ひま話 (2003.4.2) −祖霊の来訪と先触れについて


今回のひま話は、いちおう、2.8付けの沈香の話の続きになります。

★明治時代に日本を訪れたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本人の心の奥に沁みこんだ神道の影響や祖霊信仰を美しい筆に書き残している。彼の著作を読むと、私たちが普段まったく気にとめずにいる振る舞いや感じ方というものが、実は深い集合精神的な意味を持っており、長い時間をかけて洗練された優しい心根に発しているのだなあと、新鮮な驚きとともに了解させられることである。
ハーンは日本人の「私」と「祖先」との関係について、こんな風に語っている。
私という存在は個人的な現象でなく、幾千億万の祖先の霊のいわば面影の集合体なのである。私の想いや行為は、実は私自身が決めているのではない。遠い先祖の影響の上に、あるいは長い因果の上にすでに定まっているのであり、人生で出会う幸せや不幸せは、みな前世からの定め、先祖の陰徳、業、契りといったものから織り成される大河絵巻のひとコマなのだ。たとえばある異性に心を惹かれることさえ、個人の選択を超え、何代も前の祖先たちが、恋に落ちたその容貌、声、仕草の記憶が相手に甦って、いまひとたびの、願わくはよりよい出逢いと結末とに私を導いているのであると。

しかし、死者たちが「私」の姿を借りて地上を歩いているわけでは、もちろんない。かつての生者はすでにこの世を去った。そして、あの世から子孫を見守り、あるいは生まれ変わりを待っている。「私」は、祖先と子孫の長い系譜に連なる因果のひとしずくであって、過去のすべてを受け継ぎ、さらに何かを加えて未来に受け渡す途上にあるという点において独立した個人でないということだ。私たちは、おそらく無意識のうちにそうした認識を心中に育くみ、先祖を崇い、供養し、あるいはまた今自分がここにこうしてあることの感慨にふけるのであろう。

大島弓子の作品「綿の国星」に「ひっつめみつあみ」という麗しの女性がある。彼女は法科の学生で、父は母と結婚する前に死んでしまった。だから、彼女は父親を知らない。そのひっつめが言う。「父親っていうのが、なんとあなた、努力の人で法律の勉強しててむりがたたって昇天したというわけ。いらい、私は母の手ひとつでここまできたのだけど、血ってすごいと思うのは、父が死んでから二十年もの月日がたってるのに、彼の情熱はたやされないで私の中にあるわけよ。これはすごいと思わない?一度も会ったことの一度もはなしたことのない私によ!!」 
これが、ハーン以来変わらない日本人の感性ってもので、とすれば、私がこんなにも鉱物に魅了され、傍から見ると笑えるくらい夢中になっているのも、遠い昔からそのように定まっていたというべきだろうか?
−この考え方が、日本人の心の中にあるもう一つの精神、ご都合主義である。ふはは。

★ところで日本人は、昔から祖先を大切に祀ってきたが、祖霊たちは決して目に見えるわけでも、声を交わせるわけでも、触れられるわけでもなかった(話せなくもないが、負担が大きいらしく、たとえば夢枕に立っても、ただ立ってるだけのことが多い)。しかし、彼らがやってきたときには、間接的な現象によって、ちゃんとそれと察せられたのである。
祖霊が普段どこで暮らしているかは、二つの考え方がある。ひとつは地下。地面の下に死んだ人の棲む場所があり、彼らはそこで私たちと同じような生活をしている。そこは墓場の下かもしれないし、草葉の陰かもしれないし、黄泉の坂を下った闇の国かもしれない。
もうひとつは、生者の世界と川を隔てた向こう岸の楽園である。そこは光と香りと豊穣の気に満ちた国だ。この二つの考え方は、どちらも中国からやってきて、前者の方がより古い(プリミティブな)思想であるらしい。日本では両者が共存していて、なおかつ地獄・極楽・須弥山・涅槃などいろいろな仏教概念が加わるが、大局的には彼岸世界をベースとした、「あの世」という言葉の下に収斂されよう。生者の世界と死者の世界は川で隔てられており(霊は水を渡れない)、祖霊はあの世で、それなりに暮らしているのである。しかし、彼らはいつも子孫のことを気にかけているので、私たちが呼べばこの世界に戻ってくることがある。渡れないはずの川を越えて彼らを呼び寄せる力は、私たちと祖霊とのお互いに対する慕情であり、愛である。ハーンが指摘するように、両者が不可分であるからには、祖霊は懐かしい存在であると同時に、私たち自身の面影でもあり、それぞれの幸せはお互いに決して他人事といえないのだ。

