宝石の護符 「翼の書」より -(ひま話 2002.12.24)


中国では軟玉にさまざまな事物を刻み、連想される効能を玉の霊力にマウントした護符が愛用されてきました。同じような信仰は、実は西洋でも早くから見られ、各種の宝石・貴石を素材として、さまざまなモチーフの護符が作られています。
古代バビロニアの円筒印章や、エジプトのスカラベ、ヒエログリフ(神聖文字)を刻んだ貴石などは、そのもっとも古い例といえるでしょう。円筒印章は、初期(BC4000年〜)には蛇紋石やペルシャ湾で採れるコンク貝などを素材に、後にはレンガ色の鉄水晶やヘマタイト、カルセドニー、サフィリン(青い石)を使って、所持者の印、動物の像や文字を彫ったものです。それは実用的な印章というだけでなく、押印された誓約を縛るなんらかの呪術的要素を帯びていたといわれます。ただ、石が彫刻のための単なる素材だったか、魔力を期待されたものだったかはよく分かりません。余談ながら後世、畑を掘っていて出土した印章を、クレタ島の農夫たちは「ミルクの石」と呼び、家畜の乳の出がよくなる護符として珍重したそうです。

一方、エジプトの「死者の書」には、心臓や眼の形をした護符について記述があり、こちらは明らかに石そのものに神秘的な魔力が付与されています。例えば、ミイラの首には赤いジャスパーや斑岩、赤いガラスなどイシスの血を象徴する護符が掛けられ、あらゆる害悪から死者を保護するものと信じられました。また緑の碧玉やラピス・ラズリなどを心臓(またはスカラベ)の形に彫ったものは、死者自身の魂の宿りと見なされ、「私の心臓は母より与えられたものである。私が変身するために必要なものである。」といった呪文を唱えながら秘蹟の油を注がれ、ミイラの傍らに埋葬されました。心臓になる石はラピス・ラズリ、長石、紅玉髄、蛇紋石など、崇める神や唱える呪文によって、さまざまなバリエーションがありました。
太陽と再生のシンボルであるスカラベには、生命、善きもの、力あふれる、子供が生まれる、あけましておめでとう、といった意味のヒエログリフが刻まれました。

こうした護符の製作は、当然ながら彫刻と描画法という純粋にテクニカルな技術の発達とともにあり、時代が降るほど彫像は精緻になり、またより硬い宝石への加工が可能になってゆきます。紀元前後にはオニキス、カーネリアンなどに加え、エメラルドが用いられることもあり、まれにルビーやサファイヤも使われました。モチーフとしては、自然界の動植物に加え、神々や王たちも登場します。ローマ時代には占星術の隆盛に伴って、ゾディアック(黄道十二宮)のシンボルを刻んだ護符が流行し、またアレキサンダー大王の護符も人気を呼びました。大王の姿には強大な魔力が宿ると信じられたのです(ちなみに大王は征戦の時、いつもプレーズ(緑石英)の護符をガードルにつけていました)。

宝石はそれ自体が自然のアートであり、神秘的な力を持つものとして古来あらゆる民族に尊崇され、それぞれに伝説を育んできましたが、文明の発達と異文化交流は、これら出自の異なる信仰を互いに融合させ、オーバーラップさせてゆくこととなりました。このテーマは広く深いので、ここでは略記するに留めますが、旧約聖書中の高僧が用いた12種の宝石を嵌めた胸当て、バビロニアの占星術、エジプトの宗教、ギリシャ・ローマ神話、キリスト教といった要素が入り乱れ、ときには牽強付会な効能が主張されることもありました。地中海文明の交易都市アレキサンドリアでは、多数の伝説と商業主義が折衷した結果、ヌエ的な護符が百出したといいます。たとえてみれば、仏教国の日本で、盛大にクリスマスが祝われ、山下達郎(今年は少ない)とラストクリスマスともろびとこぞりてが鳴り響き、ダイヤモンドが愛の記念にプレゼントされるような状況でしょうか。
あるいは2世紀に始まるグノーシス派の流れを汲む護符(アブラクサスと呼ばれる鳥の頭と蛇の足をもつ奇体な存在を刻んだものが有名)は、教義の精通者はともかく、一般人には当時でさえその意味するところを理解できなかった様子です。

像を刻んだ宝石の護符は、4〜5世紀にいったん鳴りを潜めてしまうのですが、中世に入って再び花を咲かせます。宝石信仰が体系的にまとめられ、護符の魔力を最大限に引き出すために、宝石とモチーフの最高の組合わせが探求されたのがこの時代でした。いくつもの宝石書が世に表れ、各々効能を主張し、その影響は長く後世に及びました。
一例として「翼の書」に記されたレシピをご紹介しましょう。これはユダヤの伝統とギリシャ・ローマ文化の影響下に書かれた13世紀の書物で、作者はラギエルとされています。曰く、

