871.皓ばん(ゴスラー石) Goslarite (ドイツ産) |
言うなればヨーロッパは自然科学の故郷である。キリスト教化された西洋民族の精神のうちに、新しい意識形態としての科学の発現を、錬金術的に促したレトルトとなった土地である。
さまざまな現象や事物を分析的に調べ実用に供することは、これを創造した万能の神の働きをより深い次元で理解することであった。人々は森羅万象に目を向け、動物界・植物界・鉱物界のあらゆるものを興味の対象とする博物学が近代にかけて流行した。このうち鉱物界は、元来、地中からの産物(フォッシル)全般を含むものだが、学問の世界ではフォッシルを生物の痕跡として扱う化石学と、資源として扱う鉱石学(金石学・鉱物学)とが早い時期に枝分かれした。しかし両者に跨る境界的な地中産物は現実に数多いし、生物の働きによって出現する鉱物・鉱石類も少なくない。
高度に専門化が進んだ現代では、鉱物学者が関心領域とする「鉱物」の定義はさらに範囲が絞られ(世間でいう鉱物とも法令上の鉱物とも異なる)、種の定義も人間の肉眼的な世界をすっかり離れてしまった。神について語られることもない。
そういう意味では、綺麗な「石」だったら何でも集める伝の鉱物愛好家の姿勢は、先端的な「鉱物学」から随分遠い原始的な位置に留まるものだが、一方で「鉱物界」をより総合的に捉える視野の広がりを失っていないと言えないこともない。そして自然科学が本来含む神懸りの祝祭気分に未だに酔い痴れて時の経つのを忘れている。(うぉ!これが自然に出来たもの?)
鉱物界への関心は古来鉱山への関心に相伴うもので、時には地下世界への畏怖や好奇心を伴った。科学は探鉱・掘削・採鉱・選鉱・分析・冶金・精製・化合・水利・建築等、多岐にわたる鉱山技術と深く結ばれていた。だから、10-15世紀に勃興したドイツ、オーストリア、チェコ、ハンガリーの鉱山や鉱山町が自然科学の一連の母胎として意識され、16-19世紀に繁栄したスウェーデンやイギリスの鉱山地方が更なる発見と発展の場として機能したことは、むしろ自然な成り行きなのであった。
ハルツ山地のランメルスベルクは、現存するドイツ最古の鉱山(跡)の一つである。10世紀頃に鉱脈が発見されて銀を掘り始め、12世紀半ばにかけて最初の繁栄期を謳歌した。その後ハルツを出た鉱夫はザクセン地方フライブルク鉱山の礎となり、ザクセン鉱夫はボヘミアやシェムニッツの町の祖となった。(cf.ゴスラーとランメルスベルク鉱山)
ランメルスベルク鉱山が最盛期を迎えたのは15世紀と言われる。その頃には銀や鉛を掘るほかに、副産物として各種のヴィトリオール(硫酸塩二次鉱物)を生産した。皓ばん(輝くように白いヴィトリオール、の意)はその一つだった。
この種の物質は予め地中(酸化帯)に存在していたものを人間が掘り出す場合もあるが、人間が坑道を掘ったがために、その場にある初生鉱物が空気(酸素)や大量の酸素を含んだ表層水と接触することとなって、風化が始まって生じることも多い。いわゆるポスト・マイニング・ミネラル(採鉱活動後に生じた鉱物)である。坑道の壁面や坑木の上などに、まるでキノコのように後から後から吹き出してくる。
もし「鉱物」を、人為を加えない純粋の天然作用で生じたものと定義するなら、ポスト・マイニング・ミネラルは鉱物とは言えない。しかし人為が加わっても単に生成を促進しただけとみなせる場合は鉱物として扱うなら、坑壁上のヴィトリオールはひとまずこれに相当する。一方、人間が持ち込んだ爆薬や機械・工具類の成分と反応して生じた物質は依然鉱物でないことになる。廃石場(ズリ)で、自然界ではありえない環境が生じて出来た物質であれば、鉱物ではない。鉱石を精錬した残滓(カラミ・鉱滓)や合金から二次的に生じた物質も必ずしも鉱物といえない。では、古代遺跡やコンクリートのような人工物上に見出された物質は? 工業・生活用水が流れ込む河川や海に発見された物質は? 海洋に投棄されたスクラップから生じた物質は? と考えていくと、「天然鉱物の○○と同じ成分、構造の物質」というほかないこともあるだろう。線引きはどこかで行われるが、どうしてもグレイゾーンが残る。
ともあれ、現在の鉱物学上の定義によれば、胆ばん、緑ばん、皓ばんのように、坑内の空間に生じて古来鉱物として扱われてきたヴィトリオール(礬類)は、鉱物である。しかし人為的な環境で発見された未知の物質が、今後、新種の鉱物として認められるかどうかは、時にはあやうい匙加減となろう。
