ひま話 ゴスラーとランメルスベルク鉱山(その2)(2006.2.4)


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再び環状線に出たところから。
右手へカーブを描く広い道路を渡ると、その向こうに、やはり右手へ逸れながら山すそを回ってゆく路があり、狭間に坑道を掘る鉱夫たちのレリーフがあった。石碑の上縁左右に数字が刻まれている。言うまでもないがランメルスベルク開山・閉山の年号を示すものだ。

ランメルスベルク鉱山の碑

ここが鉱山へのとば口で、あとはゆるやかな坂道を道なりに上ってゆけばよい。
林間を進むとコテージ風の家屋が並んで建っている。緑の芝生が美しい。町なかをはずれたせいか森閑とした気配で、シーズンも終わりの避暑地に去りがての夏の光が漂っているかのような、澄んだ淋しさがあった。
15分くらい歩いて背中が汗ばんできた頃、コンクリート塀の背後にれんが色の屋根と煙突が見え、山の中腹に鉱山の目印である巻き揚げ機の櫓がみえた。かつての選鉱・製錬施設、今は博物館として公開されているランメルスベルク鉱山に辿り着いたのだ。ちょうどお昼時だった。


最初、どこから入っていいか分からなかった。というか、どの建物が博物館になっているのか判断がつかなかった。塀が途切れて鉄格子の門があったが閉ざされていた。もう少し進むと一段高い石組みの門構えがあり、やはり鉄格子の扉があった。これが正門らしいのだが、大門は固く閉じ、右脇の小さな通用門だけが、わずかに内側に開いていた。石畳の広場に人の気配はなく、入っていいものかどうか迷った。とりあえず通り過ぎて塀沿いに進むと、すぐに塀が終わって田舎の終点バスターミナルのような空間があり、工場の敷地はこの手前までらしかった。その先、道は狭まり、鬱蒼とした木の下闇に入って行くように見えた。

ランメルスベルク工場近景

旧坑への入り口

正門に戻って、もう一度中を窺った。と、さきほど進んだ塀の先あたりから話し声が聞こえ、黄色いヘルメットをかぶった一群の人たちが出てきた。一人の男性が、狭まった山道を上ってゆくよう指示するのが見えた。どうやらツアーグループらしい。思いたって、のこのこついていった。ほんの少し進んだところで、山側の斜面が高さ3mほどの石壁になり、その下に鉱山マーク付きの扉が嵌め込まれ、坑道が暗い口を開けていた。さっきの男性が扉の前でひとしきり何か(ドイツ語で)説明していた。今から中に入っていくらしい。

主屋

君は誰?な視線に気がさして、また正門前に戻った。今度こそ通用門をくぐって広場に入った。右の建物の奥側に階段があったので、上った。それで正しかった。ガラス扉越しに広いロビーと受付テーブルが見え、左右がミュージアムショップと資料展示室になっていた。

聞けば、この工場全体がそのまま博物館であるとのこと。それぞれの建物やその地下に展示スペースが設けられ、鉱山の歴史を示す文物、模型が陳列されてあり、同時に閉山まで使われていた設備が見学できるのだった。
また3通りの地下坑道ツアーが提供されている。ひとつは4〜5時間かけて闇の底を蜿蜒と歩いて巡るもので、これは今日はやってないという。装備を整えなければならないし、予約も必要らしい。

ランメルスベルク工場近景2

あとの2つは1時間〜1時間半のコースで、トロッコに乗って1950年代の水平坑道にゆき、切端(きりは)の跡を見学しながら近代の採掘法を説明するモダンコースと、200年ほど前の古い坑道を歩いて辿るヒストリカルコースとである。時間は十分あるから両方とも申し込んだ。それぞれ一日に数回スケジュールが組まれていて、定員各20名ほど。
待ち時間があったので、先に建物の方をぶらぶら見て歩いた。やわらかい日差しの下で観光客がぱらぱら椅子に座ってくつろいでいた。年配の夫婦連れが多いように思った。食堂の壁に日本語の歓迎の辞が掲げてあったから、日本からのツアー客も来るのだろう。


ランメルスベルクは 968年(かそれより少し前)に開山したが、1005年にはペストのために作業が閉鎖され、1016年フランク人坑夫の手で漸く再開された。
その後の150年間が最初の繁栄期で、麓町のゴスラーはランメルスベルクの銀によってザクセン地方でもっとも重要な土地となった。

