町のほぼ中心部にあった。わりと大きな店で、宝石の販売がメインのようだったが、どこか観光客相手といった、独特の雰囲気があった。
店に入って早速、「カシミールサファイヤのルース(裸石)はありますか?」と訊ねると、「もちろん」との返事が返ってきた。私たちは、丁重に奥にある別室に通された。実のところ、そんなに簡単に見つかると思ってなかったので、少々面くらった。店の人が、小さな金庫を開けると、中に白い紙包みが束になって入っていた。一つ一つを選り分けてゆく。中の一つを出して、包みを開くと、テーブルの上に広げた。数個のカット石が現われた。これがそうか、と覗き込む。色褪せたような青灰色の石・・・・・・?
「カシミールサファイヤがみたいのですが」と私。疑念を隠せない。
「イエス、イエス」と店の人。
「でもこれは、違うでしょう。」
そう言うと、相手の口元が緩んだ。
「これはスリランカのサファイヤでしょう?」(実は紙包みに書いてあったのをちらと見た)
「イエス」
モノがわからないと思って、甘くみているのか?

「・・・・もう結構です。」
「まあまあ、待ちなさい」
席を立とうとする私を押しとどめて、店の人は、別の紙包みを開いた。
「ほら、これ」
濃い青紫色のきれいな石が一個、紙の上に乗っている。大変美しいインクブルーだった。
先程の石とは全然違う、濃い青だ。
しばらく見とれていたが、やはり確認することにした。
「この石の産地はどこですか」
「インドですよ」
一緒に見ていた連れが、これがそうなの、と私に聞く。「さあ・・・・」
どうも違うような気がする。いくら奇麗でも、これでは他の産地のサファイヤとそう変わりがない。
「カシミールサファイヤですか」
「インド産です」
「インドのどこですか?」
「南インド」
「南インドのどこ?」
「ダール。本物のインドサファイヤ。」
「私はカシミールサファイヤが見たいんです! 」

言い合っていると、店のオーナーらしき人が現われた。
「カシミールサファイヤは、フィニッシュです。もう採れません。ほら、これが本物のカシミールで採れたサファイヤです。店にあるのはこれだけです。」
そして、小さなサファイヤの粒を糸で綴ったネックレス(チョーカー程度の短いもの)を机の上に載せた。
スリランカで採れる、透明な淡い紫の石に似た5ミリ程度の粒で、決して奇麗なものではなく、質の劣ったくず石にしか見えない。角のない不規則な形から、水磨礫と思われた。そんな粒が数十個。お土産屋さんで、500円から1000円くらいで売っている貴石のネックレスそっくりである。値札にカシミールサファイヤと記してあり、値段はというと、外見からはとても想像できないほど高価だった。
「これがカシミールサファイヤなのですか?」
「そうです。これはずっと昔に採れたものです。今ではもう採れません。」
その返答には納得しながら、それなら最初からそう言ってくれと思わずにいられなかった。
こうして、やはりもう採れないらしいということ、カシミールサファイヤがすべて、最高の色を持っているとは限らないということを学んだ。考えてみれば当たり前で、どんな産地だって、採れる宝石すべてが、最高の品質であるわけはないのだ。これが、体験その1である。


その2は、ジャイプールの別の宝石店でのことだ。皆でホテルに戻った後、個人的にガイドさんに連れていってもらった高級店である。「そこならあるかもしれない。ここになければどこにもない」というので、行ってみたが、確かに門構えも立派で、在庫の豊富なお店だった。
カシミールサファイヤを、というと、さっきと同じように奥の部屋に通された。

まず見せてくれたのが、3カラット弱の実に美しいサファイヤだった。比類のない鮮やかな青だった。熱処理をしていない天然の色だという。
透明で、テリが強く、手の上で動かすと底面のファセットに光が反射してきらきらと光った。
「カシミールサファイヤです。これが本当のコーンフラワーブルーです。」と店の人。
思わずため息をつきながら、値段を聞いた。なんとも微妙な金額が返ってきた。普通のサファイヤと比べると何倍も高く、しかしカシミール産としては、安いのではないかという頃合いだった。
「カシミールサファイヤはもう採れないと聞きましたが?」と探りを入れる。
「その通り。けれども10年に1個か2個、見つかることがあります。」
「それで、この石はいつ仕入れたものですか?」
「3年前です。」
「確かにカシミールで採れたのですか?」
「もちろんです。信用できるバイヤーから仕入れたもので、間違いありません。保証します。」
「では、私がこの石を買ったら、これはカシミール産だということを保証書に書いてもらえるのですね。」
「いえ、それは出来ません。カットした宝石を鑑定して、産地を特定した保証書を見たことがありますか。想像はしても、保証書には書きません。ですが、それは問題ではありません。私と社長の二人は、これがカシミール産であることを知っています。99%間違いありません。」