★さて、彼らはどのようにして来訪を私たちに気づかせるのか?
お盆の時期、人は迎え火を焚いて祖霊を招く。ある知り合いに聞いた話はちょっと不思議だ。その家では長さ1mくらいの麻殻を数本買ってきて、数センチ丈に折り、玄関の前に小さな薪山を組んで焚く。この時、火をつける役は、招く霊にもっとも縁りの者でなければならず、そうでないとうまく燃えないという。火が点されると、ある瞬間、風もないのに炎がゆれ、開けておいた玄関に向かってなびく。これで霊が帰ってきたことがわかるのだ。盆の終わりに、送り火を焚く。今度は炎が家の外に向かってゆらめき、なにものかが出て行ったことを知らせる。「また来年も来てね」と声をかけると、炎がぱっと強く立ったりする。いつの年でもそうだという。
この話を聞いて、私は阿含宗の星祭りを思い浮かべた。この密教系の儀式では、巨大な護摩壇で焚かれる炎が不動明王などの形になって、仏の到来を告げる。このように不視不触の存在は炎を媒体にすることがある。巫術的観念では、非実体的な炎の性質が神霊の性質に近いと考えられるからだろう。

★また、彼の家では到来物があるとまず仏壇に供え、その後で家の者がお下がりをいただく。果物やお菓子は、2、3個とり分けて供えるのだが、下げて食すと味が落ち、気が抜けてスカスカになっているので、「喜んで食べてくれた」と分かるそうだ。
このことからやはり私が連想するのは、中国の雲南地方や日本の一部に残っている、稲魂に関する信仰だ。稲には魂があって、とても繊細なので、大きな音を立てると驚いて飛び去ってしまう。それで、収穫が終わるまでは歌舞音曲を控え、収穫が終わってから派手に賑やかにお祭りをする。あるいは、稲の魂に呼びかけ、ちゃんとお世話をするから稲穂の中に留まっていてね、と歌う。(参考 タイ族の稲の魂を呼ぶ歌) 魂の抜けた稲は味も栄養も落ちるので、米を主食とする人々にとって、魂が入っているかどうかは、死活問題であり、重大な関心事なのだった。
自然界のあらゆるものに気や魂が宿っているとする信仰は、むかし日本や中国、アジアの広い地域に見られたが、お供え物のお米や菓子にも当然気や魂がある。この世の物質には触れられない祖霊たちも、食べ物に宿る霊的なスピリットなら、味わい、滋養にすることが出来ると考えられたらしい。

これと同じことが、香りについてもいえる。香りは物質から放たれるエッセンスであり、いわば物質の魂である。それゆえ祖霊や神々に近い性質を持ち、彼らに働きかけることが出来るのだ。香りは生と死の境界を越え、時空を越えてゆく。祭祀儀式にお香や供花や護摩が欠かせないのは、それらの香りが神霊のご馳走であり、あるいはたゆたう香煙を通して、彼らのメッセージを受け取ることが出来ると信じられたからだろう。
この世で焚いた薫香はあの世に届き、祖霊を呼び寄せ、慰め、最後には食べ物となる。その一方で香りは、祖霊が来訪を知らせる媒体でもある。ゆえもなく、ふいに漂う香りは霊の訪れの徴として受け止めらる。仏や天使がよき香りとともに現われ、悪霊もののけが悪臭とともにやって来るという観念は、そのことを示している。
さらに付け加えるなら、香りは人間にとっても時空と日常意識を超える手段であった。プルーストの「失われた時を求めて」は、マドレーヌの香りに誘われて昔の記憶がありありと甦ることから始まるそうだが(実は読んだことないんだけど)、宗教儀式の祭祀者が入神・没我状態に入るときにも、香りは重要な役割を果たすことが知られている。精神を集中させる効果と、以前にその香りを嗅いだ時に体験した感情や精神状態を呼び起こし、生々しく再現する力があるからだ。宗教はその初めから、香りや煙と不可分のものだったのである。(これでやっと、前回のひま話に話題が繋がったね)

★祖霊の来訪を告げる徴は、このように炎や香りや煙など実体のないものが務める。その点では音もまた先触れとして有効であった。岩波古語辞典(1974)を調べると、 「訪れ」・おとづれ の項に、「音連レの意。相手に声を絶やさずにかける、手紙を絶やさずに出す意が原義」とあり、また「音なひ・訪なひ」・おとなひ の項に、「音を立てる動作をするのが原義」とある。稲作文化の源流を探究している萩原秀三郎氏は、この辞典から「訪なひ」を引用しつつ、さらに踏み込んだ解釈をしてみせる。「訪れ神はホトホト、コトコトと音をさせて訪なう。…神は「音なひ」をもって神意を知らせたのである。」と。

中国には、殷・周の時代、佩玉といって、複数の玉の装飾品を連ねて身に佩びる習慣があった。それらの玉は、歩くたび、互いに擦れて、美しい音色を立てた(と想像される)。その音色によって、あ、誰それが来た、と判断することが出来たであろう。そして、祖霊もやはり韻々と響く鈴の音やそこはかとない足音とともにやってくるものであった。
あるいはまた私たちの切実な呼びかけの声や、高徳の僧の読経の音声は、境界を越えてあの世まで届くと信じられた。このような観念は人類共通の感覚だったようだ。

