ひま話   (2003.2.8)


こんにちは。このところ鉱物ギャラリーばかり更新してきて、ちょっと息抜きしたくなったので、ひま話を入れます。頭休めのため、今回は鉱物の話題を離れ、「沈香」についてつらつら書いております。いちおう、将来の「軟玉の話X(Xは開発ナンバー)」の伏線になるはずです。
おつきあい下さいますか?

沈香 −へき邪の香り 

◆沈香(じんこう)、あるいは沈水香木と呼ばれる風変わりな木片がある。通常の木材より重く、水に沈む。熱すると強い芳香を放つ。沈むのは木質に沈着した重い樹脂成分のためであり、芳香を放つのは樹脂が揮発するためである。沈香の多くは、インドシナ半島やインドネシアの熱帯性ジャングルに繁茂する、アキラリア科の植物が起源である。この植物は樹齢30年を越えないと樹脂の沈着が起こらず、100年以上の古木でなければ良質の沈香素材とならない。しかも単に沈着しただけではあの玄妙な香りは生じず、枯死して後、泥沼地に埋没し、バクテリアによる分解・変成作用を受けて初めて馥郁たる芳香を発するという。このような条件を満たす原木は、広大なジャングル全体においてもごくわずかで、沈香が採取できるのは、そうした原木のさらに1%に満たない部分でしかない。つまりたいへんな貴重品なのだ。

その貴重な香りを、アジアの人々はことのほか愛した。それは生きている人の精神に活力(ときに魔力)を与え、あるいは死者の霊が地上を漂う間の食物となる、魂の栄養素であった。魔を払い、厄を除け、神仏を荘厳する清浄な気でもあった。
インドやアジアには、自然界から新しい若々しい気をもらい、体内に溜まった草臥れた気を吐き出すことが、生きていく力の源になるという信仰が今でも生きている。自然界の気は、太陽が昇る朝早くにもっとも清らかで生命に満ちており、大地から森から草花から空から陽の光から流れる水から、あらゆるものから受け取ることが出来る。しかし沈香は、どんな気にも増して、強い力を与えてくれると信じられたようだ。

中国では祖先の霊を迎え慰めるために香木を焚き、長生を得るために煎じて飲んだ。マレー半島では、呪術師たちが精霊との交信のため、あるいは魔力を高めるために祭壇で燃やした。一般の人々は病気を癒す(呪いを解く)神秘的な力を持つ家宝として子孫に伝えていった。その儀式や祈祷は決して他人に見られてはならなかった。
日本ではもっぱら仏事と香道(香りを通じての遊び)に用いられたが、経験的に健康に良いことが知られていた。戦前、式守という宗匠は、「香がしっかり体に入っている人は、見ればわかります」と語った。この人は、「もし空襲が来たら、香木を全部燃やして、その香りと一緒に昇天します。」と笑ったそうだ。死生を達観していたらしい。

◆沈香の香りは、一口でいえば、甘い(と私は思う)。しかし、乳香(オリバナム)やジャスミンのような甘さでなく、ねっとりした濃度を感じさせながらも清爽を忘れない甘さである。昔の(日本)人は、その匂いに5つの味、甘さ、辛さ、苦さ、潮はゆさ、酸っぱさがあると見立てた。これを五味という。香りの味わいは、沈香の種類(種や産地による違いなど)や質(木質や樹脂の沈着状態、生成環境)によって大きく変わる。近年はインドネシア産の樹脂分の多い沈香が出回っているので、樹脂臭さ(バルサム臭、薬臭さ)の強いものが多い。一方、古くから親しまれているベトナム産はほとんど樹脂臭を持たず、刺激が少なく優雅な香りがする。沈香の中でとりわけ香り高い良質の材を伽羅(きゃら)と呼ぶ。その香りは絡みつくようで長く留まるが、清々しい。「まったりとして、それでいてしつこくなく…」という日本人の好みにあう。苦味の立つものが上品である、と古人は決めた。でも私は伽羅よりも、蜂蜜のように甘いシャム沈香が好きだ。5つの味わいがほどよく混じるのが望ましいという人もあろう。そのあたりは個人の好みである。

