711.合成ルビー Synthetic Ruby (ラモーラ社) |
鉱物種としてコランダムに分類されるルビーとサファイヤとは比較的合成の容易な宝石で、1世紀前にはすでに工業プロセスが確立されていた。フランスの化学者ベルヌーイ(ベルヌイユ)の火炎溶融法はその嚆矢で、近山大事典によると、彼は1891年にルビーの合成に成功し、1904年頃(1902?)には天然石と同じ成分・結晶構造を持つ合成ルビーの生産を始めたという。
最高級の天然宝石が合成宝石に酷似している、いや合成宝石が最高級の天然宝石にそっくりなことは隠れもない事実である。それは合成石が自然界では稀な、きわめて理想的な環境下で出来たものだからだ。コルニツアーは「宝石、それはあまりにも希少なもの」と述べたが(No.710)、その種の理想的な天然石はあまりにも得難い。一方、合成石はそうではなく、その点で合成石は宝石と呼べない…というのは言葉のアヤだが、実際合成ルビーは天然ルビーと同格には認められなかった。
宝石に対して培われてきた、そして強固に支持されてきた信仰・ブランド・市場価値は、多少の混乱はあったにせよ、総体として堅守された。ロマンチックな表現をすれば、人々は希少であるがゆえに価値がある天然宝石への夢を見続けることにしたのだったが、もちろんこれは単なる感傷でなく、宝石の希少性神話を維持することに大きな社会的・経済的意義があったからである(合成石の供給者にとってさえ)。
天然石と合成石とは別の次元の存在として区画され、天然だからこそ認められる価値、というテーゼが打ち建てられた。そして宝石業界は両者の識別にたいへんな注意を払うようになった。(合成石供給者の視線はより識別しにくい石を作る方向に向かった)
もともと宝石はホンモノとニセモノとの境界が紛らわしいシロモノで、ホンモノの見極めと提供は宝石商(業界団体)の信用・技能・意義を評価する重要な基準であったが(あるべきだったが)、これに天然石と合成石の識別が加わったわけである。それはある意味で、合成石は「ホンモノではない」というニュアンスをはらんだ。(逆になぜ識別しなければならないのかと言えば、合成石は「ホンモノでない」と考えた方がたいていの人にとって好都合だったからである。)
さて、20世紀も後半に入ると、天然石は希少なものであるとばかりは言えなくなってきた。世界が狭くなるほどに、宝石は特定の地理圏・文化圏の中で信じられたよりも、はるかに多く存在していることが明白になってきた。また科学技術が発達するほどに、実際に大量の宝石が供給可能となってきた。それでも統計的に言えば、採掘された原石の中で最高級にランクされる宝石の比率はけして高くなく、供給量が増えても需要も増えているために、偏差値的な立場での希少性や市場価値は損なわれていない、と強弁することが出来る。またかつて採掘され、今はほとんど同じ品質のものが得られない特殊なタイプの希少宝石も存在する。トップクラスの宝石を手に出来る人は依然特権的な、比率的にわずかな富裕層に限られているのである。
とはいえ宝石への嗜好が一般大衆にまで裾野を広げ、最高級品は論外としても、ある程度背伸びすれば手が届くレベルの品質と希少性の天然石が、大量に求められ供給されて大きな消費市場を形成しているのが現代という豊かな時代であろう。ルビーについて言えば、(フツーの人は)誰も目にしたことがない「ピジョン・ブラッド」を頂点として、アクセサリー級の「宝石」が大量に流通している(cf.No.710)。
これを工業製品に譬えれば、一握りのセレブリティを対象とした少量の最高級製品を頂点として、同じブランドの下に下位モデルの製品が大量に生産され消費されているのと同様の仕掛けだと言える。
このクラスでは、何をホンモノと呼ぶのか、またその石がホンモノでなければならないのか、という議論自体が本質的に曖昧であるが、(すでに希少性はこのクラスの石には関わりがない)、それでも天然石である限り、合成石にはない付加価値が想定されているといえる。
ところが現代は、その天然石と合成石(人造石)との境界もまたかなり曖昧なのである。大量に採集可能な低品質の、本来宝石とは呼べない天然石に人為的な処理を施すことで、比較的品質の高い宝石にランクアップすることが可能となっているからだ。
そんな石が最高級の宝石に紛れてしまう状況、そして形骸にせよまだ機能している希少性神話が顧みられなくなる状況、これは宝石業界がなんとしても認められないことであろう。