60.トラピッチェ・エメラルド Trapiche Emerald (コロンビア産) |
トラピッチェとは、スペイン語でサトウキビの絞り機のこと。六角形の歯車をもった農耕機具である。6つのエメラルドの結晶が、放射状に集合している様子を、歯車に見立てて命名したわけで、なかなか風流な名前ではないか。草緑色をしたサトウキビのジュースは、エメラルドの緑を連想させるし。(というのは、こじつけ)
この珍しい変種は、1964年に、コロンビアのチボー鉱山で発見された。当時から、エメラルドがこんなふうに出来るなんておかしいと、不思議がられていたが、今でも、どうしてなのかわからないようだ。(追記3)
トラピッチェには、2つのタイプがある。上の画像は幾分昔に出回った標本で、上述のチボー鉱山で出たのがこのタイプ。板状のエメラルド結晶が直線的に放射し、間を扇形の土くれが埋めている。写真では、きたなく見えるが、土くれの正体は白色ベリルの細粒だという。(エメラルドは緑色のベリル)
2番目の画像は最近市場に出ているタイプ。ほんの数年前に、ペーニャ・ブランカ鉱山で見出された新種という。標本はムゾー鉱山産のものだが、同じムゾー地区に属する。輪になった6つの結晶を、直線状の黒い鉱物が分けており、エメラルドの部分は台形になる。緑色が多くて美しいので、ちょっと変わったカット石として珍重されている。(楽しい図鑑2(1997)に分離品が載る。)
トラピッチェ・エメラルドの各セクターは光学的方位が異なる二相からなり、複雑なラメラ・ツイード組織を形成する。通常のエメラルドは六方晶系光学一軸性だが、トラピッチェ・エメラルドでは二相とも光学二軸性負を示す(対称性が低下している)。また二軸性のバンドと一軸性のバンドが交互に並ぶ組織も報告されている。
追記:トラピチェ・エメラルドが初めて発見されたのは、1924年だったという説と、1879年ムゾー鉱山で、という説もある。どれが正しいか知らない。いずれにしてもごく近年に至るまで、この石がコレクター以外にまったく注目を集めなかったのは確か。
最近この種のエメラルドには細かい砂質(泥質よりやや粗い)の堆積岩中に出るものがあることを知った。(追加した)下の画像がそれで、ペーニャ・ブランカ産と標識されている。結晶を分画するのはやはり黒色の物質のようだが、その外側を灰色の砂質が埋めている(母岩と同じ物質)。
この標本は 2002年に入手したが、業者さんの前宣伝では、「トラピッチェ・エメラルドの標本は分離品ばかりでこれまで産状が分からなかったが、ようやく母岩付の標本が出てきたことで明らかになった。貴重な標本」ということだった。即売会に並んで奪り合いになってジャンケンで負けて、これは次点の品である。
その後 2009年の通販リストにボヤカ産の黒色母岩付の標本が紹介された。手元のベーニャ・ブランカ産とまったく違った景色を見て、あ?と思った。
さらに後になって、ジョン・バーロウのコレクション・カタログ(1996)に、ムゾー産の母岩付標本があるのに気づいた。同じく母岩は黒色有機物を含む頁岩で、トラピッチェの分画をなすのは同質の黒色物質である。
このテの頁岩や石灰岩は堆積性で、エメラルドはこれを切る熱水脈中に生じる。母岩は比較的硬い。
一方、手元の標本は爪をあてれば削れるほどの柔らかい砂質である。エメラルドを生じる鉱化作用が堆積岩の硬さに関係なく起こったと考えられるが、あるいは風化を経た二次的な産状(漂砂鉱)であるのかもしれない。
ペーニャ・ブランカは 1965年に採掘が始まった鉱山で、国権が制しえない超法規的集団がこの地域を占領した時に、収入源として運営を始めたという。
コロンビアのエメラルド産地は二つに大別できる。一方はアンデス山脈の3つに分岐した東側の尾根の西麓、マグダレーナ川流域にあるムッソー地区で、ムッソー、ペーニャ・ブランカ、コスケス、ラ・ピタ鉱山などが含まれる。もうひとつは同じ尾根筋の東麓に位置するチボー地区で、チボー、ガチャラ鉱山がある。
チボー地区とムッソー地区とでトラピッチェの分画の具合が違っているのは、両者の地質条件に幾分の違いがあるためと考えられる。