◆沈香は、平安朝の昔から、貿易船や使節船によって日本にもたらされていた。中国を経由して入ってくることもあれば、南方の島々から渡来することもあった。日本人は長い年月にわたって沈香を賞玩する伝統を育んできたが、それがどのようにして出来るか、どんな土地で採集されるのかについては、まったく無知だった。あるいは興味を持っていたかもしれないが、供給者側の厳重な秘匿に阻まれていたのだろう。沈香の供給は、実に儲かる商売だったから、商人たちは消費者に対して極力情報を伏せ、一種の伝説を語った。今でも沈香の採集は現地の少数民族が行っており、真の姿を部外者が掴むことは難しいとされている。また、このような商品の常で、古い時代に採集されたものほど品質が良く、あるいは大きなものが手に入ったと言われている。そのあたりの事情は、鉱物愛好家にはお馴染みのところだ。生成に長い年月を要するものは、事実、絶産の危機を孕んでいるが、供給が需要を下回るよう、常に出荷量がコントロールされてもいる。(余談だが、私がベトナムのサイゴンで聞いた話では、現地人が採集した沈香木を、在住の日本人女性が一手に押さえているという。真偽は定かでない。商人が目の色変えて求めるから、そんな風説が飛び交うだけかもしれない。ついでにいえば、ベトナムでは、香木は国家の財産で、個人的売買や国外持ち出しはご法度の建前である。) ※補記1

生成条件の難しさによる希少性に加え、厳重に管理された流通ルートのため、日本では明治時代になっても沈香木の入手はなかなか困難であったし、相当の資金も必要だった。伽羅木ともなれば、同じ重さの黄金と比べられるほど高価だった。伝世の香木には銘がつけられ、持っていることが一種のステータスだった。燃やすなんてもったいなくて出来なかった。貴重すぎて焚けない香木は、決して飲まれないビンテージワインに似ている。しかし沈香は千年経っても香りが変わらないそうだから(証明不能)、伝え残すことにそれなりの意義があるといえないこともない。

◆稲垣足穂は、「愛の経験は、知らなければなくても済ませられるが、一度知ってしまうと以後それなしでは生きてゆけない」と語った。同じことは、芳香によって招来された陶酔の経験にも当てはまるようだ。沈香の香りを経験した人々は、たいへんな熱意でこの妙香を求めた。その香りに至福の天地を見ていたのであろう。マケドニアのアレクサンダー大王は、乳香欲しさに東方への遠征を企てたという。作り話だろうが、一片の真理を含んでいる。普段、香水をつけている人は、いつも香りをまとっていないと、索漠とした感じに悩まされるという。よい香りは、安心感、大切に守られてあるという信頼感をもたらす。

とはいえかつて日本では、沈香は決して誰もが使える香りでなかった。愛好者は、一部の特権階級(上流貴族や大名家、神社仏閣、大商人など)に限られていた。上流社会では、貴重な沈香をごく少量削り、神聖な儀式のように味わった。しかしあくまで優雅な遊びとしてである。日本の文化は「縮む」文化で、あらゆる場面にミクロコスモスを演出する。供される沈香は、蚊足といわれるほどわずかなものだった。燃やしたりすると、あっという間に香りが飛んでしまうから、香木と香炭団との間に雲母片(銀葉・ぎんよう)を敷き、熱を加減しながら炙って、ゆっくりと時間をかけて楽しんだ。先人たちは壺中の天に無限を見出し、恍惚たる境地へ没入する手法を、格式と教養とによって会得したのである。(ちなみに、コーヒーやカカオ、タバコの香ばしい薫りは、重量にして0.1%以下の微量成分からもたらされる。沈香も同じで、たとえ蚊の足ほどの小さな木片であっても、豊穣な香りは、あふれかえらんばかりである。)