だが12世紀の末に転機がやってきた。
ザクセンの獅子王ハインリッヒが、彼の支援の代償にゴスラーを封土として授与するようフリードリッヒ皇帝に迫ったのが発端だった。これは市の帝国自由を奪うと同時に、皇帝がザクセン地方に持つ最後の勢力拠点を失うことを意味した。フリードリッヒは要求を拒否し、両者相対峙した。
1180年4月に休戦が成立したが、その間に獅子王は、皇帝側に立ったことを理由にゴスラーの領地に侵入し、焼き打ちを行った。市民への物資の供給を絶ち、ランメルスベルクから出た金属を加工していたオーケル河の谷の製錬場をすべて破壊した。
この行為に対し、当時の鉱山長ヘルマン・フォン・デア・グーズヴィックは、痛烈な報復措置をとった。鉱山の全技術装置と垂直坑とを自ら壊滅させたのだ。

その結果、ハルツ地方の鉱業は急速に衰えることとなった。坑夫のほとんどが職を求めて去り、新しい鉱脈が発見されたばかりのフライベルクに向った。(フライベルクの鉱山の始まりは10世紀に遡ると伝説にいうが、史実によれば、皇帝フリードリッヒ1世の治下、マイセン侯オットーによって、1162年に初めて開発されたらしい。)
かくて古い鉱山町と並ぶ、「ザクセン町」が誕生した。歴史は奇妙に動く。彼らやその子孫の中には後に鉱山から鉱山へ跋渉した者も多く、各地に採掘技術を伝えていった。ザクセン坑夫たちはボヘミアやモラヴィアの方々に足跡を残し、ハンガリーのシェムニッツも彼らが建設したという。
ちなみにドイツの鉱業は12世紀にはすでに開花期を迎え、チロルの銀山や銅山ではおよそ3万人の坑夫が働いていた。

さて、いったん破滅に瀕したランメルスベルクだが、フリードリッヒ1世の篤い支援の下で復旧が進められた。
「皇帝はこれ(獅子王の破壊行為)に動かされ、町に多くの慰めを施した。町のために設備を提供し、6人の騎士を防衛のために任命し、さらに彼の権力を行使して裁くために多くの賢人を送り、もし事態がもっと切迫したら、彼らに援助を出すことにきめた」と、1182年の古い記録にあるそうだ。
支援はある程度成功し、鉱業の終焉は回避された。
その1でも述べたが(⇒参照)、1186年には鉱山法が制定され、やがて町は明確な自治権を持つようになる。動力設備を積極的に取り入れた採掘法により最盛期を迎えたのが15世紀。鉱山は20世紀の終わりまで稼動を続けた。

公開されている工場設備は比較的新しく、近代化された大規模採掘の現場そのものといった風情である。正面建屋のミル(粉砕機)や2階にある受配電設備はさすが大鉱山に相応しい大掛かりなものだ(下の全景画像も参照)。別棟地下の展示室には、削岩機や穿孔機、タガネ、ヘッドランプ、アセチレン発生器、カンテラ等々、近代以降の機器装備類が目をひいた。木製水車や巻き上げ機の模型もあった。
古い文書資料や歴史解説パネルもあったようだが、読めないので内容は知れない。とはいえ、1000年の間には、上に書いたような危急存亡の時期、隆盛と衰退の繰り返しがいくつも存在したのに違いない。(補記参照)
我々は立派な設備や栄光の時代に眼を奪われるばかりでなく、ランメルスベルクが数々の危難を乗り越えてきたことに想いを致さなければならない。それが千年鉱山の重みではないか。

一時間ほど展示物を見てまわってから、坑道ツアーの待合室に向った。

ランメルスベルク全景

鉱山施設の全景(パンフレットより) 
工場の背後は露天掘り跡のようだ

運搬車

坑道の維持機材を運ぶ車

トロッコ

歴代の各種トロッコ −線路の端で仕掛けレールに当ると、
箱が傾いて採掘した鉱石が貯鉱場に開けられるトロッコもある。

選鉱機


待合室は坑夫の着替え所だったところで、天井から合羽や長靴が(展示物として?)吊り下がっている。右奥はシャワー室になっていた。一度に100人くらい詰め込んで、頭上から一斉に放水を浴びせるような、そんな感じの施設だった。
黄色いヘルメットを着用。
定刻少し前、某標本商さんによく似た温和な雰囲気の紳士が厚地木綿の白い服を着て同じ素材の帽子をかぶって現れた。ガイドさんだ。まず鉱山の歴史を簡単に説明してからツアーに出発。もっとも説明はドイツ語だから、多分そんなお話だろうと感じただけ。ほかのお客さんは老若男女とりどりだが、皆ドイツ語圏の人らしい。ガイドさんの問いかけに応え、冗談にはどっと笑う。

