59.蛍石  Fluorite   (ペルー産)

 

 

きらきら光る、採れたての鉱石だよ

閃亜鉛鉱上の蛍石 −ペルー、ワンサーラ鉱山産

 

ペルーという国は、私が学校で「地理」を学んだ頃は、銀と亜鉛と鉄鉱石の大産地のひとつだった(16世紀以来一貫してそうだった)。南米の銀はスペイン帝国を支えた「打出の小槌」であり、その膨大な富がその後の近代ヨーロッパ経済を支える基盤となってきたのだ。

この標本がやってきたワヌコのあたりには鉄や亜鉛の鉱山がいくつもあった。アンデス山脈の分水嶺を越えた東側内陸の土地で、鉱石は主に銀を運ぶために建設された街道や鉄道を伝って山を跨ぎ、西の太平洋側へと運ばれ、世界に輸出された。

今はどうなっているのだろうか。こんな綺麗な標本が今でも供給されているのだから、きっと沢山の鉱山が現役稼動中で、坑夫たちは銀や鉛や亜鉛を求めて、山の根深く大地を穿ち続けているに違いないと思うのだが。

因みに当地の螢石の中に、ときどき六面体や八面体の淡い桃色のものが見つかる。閃亜鉛鉱などの金属鉱石と一緒に結晶していて、ダークメタリックとピンクの取り合わせが不思議な印象を与える。私は、螢石の中に極微(ごくみ)の金属の梨子粒が、眼に見えないけれども散らばっている錯覚を得て、螢石がアルミホイルの銀色の光を放っているような気が、ほんの少しする。

ついでながら、大分県尾平鉱山に産したピンク色のホタル石は紅色水晶と呼ばれていた。(1999.9)


追記:このトピックを書いた時、私はペルーの現役鉱山についてほとんど何も知らなかった、と思う。でも、今はネットで簡単に情報が手に入る。
ワンサーラ(ワンサラ)鉱山は 1721年に発見されたが、本格的な開発は20世紀後半に入ってからのことである。1960年代に日系資本が参入して鉛・亜鉛資源の調査を始め、1968年に開山された。以来、新しい富鉱帯が次々に発見され、半世紀に亘って採掘が続いている。2006年には 40kmほど離れたパルカ鉱山が支山として操業を始め(現在は亜鉛相場の関係で休止中)、翌年、両者の中間地帯にも新たに亜鉛鉱床が見つかった。本山では深部鉱床の開発に着手している。
リマから北上して 440kmの地点にあり、四駆で7時間の道のりという(全面舗装されている)。アンデス山脈の急坂を登って鉱山事務所に辿り着くと、そこは標高3,970m、年平均気温5度の世界である。いわゆるスカルン鉱床で、銅、鉛、亜鉛、銀などを産する。

ここから提供される標本には、白色の重晶石、黄銅鉱や四面銅鉱、巨大な黄鉄鉱結晶などがあるが、本命はなんといってもピンク色の蛍石であろう。ワンサーラ鉱山の蛍石はたいてい濃淡さまざまな緑色か無色透明、あるいは淡い紫色の八面体結晶で、内部に各種の硫化金属鉱物を含む。中にはイギリス、ダーラム産のように紫外線で蛍光する緑色蛍もあった。これにピンク色が加わったのは 1980年11月、100個ほど出た良品は忽ち博物館や愛好家の手に渡った。発色は痕跡量程度に含まれるイットリウムに因ると言う。
ピンク蛍はそれまでフランス/スイスのアルプス地方の専売品とされていたので、暫くの間、両者の識別や優劣が賑々しく取り沙汰された。ペルー産の特徴はコアの部分にやや青がかった緑色の微小なスポットが認められることだという。また母岩は緑色がかった白い微粒の岩石またはサイコロ状黄鉄鉱の結晶である場合が多い(方鉛鉱や閃亜鉛鉱上にも結晶する)。一方ヨーロッパ産はたいてい白い花崗岩か煙水晶上に着床している。
上の標本は90年代半ばに入手したものである。 その後、しばらくボナンザから遠ざかっていたが、2008年7月、1980年の発見場所のすぐ近く、すでに操業を停止したエリアで、1ケの晶洞から60ケほどの良品が回収された。良品に限らなければこれに十倍する標本が出回ったはずである。
cf. 蛍石ギャラリー29

ちなみに今日では、ヨーロッパ、ペルー産に加えて、パキスタンのフンザ峡谷や内モンゴル自治区からもピンク蛍が出ているが、いずれも八面体を基調とした結晶である。上の標本はちょっと分かりにくいがサイコロ面を基調としており、自分の眼には淡いピンク色に呈色して見える。とすると、ピンク蛍としてはちょっと変わった一品であるかもしれない。 (2017.5) 

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