真偽はともかく、たいへんに美しい石だったので、しばらく黙って眺めていた。私の脳裏には、「独特のもやがかかったようなヘイジー効果」という呪文が駆け巡り、この素晴らしく透明な石は、むしろスリランカ産の特徴ではないか、などと不埒な考えが湧き起こっていた。その一方で、これこそコーンフラワーブルーと呼ぶに相応しい青さだとも思うのだった。私にはきちんとした基準がなかったから、なんとも判断しかねたのだ。そのうちに、彼は、他の石も取り出してきて、いくつか並べて見せてくれた。いずれも深い青紫の石で、サファイヤとしてはかなり質のいいもののようだった。ただ最初の石とは全然色目が違った。最初のは、まったく例外的な色のようだった。最後に、2カラットくらいのハート形にカットした石が出てきた。それは、とりわけ彩度の高い、濃い青紫の石で、光を当てると、非常に美しく輝いた。

「これもカシミールのサファイヤです。熱処理をしていない天然の色です。ここに出したほかの石も、普通はカシミールサファイヤと言っていますが、見ての通り、(全然わからない)、スリランカで採れたもので、本物のカシミール産は、これと最初の石の2つだけです。これが本当のコーンフラワーブルーです。」
その話は、またも私を混乱させた。2つの石は、どちらも非常に美しかったが、色も透明度もまったく違っていたから。最初のものは透明で、テリがつよく、純粋な青で、中央部は見る角度によって窓が空いたように色が淡くなり、底面のファセットが透けてみえた。後のものは、半透明で、色が濃く、強い光では、この上なく美しいが、少し暗いところでは、真っ黒に見えるくらいの紫がかった石だった。
「あなたは、さっき、この(最初の石の)色がコーンフラワーブルーだと言った。今度はこっち(後の石)が、そうだという。全然違う色じゃないですか。」
「コーンフラワーブルーには二つのタイプがあるのです。どちらもコーンフラワーブルーと呼ばれています。」
「それは、妙な話ですね。」
「いいえ、本当です。どちらも天然のカシミールサファイヤです。最初の石のほうが、より珍しい色ですが。」だんだん話が混乱してきた。しかし美しいことはとても美しかったので、礼を言って店をあとにした。

こうして、2番目の店では、かなり美しいサファイヤが拝めた。そして、コーンフラワーブルーというのが、特定の色を指すわけではないらしいということ、美しいスリランカ産の石をカシミールサファイヤの名前で売ることがあるらしいという知識を仕入れることが出来た。


3番目の体験は、デリーのホテルでのことだった。実はジャイプールを後にしたとき、この旅行では、もう宝石屋さんに立ち寄るチャンスはないだろうと思っていた。事実、次に訪れたアグラでも、デリーでも当初まったくその気配はなかったのである。それが、ひょんなことから、道が開けた。

デリーでは、郊外に近い高級ホテルに宿をとった。広々としたエントランスホールから、らせん階段で吹き抜けの地下に降りると、広いショッピングモールがあって、置物、調度品、衣類、宝石などの店が入っていた。こういう高級ホテル内の店には、かなり質のよいものがおかれている。
またまた余談だが、普段インドで、市場へ買い物にいくのは、下層階級(人口の7割を占める)の人たちである。中流層以上は、すこしランクの高い専門店へ行くか、御用聞きを使うという。もちろん召し使いを使っているような家庭では、彼らが買い物に行くこともある。そして上流階級の人たちは、自分で買い物に出ることは、まずないそうだ。中流以上の家には、たいてい出入りの商人がいて、欲しいものを彼らに言うと、どんな商品でも、どこかで都合してもってくるのだそうだ。払いは節季払いという。昔の日本みたいである。

さて、ホテルの高級ショップには、さっき書いたように、市場と比べて質のいいものがそろっている。値段は何倍もするが、インドでは物価が安いので、外国人にとってはそう深刻な問題でもない。逆に商人から見ると、ホテルに店を出すのは、もうけは莫大だが、一方で大変なコネとお金が必要で、ハイリスク・ハイリターンである。ガイドさんが言うには、権利を買うのに2000万円くらい払わなければならないそうだ。値段が高いのは、そういう事情も含まれているからだ。(日本でも、同じか。)
私たちは、暇つぶしに地下をぶらぶら見てまわっていて、一軒の店に自然に集まってきた。それは、インド北西部でとれる、綿や毛糸を加工した布製品の店で、ショールやサリー(衣類)、マフラーなどを扱っていた。わりと品が良く、交渉していると値段もある程度こなれるので、お土産をあさる日本人たちのお眼鏡に適ったのだ。私たちは大量のショールを(誰に贈るんだか)ネタにインド商人と22時頃まで値段交渉をした。その夜は、店主が根負けの姿勢を見せて、大商いが成立したので、皆上機嫌だった。
若い店主ともっと若い使用人は、お買い上げ品を包むのにおおわらわだった。

