No.80 ヘルシンゲル(ヘルシングエーア/エルシノア) その1(クロンボー城)
ヘルシンゲルはデンマークの古い町で、シェラン島の北東部、エーレスンド海峡の狭隘部の西側にある。コペンハーゲンの北、約45km、電車で 50分ほどで行ける。この海峡は古来、バルト海交易の要衝だった。シェイクスピアの「ハムレット」(1601-2年頃初演)は、第一幕・第一場 エルシノア城 胸壁の上から始まり、この町のクロンボー城を舞台としている。
振槍翁のハムレットは 16世紀末頃にイギリスで上演されたトマス・キッド作「ハムレット」を踏まえたアレンジ作品とみられ、筋立ての根本は 13世紀初頭にラテン語で書かれた古代デンマークの歴史物語の一つ、「ハムレット物語」と言われる。「ハムレット物語」は 10-11世紀頃、ユトランド半島を支配した古代デンマークの王が、イギリスやノルウェーに跨る北海帝国を展開したバイキング時代の王位簒奪に絡む復讐譚だが、当時はまだヘルシンゲルに城はなかった。
エーリク 7世(1389-1442)の時代、1425年に要塞クローゲンが築かれ、海峡を通行する外国船すべてに通行税が課されるようになった。対価として沿海の水路整備・浮標の敷設、海賊対策の警備が提供され、安全な通行が保証された。当時、デンマークは海峡の両岸に(スカンジナビア半島側にも)領土があり、王の徴税を逃れることはどんな船にも出来なかった。冬場凍りついていた海峡が春になって開くと、多くの交易船が行き交い、繁忙時には日に 50隻が通過したという。税を支払う間、船は海峡に投錨することになり、生活必需品の補充が行われて港町は賑わった。関税はすべてイギリス貨幣「ローズ・ノーブル」で支払うことになっていた。
フレゼリク 2世(1534-1588/在位 1559-1588)はこの要塞をルネサンス様式の壮麗な王城に改造し、クロンボー城と名づけた。スウェーデン王国のエーリク 14世との 7年にわたる戦争で国庫は空になったが、通行税を吊り上げて富を蓄積し、城の建設費用を捻出した。社交好きの王の下で華やかな宮廷生活が営まれ、大勢の賓客たちが数日間にわたる豪奢な宴会に臨んだ。晩年には最新式の大砲で防御された 3階建の城が出現した。ちなみに城は 1629年に火災のため大半が焼失するが、時のクリスチャン 4世は通行税を 2倍に吊り上げて再建費用を賄った。
フレゼリク 2世の娘たち、アンナとエリザベトはどちらもクロンボー城で結婚式を行い、祝宴を張った。アンナ(アン・オブ・デンマーク)は 1589年にスコットランド王ジェームズ 6世(1566-1625)に嫁いだ。ジェームズ 6世はイングランドのエリザベス 1世(在位1558-1603)が名づけ親で、1596年に生まれた娘は女王の名を受けてエリザベスと名づけられた。1603年に女王が亡くなると、速やかにイングランド王位を継承してジェームズ 1世王となった。イングランドとスコットランドの両方の王位を兼ねた初めての人物で、対外的に協調政策をとって平和王と呼ばれた。ロンドンの宮廷が気に入ってスコットランドへは一度しか戻らなかった。
振槍翁のハムレットはそうした時代の作品で、今日伝わる脚本(1605年頃成立)は、両陛下の天覧を視野に入れて改稿されたと考えられている。ちなみにジェームズ 1世以降のイングランド君主、イギリス君主は皆、彼とアン王妃の血(スチュアート朝の血)を引いている。
クロンボー城。ヘルシンゲルの鉄道駅から海峡沿いに歩くとすぐに見えてくる。
冠塞門と堀。
16世紀末のデンマークは北欧最大の権勢を誇り、ヘルシンゲルは国際商業の中心地として栄えた。シェイクスピアの念頭にあったのは、取り立てた通行税を濫費し、贅を尽くした連日の祝宴に酔い、国威を発揚するクロンボー城だったとみられる。今日では静かな土地になっている(年間
25万人の観光客が訪れる)。
中庭。フレゼリク 2世の時代には、暗藍色の大理石の水盤に囲まれた高さ 6.5mの円柱が建っていた。これは噴水で、円柱の最上部でトライデント(三又槍)を手にした海神ネプチューンが回っていた。人魚や戦士たちの像が円柱を取り巻き、それぞれ水を吹いたという。
1658年は大寒波の年で、デンマークの沿岸はどこもが氷結し、氷上を越えてスウェーデン軍が攻め寄せた。コペンハーゲンに上陸した軍を前に、フレゼリク 3世はロスキレ平和条約を結び、対岸のスコーネ地方など領土の 3分の1を割譲した。スウェーデン軍は夏に条約を破ってシェラン島に再び上陸し、クロンボー城を包囲した。大規模な砲撃を受けた城は 3週間後に落ちた。城内の美術品は戦利品としてスウェーデンに持ち去られ、噴水もなくなった。しかしコペンハーゲンは陥落せず、ヘルシンゲルはデンマーク領に留まった。
その後 1688-90年にかけて陸地側の防備施設等が補強された。
この頃からデンマーク王室がクロンボー城を使用することは少なくなり、1785年には実質的に軍が管理する要塞となった。
兵舎跡。現在の城から軍部が引き上げたのは 1924年、最後の駐屯兵が冠塞の兵舎を出たのは 1991年だった。クロンボー城は 2000年にユネスコ世界遺産に登録された。
城内は見学が出来る。ただし内部の調度品はスウェーデン軍の略奪後に調えられたものか、当時を再現するために作られた復元品。画像は図書閲覧室。天球儀が置かれている。フレゼリク 2世の宮廷で活躍した科学者の一人に貴族出身のチコ・ブラーエがあった。彼はエーレスンド海峡のヴェン島(現スウェーデン領)の長官を務め、島にウラニボリ天文台を建設した。

王の応接室

マントルピース

タペストリー。辻邦生の「夏の砦」を連想する。
フレゼリク 2世に嫁したゾフィー王妃の応接室。クリスチャン
4世は彼女の長男。
テーブルの上にレモンの模造品が置かれている。当時、デンマークでのレモン1個の値段は今日の
700ユーロに相当したという。
王妃の通廊。王妃の応接室と舞踏室、城内礼拝堂を結んだ。往時は床が濃い藍色と明るい黄土色の模様で塗られ、壁は赤いウール地で覆われていたという。
舞踏室。王専用の貴賓席と天蓋。
当時の天蓋は現在、ストックホルムの国立美術館にある。
舞踏室の全長は
62mあり、天井は彩色された木彫を施した格間天井になっていた。宴席では
24品を超える料理が供された。乾杯の度に太鼓が連打され、トランペットが響き、礼砲が轟いたという。
タペストリーに描かれた 5人の女性は、優れた君主の 5つの美徳、節度(左)、正義(中央)、強さ(右)、慈悲(左端)、慎ましさ(右端)を象徴。

海峡側からみたクロンボー城。
右側に見える胸壁を「ハムレット」の歩哨たちは凍えながら歩き、先王の亡霊をみた。左側の切妻は城内礼拝堂。日曜の朝の礼拝は何時間にも及んだ(この部分は1629年の火災を免れた)。手前の稜堡(石垣)に大砲が据えられていた。
海峡縁りの石積み。コクマルガラスがいた。
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