私はどちらかというと、「よくわからないこと」に惹かれる。鉱物のトピックにしても、この本にこういう説が書いてあるが、ちょっと不自然じゃないか?とか、別の本にはこういう説が載っているけども、ほんとはどうなんだろう?とか考えたり調べたりするのが好きだ。それが私のお勉強で、そういう疑問から始まって興味がどんどん湧いてきて、で、よくわからないまま書いたコンテンツが当サイトのあちこちに腰を据えて迷路を作る。
例えば、最近アップした鉱物記の「青金石の話」だが、「マルコポーロは1271年にラピスラズリ鉱山を訪問した」という、ほとんど定説になっているようなことでも、調べてみると案外根拠はあいまいなものである(年代は明らかに間違い)。
正解はマルコに聞いてみないと分からないので、多分、これからも分からないだろう。鉱山の坑道から、彼の署名入りのハンカチでも見つかれば話は別だが。
また備考2で、70年代のラピスラズリの年産を1トンと書いたが、公表された数字は数字として、実際のところは不明である。一般に宝石や貴石は流通ルートが複数あるし、いわゆる密輸もあるので、たいていはっきりしたことは分からない。
さて今私が気になっているのは、スピネルとバラスルビーの関係だ。
先回アップしたNo.294のルビーのトピックだが、「バラスルビー」がなぜ現在ではルビーでなくスピネルのことを指すのだろうか。
いくつかの断片はある。
有力なのは次の説だろう。ルビーとスピネルは同じ産地で同じ産状で見つかることから、しばしば混同されることがある。バダフシャンのルビーも両者が一緒にされてヨーロッパにもたらされたとみられる。そして有名なバラスルビーの多くが後世になってスピネルであったことが分かったため、そうなったというもの。(ただし、スピネルを指す以前に、ある種の色合いのルビーをほかのルビーと区別してバラスルビーと呼んだ段階があったと思われる−No.294参)
その通りだとすると、歴史に埋もれた本物の(無名の)バラスルビーが気の毒になってくるが、この場合、有名な…というのは大粒の逸品という意味である。
大きなルビーは宝石の中でもとりわけ希少価値の高い方で、10カラット以上のカット石があれば文句なしに大物だといわれる。実際世界の名だたる博物館にして大物のルビーのコレクションはごく希少である。
一方、昔の記録では100カラットを超えるルビーが沢山あったように見える。なぜ?
ここでまた一説にいう。当時のルビーは、コランダム種に属する本物のルビー以外に、ガーネットやスピネルなどの赤い宝石が含まれていた。大物のルビーと伝えられていたものは、実は別種の宝石だったのである、と。
例えば、18世紀以降、ルビーとスピネルが別種の鉱物に属することが広く認識されるようになり、古くから伝わるルビーを調べたところ、イギリス王家の宝冠を飾る「黒太子」をはじめ、その多くがスピネルだったことが分かった。
そのため、「大粒のルビーは存在しない、大きなものはルビーでなくスピネルなのだ」という観念が支配的になったようだ。
しかしなぜ大きな宝石質のルビー(Al2O3)は存在せず、スピネル(MgAl2O4)なら存在するといえるのだろうか?