私たちは、翌日の午後も同じ店に押しかけた。そして、昨夜以上の値段を引き出そうと総力戦を展開した。その結果、またまた荷物が増えたのだが、その時私は、現金がなかったので、日本円で払いたいといった。すると、店主は日本円で値段を提示したあと、商品を渡しながら、フロントで両替をするのに付き添って欲しいと言った。(実際は私が両替をして、そのまま現地通貨を彼らに引き渡すのだ。)若い相棒と私は、二人で階段を上ってフロントにいった。両替を待つ間、なんとなく、

「大勢で、たくさん買ったから、君らは大儲けをしたね。」と話し掛けた。
「とんでもない。」青年は、顔をしかめた。「あまりに安くしすぎだ。元が取れない」
そんなことはインド商人に限ってありえない(彼らは原価を割ってるのがわかったら、売ったものでも取り戻しにくる)のだが、彼の真剣で、素朴な態度に好感を持った。
「君らはどこから来たの」
「カシミールだ」
「へえ、カシミールか」そういえば、彼らの顔立ちは、デリーあたりのアーリア系のものでも、ヒンドゥーらしいドラビダ系のものでもなかった。
「いいところらしいね。一度は行ってみたいな。私はスリナガルやクルマナリに行くのが夢なんだ。」
「クル・マナリ。それはいい。インド人にも人気があるところだ。山が好きなのか」
「そう。それと、宝石が好きでね、カシミールサファイヤを見てみたいんだ。そういう宝石のこと、知ってる?」
すると、急に彼の態度が変わった。

「カシミールサファイヤを探してるのか」
「そうだ。知ってるの?」
「もちろんだ。・・・・ もうどこかで買ったか」
「実は4日ほど前に、カシミールサファイヤだという石をみたんだけどね。でも本当は、もう採れないのだろう?」
すると、青年は意外なこと言った。
「それは、違う。たくさん採れる。」
そのうちに、両替が終わった。と、
「サー。もう一度店に戻ってもらえませんか。」
「なぜ。」
「ボスがあなたと話しをしたいと思う。」声に切迫した調子があった。

店に戻ると、早口に、「この旦那は、カシミールサファイヤを探しているそうだ。何日か前に見たといっている。」
すると、店主の態度も変わった。
「何?本当か。」ほとんど詰問調で迫ってきた。
「本当だ。」
「そんなはずはない。どこで見たんだ。」
「ジャイプールだよ。」
「ああ・・・・・」矛先が少しにぶった。
「それなら、ありうる。で、どんな大きさの石だった?」
「まあ、2,3カラットくらいだ」(と適当に言う)
「いくらだった?」
答えると、考えこむように黙った。
「一体どうしてそんなことを聞くんだ?」と私。すると店主はきっぱりと、言った。
「それは、我々のもうひとつのビジネスが宝石売買だからだ。」
「えっ?あなた方はこの店のオーナーに雇われてるんだろう?宝石店でも働いているのか。」
「そうじゃない。これは我々のサイドビジネスなのだ。我々はカシミール人で、代々宝石を扱っているんだ。」
「では、カシミールサファイヤを持っているのか。」
「もちろんだ。」
そして、2,3カラットの大きさの石なら、だいたいこれくらいの値段で売ってもいい、と慎重に値段を告げた。私が教えたジャイプールの値段の半分だ。
「それは本当か。半値じゃないか。」
「その店の石はみていないから、どんな品質のものかわからない。だからその店が高いかどうかはいえない。だが、私が売る石は、ほんとうのピーコックネックの最高のカシミールサファイヤだ。」
「ピーコック?」
「知らないのか。孔雀の首の色だ。ベルベットのような素晴らしいブルーだ。」
「あなたがいうのは、コーンフラワーブルーのことか」
「そうそれだ。」

こうして、思わぬ成り行きから、ショールの店の主は、カシミールサファイヤを扱うことがわかった。翌日、石を持ってくるというので、見せてもらうことにして、その夜は終わった。