山腹の斜面にもたれるように構築された建物から、昇降機に乗って地下に降りた。暗くて寒くて湿っぽい水平坑道の剥き出しの地面を、2条のレールが闇に向って伸びている。黄色い有蓋トロッコに乗った。2分ほど走って止まると、そこが最初の見学場所だった。
冗談を言っても笑わない私に気づいたガイドさん、「イングリッシュ?」と訊く。"Yep"と答えると、分かりやすい英語で手短に解説をしてくれた。ここは地底 500mの採掘地点だという。ところどころ水がたまった坑道を歩く。間口が広くて一定で、勾配がないので歩きやすい。まるで地下鉄の線路をゆくよう。
適当な間隔で側壁を穿って展示スペースが設けられてあり、鉱石とふるいが置いてあったり、削岩機があったり(動く)、運搬用のトロッコがあったりした。そのたび立ち止まって説明が加えられる。
穿孔機による試掘、ダイナマイトを使った採掘法のシミュレーション(光と音)、鉱石に含まれる金属、鉱石の運搬方法、坑道を支える構造材などのお話。のようだ。いずれもドイツ語で参ってしまうが、オーストリアから来た若い女性が、ときどき英語で通訳してくれた。嬉しかった。好きになりますよ?(藁)

モダンコース出口 地表レベルのトロッコ線路

説明が終わって坑道を戻り、またトロッコに乗ってがたごと揺られた。降りると博物館の地表レベルに出ていた。地下に降りたはずなのに、いつの間にか高低差分を上ってきたらしい。暗闇では重力方向の感覚まであいまいになるのだろうか、いつ上ったものか、さっぱり解からない。それとも例によって、もう一度昇降機に乗った記憶が飛んでいるだけなのか?(ヲイヲイ)
ともあれ、これでモダンコースが終った。陽光の暖かさ、ありがたさを感じた。


続いてヒストリカルコースに参加。今度のガイドさんは女性で、こちらは標本商というより学校の先生か学者さんの雰囲気。さきほど、ツアー客の後ろからついていった山道の坑口が、このコースの出発点だった。

貯水池

坑道に入る前に、道をはさんで向かいにある貯水池の説明があった。
その昔、ランメルスベルクでは地底から鉱石を引き揚げたり、坑道に溜まった水を排出したり、新鮮な空気を送り込んだりする動力に水車を使った。
ため池から水を引いて水車を回し、流れ落ちた水は巧みに水路を引き回し、山腹の自然な高低差を利用して再び地表に導いた。ハルツ山脈には、至るところにダムが作られ、今も多くの貯水池が残っているという。(文末の地図参照)

扉の鍵を開けて、いざ旧坑(ローダー坑道)の中へ。最初は平坦な砂利道。少しゆくと外の光が差し込まなくなり、坑道は落ち込むようにいっきに下に向う。もっとも見学コース用だから、ちゃんと足場を組んで階段をこしらえてあるので、昇り降りは楽。階段を下りるとそろそろ本番の手掘り坑道に入る。ごつごつした岩肌の壁がときに迫り、ときに拡がる。天井の高さも一定でない。脈が続く限り掘りとったのだろう、はるか上まで空間が開いているかと思うと、頭のすぐ上に岩が突き出していて擦りそうになる。ヘルメットがあるからいいんだけど。

旧坑内部の岩肌

ところどころ壁面が濡れて、雫が垂れている。そんな場所には緑青色の2次鉱物がさかんに吹き出し、岩を染めている。これは銅を含むものか。白や茶色の皮膜が岩を覆っていることもあり、鉛や亜鉛、鉄分を含むものとみた。
ランメルスベルクはこうした色鮮やかな2次鉱物が豊富なことでも有名で、絵の具の顔料にするために採集し、鉱山の大事な副収入になった。
亜鉛の7水和硫酸塩 Goslarite (ゴスラー石、皓礬:こうばん)は、この種の鉱物のひとつで、古来ここランメルスベルクの坑壁を染める物質として知られていた(cf.No.871)。
余談だが、ニッケルの砒化物にランメルスベルク鉱というのがある。これはカール・フリードリッヒ・オーギュスト・ランメルスベルクという名の化学者に因み、原産地はチェコとの国境に近いエルツ山脈のシュネーベルク。ランメルスベルク鉱山とは関係ない。