私たち日本人は、ただの遊びにも「道」の気配を探り、作法を整え、その中に究極的な価値を見出そうとする性向がある。沈香もしかり。焚き方、嗅ぎ方(香道では、「聞く」という)に始まる所作全般を規定し、沈香本来の不可思議な香りに、日本の風土が育んできた四季折々の風情や、文学作品の感興を結びつけた。
香道は室町時代に萌芽があり、茶の湯とともに桃山時代に様式が整ったと言われるが、最盛期を迎えたのは、都が江戸へ移った徳川時代であった。実権を失った京都の公家・貴族たちは、自らの存在意義を伝統の再生と継承に求めたのだ。彼等は千古の昔に生きた平安の宮人たちと同じ香りを味わい、同じ感性に至ろうと欲した。それはある種の懐旧でもあった。
「すべてのお伽話は、寂しくなければならない。それは天上世界への郷愁である」とノヴァーリスが観じたそのように、彼等にとって沈香の香りはひとつのお伽話であり、ノスタルジックで甘く寂しいものなのだった。そして、一度体験した後は、それなしでいられないものであった…。

◆香りと雅な伝統の世界を楽しむ香道の成立より早く、社寺仏閣では、沈香の香りを宗教的供儀に結びつけていた。もともと、仏教の発祥地であるインドでは、神々への供物として香りを捧げる習慣があり、香りは神様の食べ物であった。また好ましい香りや煙には、穢れを払い、場を清める働きがあると考えられていた。西洋でも東洋でも、ある種の香料が人体(ときに死体)の悪臭を消すために用いられているが、それに加えて、よい香りにはこの世界を浄め、神聖な意識への扉を開く力があったのだ。宗教と香りの結びつきは本源的なもので、世界各地にその例を見出すことが出来る。日本では、今でも先祖供養や葬儀、神事、密教の修法などで香木が焚かれている。松岡氏は、「香木と葬儀との密接な関わりは、明治以降の新法以来のもので、香の本来は、神仏を敬うことにあった」としている。儀式に使われる香料は、竜脳(または樟脳)、ウコン、丁子、白檀、それに沈香を混ぜたものが古式。伽羅を配した贅沢な線香などは実にいいものである。
香道には、供香、聞香、空香という言葉があり、神仏祖先の霊へ香りを供えること、仲間うちで愉しみに香を聞くこと、部屋に香を焚きしめることを指す。供香は、この3つの最上位におかれている。やはり宗教的な恍惚がルーツにあったのであろう。

…だんだん話に取りとめがなくなってきた。自ら香談に酔ったらしい。
ともあれ…このように沈香は神霊に通じ、時空を超える神秘的な力を持つものとされていた。なんで、鉱物サイトでこの話をしたかというと、台湾の玉市を見物した時、沈香が燃され、その香りが会場に濃く漂っていた印象が忘れられないからである。玉器を売る市に香木の業者が店を出していた。古来、天と地を祀る道具であった玉器と、神や霊を喜ばす沈香。その接点はなんだろうか…続きは次のひま話で。(おいおい、ほんとに続くのか)

ご参考:
沈香とは何か? 
  (林稚峰氏のテキストを、中国語を知らない私が適当に意訳しました。訳はいい加減ですが、中国人の沈香に対する考え方に、日本人と共通するところと、そうでないところが見出せ、参考にはなると思います。)

香莚雅遊 <かほりの むしろで みやびに あそぶ> ⇒ 香莚雅遊 (2015.3.1より)
  (香道の雅びを門外の人々に伝えるボランティアサイト。)

農林省熱帯農業研究所「熱帯有用植物」
   沈香木に関する記述があるそうです。(未確認)

補記1:山田英夫著「香木のきほん図鑑」(2019)に戦後の香木取引について興味深いお話が載っています。これによるとベトナムでは沈香のことをチャム(Cham)と呼んでおり、シャム沈香のシャムはチャムの変化したもので、ベトナム産沈香を指すそうです。(私はこれまで、シャムはサイアム(タイ国)のことと思っていました。) 
また、伽羅・沈香の良質木は 1995年頃にはほぼ資源が枯渇して現在に至っているそうです。(2020.2.24)


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