翌朝9時、私たちはまたも彼の店を訪れた。彼は二個の石を用意していた。1個は約4カラットの大きなサファイヤで、もう一個は2カラットくらいだった。大きい方の石は、ほどよく濃い青紫色の石で、日光の下で見ると、半透明の面が、強いブルーの光を放った。常にきらきら光っているわけではないが、石を動かすと、ある一瞬吸い込まれそうな輝きを見せるのだ。小さいほうは、ややいびつな形をしていたが、同じ色目で、幾分すっきりした印象だった。
「どうだ。」と彼。
「素晴らしい。随分大きなサファイヤだな。」
「そうだろう。この石の原石はな、こんなに大きい塊だったんだ。(とサッカーボールくらいの大きさに手を広げた。) 6年前に見つかったんだ。その塊から、やっとこれだけの宝石が採れたんだ。こんなのは他にはない。どちらも最高のコーンフラワーブルーだ。」
「そうだろうなあ。だが、小さい方は、カットが変だな。面がそろってないじゃないか。」
「ああ、それは、なるべく大きな宝石をとるために、そんなふうにカットしたんだ。まったく問題はない。」
見せてもらった石はどちらも美しい色だったが、カットがいかにも荒く、洗練されていなかった。大きい方の石は、面の一部にクラックがあって、表面が少し欠けていた。確かに石は良かったが、細工が悪かった。ジャイプールの職人のように、いつも宝石を磨いている、熟練した手でカットされたものではない、と思った。

値段を聞くと、すごいことを言った。昨日言っていた値段とは、はるかにかけ離れていた。モノが違うのか、いけそうだと思ってふっかけているのか、ちょっと判断できなかった。黙っていると、もっと小さい石もあるが、見るかと問い掛けてきた。1カラット以下のなら沢山あるという。
「いや、いい。私は2,3カラットのものがいいんだ」と言うと、肯いた。そして付け加えた。
「その方がいい。サファイヤは沢山あるが、実は、ほとんどスリランカの石なんだ。どうせあんたは欲しがらないだろうし、私も奨めないが。本当のカシミール産のサファイヤは少ない。めったに採れるものじゃない。ここに見せた2つは保証する。私は、原石が採れた時から知っているから。」
「あなたの家業は、宝石商なのか。」
「いいや。だが、祖父は宝石の研磨職人だった。」
とすると、この2個の貴重なサファイヤは、彼の一族が磨いたのだろうか。私たちは、しばらくの間、黙って石を見つめていた。おそらく、これこそ探していたカシミール産のサファイヤだろうと思ったが、私はあまり心を動かされなかった。カシミールサファイヤ、というラベルがついていなかったら、ほとんど気にとめなかったかもしれない。それは独特の石だったが、美しさという点では、先日ジャイプールで見た、素晴らしいカットの石に、まったく及ばなかった。私は、どうしていいかわからなかったので、とっくりと眺めた後、また後でと言って、店を出た。

こうして、私はついに、これこそ本物だろうという、カシミールサファイヤを見た。見せてもらった石は、たしかに上品な青さを持ち、どこかぼんやりした、独特の美しさがあった。私としては、それがカシミールで採れたことは疑いがないように思える。いまでも、少量ではあるがサファイヤが採れて、一部のカシミール人が販売ルートを握っているらしい。
ただ、その二個が最高のカシミールサファイヤだったかという点では、疑いをもっている。本当はもっとすばらしいものがあるのではないだろうか。少なくとも往年の石は、もっと美しかったのではないだろうか。でなければ、どうしてこれほどまでに賞賛されたのかわからない。おそらく、カシミールサファイヤは、いまでも採集されているけれど、かつてのような優れた品質の石は、ほとんど見つからないといったところではないだろうか。
とはいえ、結局は、「これがコーンフラワーブルーだ」というしっかりした認識を、私自身が持っていないことが、本物を見てもわからない、根本の原因であろう。

ついでに、またも余談をひとつ。この旅行では、デリー出身のインド人通訳がついていた。彼は、サイドビジネスに、人のお金を預かって株式投資をやっているという、なかなかに目端の利く人物だった。彼が、カシミールサファイヤに興味を持った。「日本でなら、随分高く売れるだろう。」と私がいうと、「なら、私があの石を買って日本に持っていきましょうか。」という。私は、「販路があるのなら、やってみるといい。」と答えた。 すると、冗談のつもりだったのか、少し笑って、「だけど彼らは、多分私には売ってくれないでしょう。」と、意外なことを言った。
「どうして」
「彼らがカシミール人だからですよ。カシミール人は、インド人が嫌いなんです。あなたは外国人だから売ってもらえますが、私ではどんなに頼んでも駄目でしょう。」

