No.68 ベルリン

 

東西ドイツが存在したのは 1949年から1990年までのほぼ 40年間で、再統一してすでに30年を経た。ところが学齢期を冷戦時代・東西分断期に過ごした私なぞは未だにドイツが一つだという概念にどこか馴染めないところがある。若い頃に組みあがった知識の体系というか世界観は
世界自体が変化しているのに(し続けているのに)なかなか新しい要素や変貌を取り込みにくいもののようで、ついていけない感じがして気持ちが引き籠る。もしそれが誰しもについて言えることであれば、世界は世界に住む人の数だけ違った姿に映っているのかもしれない。

実際のドイツはというと、東西の往来が自由になり、意見も自由に言えるようになった。統一後に顕著だった東西格差は随分縮まったらしい。それでも統一が成功したかどうかを問うた世論調査(2020年)に「おおむね成功」と回答したドイツ人は 47%に留まり、旧東側では 4割を切った。また 9割近いドイツ人が気質や文化に東西で違いがあると考えているそうだ。(まあ日本でも関西と関東では気質・文化が異なる。)
旧東側の人口は旧西側の4分の1で、人びとには二級市民意識があるという。ドイツはこれからまだ長い年月をかけて、統一の成就に向けて働きかけてゆくことになるのだろう。

ベルリンは今の首都である。ドイツはもともと経済的・文化的に繁栄した長い歴史を持つ都市が各地に散在して、一極集中のお国柄ではないから、
首都といっても格別リッチな(富/資本の集中を匂わせる)雰囲気ではない。むしろこじんまりした街という印象を受ける(空港にしてもかなりローカル感がある)。しかし街を歩くと、文化的には随分進取的で、モードの先端を行ってるのではないかと思わせるキラキラしい空気感がある、気がする。

ベルリンのソウルフードと呼ばれる「カリーブルスト」(カレーソーセージ)はなかなか美味しい。二次大戦後の復興期に始まった人気庶民料理という。

 

カイザー・ヴィルヘルム記念教会
二次大戦時のベルリン大空襲で受けた損傷を留めて
崩れかけた姿のまま保存(最低限の修復)されている。

ポツダム広場
冷戦時は封鎖されて市民の立ち入りが出来ないエリアだったという。
今は再開発されて高層ビルが林立している。
画像に見えるアートな立て板は、ベルリンの壁の残部。

くすんだコンクリートの壁一面に描かれた戯画。
こんなの描くには随分お金がかかると思うが、
なぜお金をかけてまで描くのだろう。

ブランデンブルク門  1791年に竣工した古代ギリシャ風の門。
ベルリン市街戦で損傷。戦後、東ベルリンの西境となり、やがて門の前に壁が
建って通行不能となった。2000年から修復工事が行われて、
現在は東西統一のシンボルとなっている。
市の中心部にあたるミッテ地区にあり、周辺は各国の大使館が並ぶ。

なんだか変なモニュメントがあるなあと思いつつ
迷路みたいに歩いて回ったが、後でホロコースト記念碑と知った。 

なんだか知らないが印象的だったので撮った。(エーベルト通りに面している)

ベルリン大聖堂 博物館島にあるベルリン最大の教会
ホーエンツォーレルン王家の記念教会

博物館島は5つの博物館・美術館が集まったエリア

 

ペルガモン博物館へ


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