ランメルスベルク鉱山の麓町ゴスラーでヴィトリオール(主に緑ばん)を生産した記録は
1468年に遡る。皓ばんは錬金術師バシリウス・ヴァレンティヌスの書に、「ゴスラーの白いヴィトリオール」として記述されているので、15世紀後半には知られていたとみられる。もっともヴァレンティヌスが歴史上の人物かどうかは今日疑問視されているが。
アグリコラは De
Natura Fossilium (地下産物の性質; 1546年)に、3種(緑、青、白)のアトラメントゥム・ストリウム Atramentum sutorium
(靴墨)を示し、ツララの形をした水晶のように透明な白いものは特にゴスラーに見られる、と述べている。当時
Galizenstein、Erzalun (アルム鉱石) とも呼んだ。 遅くともこの頃には天然物が採集され、利用されていたのである。
しかし自然に生じるヴィトリオールだけを扱ったのはわずかな期間で、商品としてはむしろ人工的に製造したものが主流であった。白ヴィトリオールの製造が始まったのは
1570年という。ゴスラー礬の名で親しまれ、1735年に亜鉛を含むことが明らかになると亜鉛ヴィトリオールと別称した。鉱物名としてゴスラー石
Goslarite の名を与えたのはハイジンガーで、1845年のことである。
ゴスラーはドイツのヴィトリオール製造の先駆けで、さまざまな種類を揃えて顔料・染色用に供した。水で溶いて眼病治療に用いた。(cf.
No.223)
皓ばんは組成 ZnSO4・7H2O、硫酸亜鉛の7水和物である。緑ばんは硫酸鉄の7水和物、胆ばんは硫酸銅の5水和物、エプソム塩(しゃ利塩)は硫酸マグネシウムの7水和物、モレノサイト(碧ばん)
Morenosite は硫酸ニッケルの7水和物。
この種の水和物は風解性があり、温度環境によって水分が抜けて結晶構造が変化する。硫酸亜鉛の6水和物はビアンキ石 Bianchite、4水和物はボイル石
Boyleite (若干のマグネシウムを含む)、1水和物はガニング石
Gunningite (若干のマンガンを含む)と呼ばれ、天然に産する。
純粋物(合成物)は皓ばんが39℃まで、ビアンキ石が70℃まで、ガニング石は250℃まで安定とされるが、天然物は鉄分等を含むので必ずしもこの通りでない。
画像はカプセルに封入された標本だが、皓ばんの状態を維持しているのか、脱水が始まっているのか、よく分からない。何しろ熱帯のような日本の夏を経過している。
皓ばんは一般に閃亜鉛鉱が酸化されて生じる風化物で、繊維状、粒状、被膜状、殻状、鍾乳状、腎臓状で産する。アグリコラが言うように氷柱のように見えるものもある。白色〜無色透明。鉄、銅、マンガンなどを含むと緑、青、茶などの色味が加わる。鉄ゴスラー石、銅ゴスラー石と呼ばれた亜種がある。モース硬度2〜2.5(石膏と同程度)。強い反磁性を持つ。水溶性で、舐めると苦く収斂味がある。その味は緑ばんやエプソム塩とは明らかに違うという。また特有の不快臭を放つ。
補記:日本(柵原)では緑ばんを「ろうは(ローハ)」と呼んだが、同じ伝で皓ばんを「こうは(コーハ)」とも呼ぶ。(「ろうは」は唐音のロッパンが転じたものと「本草綱目啓蒙」にある。)
皓ばんは直方晶系の構造を持ち、天然物に自形の報告例はないが、合成物は斜方短柱状の結晶形を示す。同じ組成で結晶構造の異なる鉱物に亜鉛緑ばん
Zincmelanterite (単斜晶系)があり、1920年にコロラド州のバルカン鉱山地域から報告された。銅や鉄を含むのが普通で、みかけは緑ばんに似る。
話のついでに言えば、天然に純粋組成のものの報告がなく、合成物のみが知られているような鉱物種は、架空の鉱物ではないのだろうか。
補記2:精錬所の跡地に残った(捨てられた)古いカラミ(鉱滓)の表面に風化によって生じる二次無機物質があるが、これを「鉱物」とみるかどうかは判断が分かれる。アタカマ石や孔雀石、コーンウォール石などが生じていた場合、これらを鉱物と呼んではいけないのだろうか。
ギリシャのローリオンには古代の鉛の精錬滓が大量に残されており、これが海水と反応して生じたさまざまな二次無機物質は、鉱物学の比較的早い時期に記載されたことから、しっかり鉱物種として扱われている。もっとも「それは特殊な例外だ」とも言われている。
cf. No.368 ニッケル華、 No.563サーピエ石、 No.564
グローコセリ石