685.トムセン石(パクノ石) Thomsenolite(Pachnolite) (グリーンランド産) |
氷晶石はふつう塊状で産するが、その空隙や晶洞に、小さな細柱状〜針錘状の結晶が見られることがある。パクノ石
Pachnolite とトムセン石 Thomsenolite である。
いずれもイヒドゥートが原産の希産種で、組成式は NaCaAlF6・H2O。氷晶石からの変成水和物として生じ、晶洞部にカルシウムやマグネシウムを含む溶液が浸入し、氷晶石と反応して晶出したものとみられる。両者は同質異像の関係で、緊密に共存して産する。
パクノ石は1863年にA.クノップが報告し、ギリシャ語の霜に因んで命名した。和名を霜晶石と称することもあるが、何分希産なので一般のコンセンサスが得られているかどうかは不明。先端の尖った針状の結晶が、氷晶石の表面や晶洞を覆ったさまを、ちょうど霜が降りたようだと見立てたのである。
クノップは多数の標本を観察した結果として、パクノ石には2つのタイプがあることに気づいていた。結晶の形やへき開の方向、氷晶石の表面に成長する方向性、また連晶の配向性によって2つのグループに分けることが可能とみたのだが、化学成分が一致することから彼は両者は1つの鉱物種に帰すると考えた。(1866年の論文ではパクノ石A、パクノ石Bと呼んでいる)
パクノ石のタイプに言及した学者は他にもあって、ハーゲマンは1866年に、正方型のタイプはパクノ石と区別しがたいのではあるが、トムセンが記述した鉱物と同じものではないか、と述べた。1867年にデ・クロワゾーはパクノ石は単斜晶系であり、柱状の結晶はおそらく双晶によるものと述べた。デーナはハーゲマンの言う正方型のパクノ石もまた単斜晶系であるが別の鉱物だとみて、最初の報告者トムセンに因んでトムセン石と呼んだ(1868年)。トムセン(ハンス・ヨルゲン・ユリウス・トムセン(1826-1909))は
No.684
に紹介したとおり、グリーンランドの氷晶石産業の産みの親ともいえる人物である(育ての親はポール・エルー法の2人だろう)。
その後何年もかけて、両者が別種の鉱物なのか、同じ種で単に結晶形が異なっているだけなのか議論が続けられたが、1877年、クレンネルとクラインが両者は同質異像であると結論づけた。ちなみにハロゲン化鉱物が単斜晶系の構造をとるのは珍しいそうである。
パクノ石とトムセン石との違いについてはさまざまな特徴が挙げられているが、両者が共存するとき、次の傾向があるという。
1)結晶の大きさはトムセン石が大きく、パクノ石は小さい。
2)トムセン石は平行に並ぶ(連晶する)ことが多い。これはパクノ石には見られない。
3)パクノ石はトムセン石の結晶表面に生じていることが多い。
4)トムセン石の柱部の角の角度はほぼ90度である。パクノ石は90度から離れて、少しひしゃげている。
5)トムセン石の先端の錐部の角度はパクノ石のそれよりも鋭い。
もっと細かく言うと、パクノ石は{110}と {111}方向に柱状で、つねにc軸で双晶する。トムソン石は{110},{001}に長短柱状(ときに擬立方体形だが、たいてい長柱状)。パクノ石は{001}方向に不明瞭なへき開を持ち、トムセン石は{001}にへき開完全(へき開面は真珠光沢)、{110}に明瞭なへき開性がある。
私が鉱物図鑑などの写真を見て思うには、柱状結晶の先端の角錐部が少しづつすぼまってゆく標本が(ときに頭部が尖らず正方形の面を見せているのが)トムセン石とされ、柱部から直線的に先端のとがった四角錐になっている標本がパクノ石とされているようである。
画像は No.684 で示した氷晶石の標本の一部を拡大したもの。写っている結晶は形状から見ておそらくトムセン石だが、パクノ石も混ざっているかもしれない。