中国南方のオンドリ雷神に関心を持つ百田弥栄子氏が、貴州省のとある家を訪ねたときのエピソードに、「中年にはまだ間のある男性が、ふいに横合いから『祖先の霊魂はね、夜になると帰ってくるよ』と真顔で言う。私はとっさに向きなおってなぜわかるのかと聞くと、『決まっているよ、音がするからわかるんだ』。それでと先を催促すると、『そんな時は知らん顔をしていれば、そのうち戻って行くさ』と教えてくれた。」と書いている。(中国の伝承曼荼羅  1999)

20世紀の中頃、西洋白魔術をユング心理学と結びつけたイギリスのダイアン・フォーチュンは、「心霊的自己防衛」の中でこう述べている。
「アストラル界(星幽界)から聞こえてくる鐘の音としてオカルティストに知られている奇妙な現象がある…。この音は澄んだ鐘の音色から、かすかなカッチという音に到るまで様々な種類がある。私がしばしば聞く音は、ワイングラスをナイフで叩く音に似ている。この音は、ほとんど姿を現すことのできない存在の到来であり、必ずしも不吉な兆候というわけではない。」(今でいうラップ音かな)
ヨーロッパの教会に見られる甲高い音色を立てる鐘は、もともと霊と交信したり、慰めたりする手段として作られたのかもしれない。
また、妖精の故郷といわれるかの国では、私たちの世界と別次元に棲む霊たちの世界が、時節によって(例えば春分)非常に接近することがあるらしい。彼女はそうした状況を、「大気は銀色の輝きに充ちているようであったが、それは常にこの世と霊界の間のベールが薄いことのしるしであった。」と詩的に表現している。

ロシアの北部や中部では、神の審判の前に立つ「霊」が清い状態であるように、瀕死の人の傍に体を洗うための水の入った器(鉢や盃)を置く古い習慣が今でも残っている。「霊」は普通目に見えないが、器の中の水が動いたり、音を立てたりすることで、その存在を知らせることがあるので、なにか実体のあるものと信じられている。(ロシア異界幻想 2002)

中国とイギリスとロシアの例をひとつづつあげてみたが、ポルターガイスト現象とか、神鳴り(雷)とか、おみ渡りとか(そういえば霊の出現には温度変化を伴うことがある)、言霊(ことだま)信仰とか、詠唱とか、宗教音楽とか、音と霊との関係は傍証を拾えば枚挙に暇がないだろうと思う。

★さて、鳴り物入りで帰ってきた祖霊は、家に留まる間どこにいるかというと、仏壇、社、特別にしつらえた依り代などに宿っている。柱状に立って空に向かって聳えるものは、背の高い樹木にせよ、家の大黒柱にせよ、立て竿にせよ、幟にせよ、祭壇に立てるススキの穂やチガヤの束にせよ、位牌にせよ、みな天から地から祖霊や神々が通って、宿るものと信じられていた。ついでながら、死者が出た家で、茶碗にご飯をてんこに盛って割り箸を立てるのは、そこに霊が寄り憑くようにとの意味がある。(補記2)
この世にやってきた神霊は、それ自体は形を持たないが、ともかく何かに依ることで、祭祀の対象となる。いくつかの古代祭祀器は、依り代として製作されたと考えることが出来、中国良渚文化期以来の玉器、j(そう)はまさにその目的に使用されたとみられている。

というわけで、今回はこのくらいにして、次のひま話で玉jについて書くつもり。んでは。

おまけ:余談だが、グレゴリー作はしもとみつる画の「水古風」(ミズコフ)に出てくる、歩三太という名前を、私はとても気に入っている(あるくさんた⇒アレクサンダー)。日本を好きな外人さんって、私たちよりずっと日本のよさを理解しているように思える。それとも外人さんだから、良さが分かるのだろうか。『「金剛石より堅いものは?」 「水。」「宇宙より大きなものは?」 「…こころ!」』

補記1:「19世紀になっても万聖節の夕べには、1年に1回俗世間に帰ってくるといわれる死者たちの霊のために、家族は「ソール・ケーキ」と果実酒を供えていた。子どもたちが「霊魂よ、霊魂よ、ソール・ケーキをどうぞ」と叫びながら、通りを行く村もあった。卵と牛乳と香辛料で作った、おいしい丸いパン菓子だったのに、今日では、ソール・ケーキを焼く田舎の主婦は少ない」(タイムライフブックス「イギリス料理」(1972)より)
”A soul, a soul, a soul cake. Please good missus a soul cake. An apple, a pear, a plum or a cherry, Any good thing to make us merry. One for St. Peter, two for St. Paul, Three for the man who made us all.” 
Allhallowtideの期間に子どもたちが歌いながら門々を回った souling song の歌詞の一例。

補記2:日本には神や霊を数えるのに、「柱(ハシラ)」を単位とする慣例がある。例えば「風土記」の「天神千五百万」は「あまつかみ ちいほよろづはしら」と訓ませる。

補記3:「人間は古くから魂は煙や香りのようなサトル・ボディ(精妙体)であるという理念を持っていた。同様に神々はものごとの香り−魂を受け取ります。彼らは燃焼のプロセスによって送り届けられる供犠の食べ物の香りで生きながらえています。(ユング「ヴィジョン・セミナー」 (p.757))


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