龍の美しく恐ろしい姿をルビーの上に、あるいは同様の効能を持つ石の上に彫ったものは、この世での幸せを増大させる力を持つ。それを身につける者に、喜びと健康をもたらす。

鷹の姿をトパーズに刻んだものは、王と王子たち、そして有力者たちの好意を得る助けとなる。アストラーベ(昔の天体観測儀)をサファイヤに刻めば、富を殖やす力を得る。それを身につける者は未来を予言できるようになる。

ライオンの精細な像をガーネットに彫ったものは、名声と健康を保護し、身につける者をすべての病から癒し、名誉を授け、旅行中のあらゆる危難から守る。

クリソライト(当時のトパーズ)にロバを彫ったものは、未来を予言する力を授ける。

雄ヒツジ、あるいはあごひげを生やした人物をサファイヤに刻んだものは、多くの病気(弱点)を癒し、それらから守る。同じように、毒を逸らし、あらゆる悪魔を退ける。これは王のイメージである。威厳と名誉をもたらし、身につける者を高貴にする。

カエルをベリル(当時のベリルはエメラルドやアクアマリンでない)に彫ったものは、敵を宥め、不和のあったところに、友情を生み出す。

らくだの頭、あるいは2匹のヤギがギンバイカ(天人花、ビーナスの神木)の間から覗いている姿をオニキスに彫ったものは、悪魔を召喚し、束縛する力を授ける。これを身につけるものは誰でも、睡眠中におそろしいビジョンを見るだろう。

クリソライトにハゲワシを彫ったものは、悪魔とその破壊的な諸力を束縛する。悪魔を操り、宝石のある場所から彼らを遠ざける。彼らの執拗な要求を退ける。悪魔はそれを身につける者に従う。

ヘリオトロープ、ブラッドストーン(血石)にコウモリを刻んだものを身につけると、悪魔を支配する力を授かり、魔法をかける助けとなる。

グリフィン(鷲の頭と翼、ライオンの胴体を持つ怪物・グリフォン)を水晶に彫ったものは、ありあまるほどのミルクを生み出す。

カーネリアンに、豪奢な服を着て、美しい装飾品を手にした人物を刻んだものは、出血を抑え、名声を授ける。

ライオンまたは射手をジャスパーに彫ったものは、毒に対抗する援助を与え、熱病を癒す。

弓矢を持ち鎧を着た人物をアイリス・ストーン(虹色の水晶か?)に彫ったものは、それを身につける者も、それを置いた場所も、災厄から守る。

剣を手にした人物をカーネリアンに刻んだものは、石を祭った場所を落雷と嵐から守る。身につける者を不道徳な誘惑から遠ざける。

プレーズに彫った雄牛は、悪の魔法に対抗する援助を与え、行政官の好意をもたらす。

タラゴン(ハーブ)の背後にいるヤツガシラ(美しい冠毛を持つ鳥)の絵を彫ったベリルは、水の精を呼び出し、彼らと会話する力を授ける。同じく強大な死人を召喚し、彼らに質問し、答えさせる力を授ける。

Celonite(不明) にツバメを刻んだものは、人々の間に平和と友愛を築き、維持する。

右手を高く掲げた人物をカルセドニーに彫ったものは、訴訟に勝利をもたらし、身につける者を健康にし、旅行中の安全を守り、すべての厄を払う。

Ceraunia Stone(雷石?)に神々の名前を刻んだものは、石のある場所を嵐から守る。それを身につける者に敵に打ち勝つ力を授ける。

アメジストに熊を彫ったものは、悪魔を敗走させる効果があり、身につける者を酒酔いから守る。

磁石(ロードストーン)に、鎧を着た人物を彫ったものは、魔法をかける助けとなり、身につける者を戦いに勝利させる

以上、クンツ博士の集めた資料の孫引きですが、なんとなく占い専門誌”My Birthday” の「おまじない」みたいですね。当時の人々が悪魔や魔法の力をいかに逸らし、対抗するかに非常な関心を持っていたことが覗えます。こうした組み合わせが今でも有効かどうか私には分かりませんが、悪魔を信じない現代人が悪魔払いの護符を持ってもあまり効果はないでしょうね。
とはいえパワーストーンの解説書や通信販売で見かける護符の宣伝を読むと、少なくとも宝石の発するオーラや霊的効果は現代でも信じられており、また石の形や石に刻まれた模様(文字)が、その神秘的な効果と不可分に扱われているのは確かです。宝石と護符の信仰は今も本質的に有効なのだといえるでしょうか。


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