424.サラバウ鉱  Sarabauite (マレーシア産)

 

 

sarabauite

サラバウ石−ボルネオ島、サラワク州、クチン、サラバウ鉱山産

 

毎度のことながら、一面識もない方を知ったように書く無礼をお許し願いたいのだが、この国でサラバウ鉱を語るなら、中井泉というお名前はどうしてもはずせない。

この方は昭和49年、21歳の時に東京教育大学の長島弘三研究室に入って、鉱物の分析を学ばれた。親子2代の希元素鉱物研究家として知られる長島博士は、その頃、益富雲母を研究されていたが、すでに古希をこえた碩学益富寿之助翁とは京都を訪ねるたび会いにゆく間柄、中井氏は昭和50年の春、博士のお供で初めて京都の地学会館を訪れた。そうして翁からボルネオ島で発見された赤色の石を示され、未知の鉱物として研究してほしいと依頼されたのだった。
それが53年(1978)に新鉱物として報告されるサラバウ鉱。中井氏はこの鉱物を修士論文のテーマに掲げ、また後々までその研究に関わり続けたという。
サラバウ鉱の組成はCaSb10O10S6。オキシサルファイドといって酸化物と硫化物の中間的な状態にある珍しい鉱物だ。研究者の興味をそそる材だったのだろう、結晶の合成実験もなされた。 

さて、私はこの標本を入手したとき、いつもの伝で、そんな経緯はちっとも知らなかったが、ある世代に生まれた日本人として、ボルネオ島という、冒険の夢膨らむ南海の、怪獣や首狩り族やオラン・ペンデクや肉食オオトカゲやらが潜んでいそうな秘境の鉱山で採れた希産鉱物に、あやしく心惹かれたのは、誠に自然な成り行きだった。(そうかぁ?)
それからかなり時間が経って、サラバウ鉱の発見に日本人学者が携わったと知ったが、その時には南洋における日本の商魂というか政治的商権にある程度目が開いていたので、名前を聞いただけではそれとわからない本鉱が、日本人に献名されなかったのは、至当とはいえ、それだけの見識があったからだと思った。
それはさておき、初めて会った翁に託された標本が新鉱物として認められ、プロの研究者としての後の人生に大きな影響を及ぼすことになった。益富翁は人と石との関わりを縁石(えにし)と洒落たそうだが、中井氏とサラバウ鉱の間には、確かにそうした縁石が、時とともに育っていったのだろうと察せられる。有難いことだ。

参考:「長島鉱物コレクション展」−2000年 中津川市鉱物博物館刊より 寄稿 中井泉 「恩師長島弘三先生と新鉱物の縁石」

補記:益富雲母は 昭和49年(1974)、益富翁に献名された。

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