エメラルドは六方晶系の鉱物で一般に複屈折性・一軸性であるが、トラピッチェ・エメラルドは 2軸性を認められている。結晶構造が(X線回折では判らない程度に)微妙に異なる2種の結晶が混在しているためとみられ、少なくともその一つは三斜晶系だと報告されている。 (2022.9.4 増補)
追記2:桃沢氏「ジュエリー言語学」(2007)によると、トラピッチには「オリーブ絞り機」、「サトウキビ絞り機」、「砂糖工場」、「粉砕機(grinding
machine)」の意がある。
エクアドルで使用されている砂糖絞り機の画像
2010年撮影 (Stock photo -with editorial use permission より) ⇒ リンク
追記3:トラピッチェ・エメラルドやトラピッチェ・ルビーの成因については、Lu
Taijing や砂川一郎博士らに、組織形状と含有不純物の分布量の領域ごとの変動をもとに行った考察がある。
トラピッチェ・エメラルドについてはコアとなる六角柱とその各稜から放射状・直線状に発達した二相領域、そしてその間の台形を埋める成長分域(アーム領域)とに分けられるタイプのものを考察している。これらの境界部や二相領域はエメラルドと曹長石で出来、コアと台形の成長分域はクリアな(純粋な)エメラルドだと分析する。
トラピッチェ・ルビーも同様の組織を持つが、コアの各稜から放射状・直線状に伸びる部分はコランダム、方解石、珪酸塩鉱物で出来、その他の領域はクリアなルビーという。またトラピッチェ・サファイヤではコアの各稜から放射状・直線状に伸びる部分は曹長石、ルチルで出来、その他の領域はクリアなサファイヤという。
(その前提で)彼らの説では、生成順序は、1)コアの部分(単一相)の形成、 2)コアを基盤とした2相(多相)の共沈による急速な樹枝状成長、3)樹枝状の成長で決まった骨格の間を埋める成長分域のゆっくりした単一相の成長 (層状成長)である。
根拠は、トラピッチェ・ルビー中のクロム(チタン)の含有量が放射状・直線状に伸びる部分(樹枝状部)では根元から先端まで一定であり、一方、成長分域では外形に平行な変動が認められることによる。
すなわち、樹枝状部は急速に短時間に成長したため、不純物を含み、かつ元素分配は主として温度・圧力など熱力学に支配された特徴を持っており、成長分域では元素分配が層成長によるカイネティクスに支配された特徴を持っているのだという。(砂川
「結晶」(2003) 13.2)
ただこのタイプの成長機構は、本ページのいくつかの標本、及び No.708のトラピッチェ・ルビーに見られる台形成長分域に認められる外形に「垂直」な組織(コアの各辺に対して垂直の方向に伸びる放射状・直線状の組織)の由来を説明してはいない。
ちなみに、外形に「垂直」な組織がトラピッチェ模様をなす、いわゆるトラピッチェ水晶が、コロンビア、モンゴルまた日本各地のスカルンで報告されているが、この放射状組織は炭酸塩鉱物のエピタキシャルな成長がリードして生じたものとみられる。
トラピッチェ・エメラルドやトラピチェ・ルビー(サファイヤ)は骸晶成長がリードしてトラピッチェ模様を形成したのに対し、トラピッチェ水晶の成長機構は異なっているのだから、別の名称を使おうと研究者たちはいい、ポラリス(北極星)・クオーツとか、桜水晶(菫青石仮晶の桜石の構造を連想している)とか呼んでいる。
しかし(もともと)トラピッチェ・エメラルドやトラピッチェ・ルビーにも同様の放射状組織が存在するので、彼らの主張は正当でないと思われる。
水晶の(疑似)六角柱状結晶が生じ、その後第二世代の水晶が晶出するとき、もとの水晶の結晶面に対して垂直、ないし、ねじれた配置で連晶することがしばしばある。第二世代が生じる以前に、おそらくもとの水晶の表面になんらかの状態変化(不純物のエピタキシャルな沈積など)が起こっていると思しい。私としてはトラピッチェ・エメラルドもトラピッチェ水晶も、この種の過程が同様に加わって生じたもののように思われる。