ルビーについては、結晶学の権威の方が、こんなふうに説明している。
ルビーとサファイヤはどちらも酸化アルミニウムを成分とするコランダムという単純な鉱物である。サファイヤは鉄とチタンによって青色を呈し、酸性の火山活動に伴う花崗岩ペグマタイトや、(よく分かっていないという留保付きながら)玄武岩マグマ中の比較的自由な空間で結晶が成長するため、大粒の宝石が存在する。
一方、ルビーはクロムによって赤く着色するが、クロムは塩基性の火成活動にともなう元素なのでペグマタイト中にルビーはみつからず、普通、接触変成作用を受けた石灰岩や苦灰岩、あるいは広域変成岩中に産出する。宝石質のものは前者に多い。
ここで接触変成作用によって結晶がどんなふうに成長するかだが、これはよく分かっていない。しかし石灰岩が大理石化するプロセスは、固相から固相への遷移だと考えられている。すなわち石灰岩の小さな粒は熱の作用によって固体のままで大きなサイズの粒子に変わるのだ。
このとき、石灰岩に含まれるアルミニウムに富んだ不純物は、熱によって分解し、別の結晶構造を持った鉱物に変化する。こうしてコランダムやスピネルなどが新たに晶出するのである。たまたま微量のクロムが存在すれば、ルビーが出来ることになる。
ルビーが成長するとき、まわりは固体環境なので、最初は粒子間の隙間で結晶化が始まる。そして化学的にも物理的にも比較的弱い石灰岩や苦灰岩を侵食しながら大きくなってゆく。しかしペグマタイト中ほど自由ではないので、透明で大粒の高品質のルビーは生まれにくい、というわけである。
いいだろう。しかしそれなら、なぜスピネルには大粒のものが存在するのだろうか?
バダフシャンやミャンマーの宝石質のスピネルは結晶質の石灰岩(大理石)中にルビーと一緒に生じているのだから、一方はせいぜい10カラット程度にしかならないのに、もう一方は数百カラットの宝石に成長したというのではおかしくないだろうか。あるいは昔はほんとうに大きなルビーが採れたのではないだろうか? それはどこへ消えたのか?
私が今考えているのはこんなことである。
「いや、論より証拠だ。現に大きな宝石スピネルは存在するが、ルビーは存在しないのだ」との反論があるかもしれない。
あるいは、ルビーよりスピネルの方が成長しやすい熱力学的条件や化学反応の平衡条件があって、それを私が知らないだけかもしれない(例えばスピネルの方が母岩に対する侵食力が強いとか)。
しかし、いずれにしろ、こういうふうにあれこれ考えるのが私には愉しいのだ。そうして少しずつ謎が解けていったり、新たな疑問が湧いてきたりするのも、鉱物趣味の面白さのひとつではないだろうか。
補記:この件に関して、「空想の宝石・結晶博物館」さんから、ご教示のメールを頂戴しました。氏のお考えは、晶出可能な温度条件の違いによって両者の結晶の大きさに差が現れるのでは? というものです。
当サイトに紹介してよいか、お尋ねしたところ、当たらずとも遠からずの線で、ひとつの考えとして提示し、反論や異論など議論が巻き上がれば大いに結構、とご快諾いただきましたので、以下に転記させていただきます。ありがとうございます。(2004.5.15)
”スピネルとルビー”の件ですが、私はこう考えます ;
まずスピネルだって大きく美しい宝石質の結晶は滅多に採れるものではありません。チムール・ルビーや黒太子のルビーはやはり歴史的な逸品です。と言っても、ルビーにはあれほどのものはありませんから、やはりルビーの方が大きな結晶が出来にくい鉱物であることは確かでしょう。その原因は主に結晶する温度の違いではないかと思います;
実際に結晶する条件とは異なりますが、火炎溶融法とフラックス法ともにルビーの結晶条件はスピネルよりは少し高いことが判明しました。ヴェルヌーイ法の場合スピネルは1900〜1940℃、ルビーは2040℃。フラックス法ではフラックスの種類にもよりますが、スピネルが1160℃〜1290℃、ルビーでは1200〜1400℃と、いずれもルビーの方が100℃ほど高い温度が必要です。
アフガニスタンの方解石や白雲石の岩盤中での結晶成長条件がどんなものかは不明ですが、かなりフラックス法に近い条件であると考えられます。
ともかく、大きな結晶が成長するためには、結晶材料の供給と圧力に加えて、結晶化に必要な温度が長時間保たれる必要があります。100℃の差は地質的な条件を考えるとかなり大きな差となり、たとえ同じ地質条件下でスピネルとルビーが同時に成長を始めたとしても周囲の温度が下がってくる中で、ルビーの成長が先に止まってしまった可能性は大きいと考えます。
(以上、青字引用)
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