旧坑の水車このコースは、旧坑の地下に再現された木製の巨大水車見学がメインイベントである。地底の空洞に右のような水車が数基、カスケード式に設置されており、一本の水路から引いた水で運用されたという。最大のものは直径9mほどあるらしい。逆にいえば坑道の高低差が何十mもあるということだ。展示されている水車は、150年前の設計を忠実に再現したそうだが、そばに立つとボリューム感をひしひしと感じる。実際に使われていたとき、水車は暗闇の中でどんな音をたてたのだろう。坑夫たちは遠く伝わってくるその響きを耳にしながら、来る日も来る日も、タガネをふるっていたのだろうか。

動力伝達ライン水車からの動力は左のような機構を通じて坑道の奥まで伝達された。仕掛けの維持だけでもなかなか大変だったに違いないと思う。

水車をひとつひとつ巡りながら、ツアーはだんだん下部の坑道へ降りていく。そして一番底についたとき、ガイドさんは鉱山の暗闇について語った。
壁面の電気照明をすべて消し、手提げ灯にロウソクの火を入れる。周囲の闇を強調するかのようにともしびが輝く。鉱山伝承の山鬼が跋扈する世界、あるいはドラゴンヘッドに描かれた、のしかかるような暗黒の力が冷たい岩壁から沁み出す世界である。ひととき昔の坑夫たちの孤独を想い、照明が戻された。
最後の房をあとにして、今度は100段の階段を休まず上り、最上階のレベルに。出口につながる砂利道に辿り着くと、空気が軽く新鮮になった気がした。再び地上世界に出て、ヒストリカルコースも終わり。冷え切った体を太陽で温めながら、地底の味わいを胸中にそっと埋める。坑道ツアーの醍醐味は、たしかに冥府への下降と現世への帰還をなぞる擬似体験にあるように思う。

皆さんがランメルスベルクを訪問されて、もし、どちらか一方のコースだけに参加なさるなら、私としては、こちらのツアーをオススメしたい。

ツアーの様子

ツアーの様子 (左)モダンコース (右)ヒストリカルコース


ツアーが終わると時間は午後4時近かった。簡単に遅い昼食を済ませ、見残した施設を見学した。
ミュージアムショップで、ランメルスベルクの鉱石をお土産に買った。黒いだけでなんてことはないが、今日の記念に持って帰ることにする。

もと来た道をぶらぶら下り、ゴスラーの旧市街に入る。行きと違って、気持ちに余裕があるので、ゆっくりと散歩を楽しんだり、ベンチに腰掛けて、道行く観光客を眺めた。
土産物屋を覗いて、箒に乗った魔女の人形を求めた。ハルツ山脈には昔から魔女伝説がある。霧深い谷の向こうに巨人が現れることで有名なブロッケン山には、ワルプルギスの夜、ドイツ中から魔女たちが箒に乗って飛んでくるという。それでもって、なんだか熱狂的な宴を楽しむらしいが、委細は不明。悪魔の集会(サバト)というレッテルは、いずれキリスト教の悪賢い司祭が、古くから伝わる神聖な民族風習を忌避して騙った偏見に違いあるまい。

夕闇とともにゴスラーを発つ。思い切って来てよかったと、しみじみ思った。(おわり)

ゴスラーの町中にある土産物屋さん
向かいに古い礼拝堂があるところ

川端の家屋 小さな水車がついていた。

なんだったかな…?

ハルツ山脈の俯瞰図

ハルツ山脈の鉱山群の俯瞰図。貯水池がたくさん。
赤丸印の番号は、見学施設のあるところ。

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補記:ランメルスベルクの鉱山で落盤が起こり、大勢の坑夫が命を落とす事故があった。グリム兄弟のドイツ伝説集(475)によれば、「350人の寡婦が鉱山の入口に立って夫の死を嘆いた」 そしてその後百年間採鉱は行われず、ゴスラーの町はすっかり寂れてしまった、と。


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