インド人は、歴史的に、階級意識や、同族意識が強いのだが、それがこんなところにも顔を覗かせるんだな、と生々しい実感があった。以上、エピソードその3である。


最後の話は、その夜デリーを発って日本に帰るという日のことである。一行は、それまで(例のホテルを除いて)あまり土産物を買ってなかったので、最後に物産店にいくことになった。ガイドさんが言うには、そこは、本物しか置いてない店で、値段交渉は出来ないが、質の良い品物が揃っているということだった。

私たちは、誕生日を迎えたメンバーの一人に、スターリングシルバーの脚つきカップを買ったり、アグラの白大理石の象嵌細工のコピー(デリーで作っているもので、アグラ製よりは質が劣る)を見たり、それぞれの買い物をした。店内には宝石ショップもあって、一行の一人が何か買うというので、ついていった。そこで、これが最後だなと思って、またも、カシミールサファイヤがあるか、と聞いてみた。

「ああ、たくさんあるよ。選んであげよう」というのが返事だった。例によって、「もう採れないと聞いていたが」と決まり文句を言うと、「いやいや、いくらでもありますよ。」と自信たっぷりにいう。そして白い紙包みをあけて、大変に美しい1カラット前後のカット石をいくつか見せてくれた。私たちに、指を揃えて出すように言い、一番いいのを見繕って、指の間に乗せてくれた。値段を聞くと、驚いたことに、カラットあたり、ホテルで見せてもらった石の10分の1くらいだった。私は、二の句がつげなかった。

とはいえ、見せてもらった石は、確かにきれいな色だったので、メンバーの一人が気に入って、買うことにした。彼は、私の影響を受けて、「これはカシミールサファイヤかね」と念を押した。「もちろんだ。ちゃんと保証書をつけるから、心配いらない。」と店主。

そして、その店が発行する保証書に、「お買い上げ、青いカシミールサファイヤ、xxカラット、ナチュラル」と本当に書いた。だから、その人は、保証書つきのカシミールサファイヤを手に入れたことになる。

これが、話その4である。以上、インドでのショッピングの香りをいくらか味わっていただけたろうか。

結局、カシミールサファイヤについてのコメントは、採れない、何年かに数個採れる、たくさん採れる、と店によって、人によって、さまざまだった。コーンフラワーブルーと称する色も、これがその色だ、というのはわからなかった。やはり、宝石を見るのは、それなりの信用出来そうな店に行くべきで、見る人自身、店の人だけに頼らず、しっかりした勉強をしなければならないなあ、というのが私の感想だ。個人的には、「話その3」の石が本物かなあと思ったが、もっとも感動したのは、「その2」の石で、これは実に素晴らしかった。いずれにしても、いい眼福になったし、ちょっとした土産話も出来たので、私としては満足なインド旅行であった。

まあ、こんなところで、このページを終わらせていただこうと思う。ご苦労さま。

>>>続編「孔雀の首の色の宝石

SPS (1999.4.18)

 

このページをお読みになった、H.さんからカシミールサファイヤについてのメールを頂戴しました。宝石にたいへんお詳しい方らしく、いろいろとご指摘下さいました。

  1. カシミールサファイヤだからといって、すべてがコーンフラワーブルーというわけではない。ミャンマー産のような色のもあり、スリランカ産のような色のものもある。またヘイジー効果が特徴とはいえ、要するにインクルージョン(挟雑物)なので、ヘイジーのためにかえって見た目の美しさを損なうこともある。

  2. カシミールサファイヤとして売られているものが、本物のカシミール産であるかどうかについては、現在では科学的な方法で鑑別が可能になっている。従って然るべき鑑定機関による鑑別書のついたものは、まず100%本物のカシミールサファイヤだとみなしてよい。後述のアンティークオークションなどでは、グベリンやSSEF(いずれもスイスの鑑定機関)が発行した鑑別書が添えられて、出自を保証している。日本では全国宝石学協会がレーザー・トモグラフィーを用いて、産地や熱処理の有無を判断し、特別の鑑別書を発行している(らしい)

  3. カシミールサファイヤの実物は日本でも見ることが出来る。たとえば、クリスティーズ・オークションの下見会には毎回何点か出品されている。また東京銀座の和光や、九州のアルビオン・アートなどでもカシミールサファイヤを扱っている。(これらは H.さんが実際にご覧になったもの。)また、この8月にはホテル・オークラ内でカシミールサファイヤ展が催された。

以上


ありがとうございました。H.さんは、これまでにご覧になられたカシミールサファイヤの感想や、それらにどんな値段がついていたかといったことも知らせて下さったのですが、値段については、ここには書かないことにします。機会があったら、上記のオークションや宝石店で是非実物を見ていただきたいと思います。

(99.11.15)


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