712.コランダム Ruby/Corundum (タンザニア産) |
ワイヤ状の金属の一点をゆっくりと加熱して融点まで導きつつ、
加熱点を次第に一方から他方へずらしてゆくと、
金属中の不純物が次第に先方へ移動してゆき、金属が純化される。
この標本はそんなことを想わせる。
コランダムの周囲では雲母が極端に減少している一方、
ある距離はなれた位置に膜のように雲母の密度が高い領域がある。
(ようにみえる)
実際には周囲の成分を選択的に取り込んで、
中心部に融点の高い物質(コランダム)が再構成されているのであるらしい。
熱変成作用の進行を示す摸式的な標本。
往時のローマの奢侈についてギボンは、ローマ市の豪華・洗練を促進するために、古代世界の最僻遠地までが漁りつくされた、と述べている。その一例にタキトゥスの「ゲルマニア」を引き、「バルト海沿岸からドナウ河にかけて、はるか陸路を経て琥珀が将来された。蛮族たちはこんな無用物にこんな大金を払うのを見て驚いた」という。
似たような状況は現在の国際社会でもみられる。ルビーやサファイヤなどの原石が、日々の暮らしに精一杯の人々を多数抱えたアジアやアフリカの発展途上国で採集され、欧米諸国(日本を含む)に流れ込んで大金で取引きされる。なんの実用性もない(こともないが)宝石一つの末端価格が彼らの年収をはるかに超えることも珍しくない。そんなお金の使い方をするとはまったくあきれ果てた所業であろうが、一方蕩尽によって経済大国の富の幾ばくなりかが還流されて彼らの口を糊する、これもまたギボンが述べた状況と同じと思われる。
宝石は古くから宗教的・呪術的・魔法的な側面を持ったアイテムだったと弁護する向きもあるが、食うに困らぬ文明社会では、そんなこととは関係なく、奢侈品としての宝石に多額の金銭が投下され、迷信的な希少価値に驚くほどのプレミアがつきがちなのであった。宝石の適正価格とはなんなのか、これは考え出すと相当に難しい問題である。
ともあれ優れた宝石は富に直結しているものだから、石を色揚げしたり、欠点が目立たないよう化粧したり、似たモノを探してきたり、人の手で作り出したりといったことが、昔から−ギリシャ・ローマよりもはるか昔から行われてきた。
古来、宝石にとって絶対肝心なことはその色の美しさにあり、厳密な鉱物種の区別などは二の次だった。が、科学が発達するにつれ、種の識別にも注意が払われるようになった。ルビーの場合、1783年に最後の砦のスピネルが結晶学的な検討によってルビー(コランダム)と分離された(補記1)。そしてほどなく成分が明らかにされると、合成が試みられるのは必然であった。
19世紀前半にはラボレベルでの合成が行われ、20世紀初には商業的な生産が始まった。天然ルビーの熱処理改質法もまた広く知られていた(加熱によって好ましい色に調製される宝石は枚挙に暇がない: 補記2)。
Brauns の「鉱物界」(1912)を繙くと、溶融石英のるつぼの中でルビーを赤熱すると暗い赤色がまずくすんだ赤色に変わり、それから緑がかった青色に変わること、そして冷却の過程で再び元の赤色に戻り、そのとき透明度が増していることが出ている。
またベルヌーイの合成法に触れて、最近美しい人造ルビーが作られるようになったこと、顕微鏡的な観察によって認められる特徴があること、にもかかわらず合成ルビーは天然よりもむしろ質のよい「ピジョン・ブラッド」の赤色を呈すること、が指摘されている。当初、合成ルビーの色は正しく最高色である「ピジョンブラッド」と認識されていたわけで、別の言い方をすれば、合成ルビーと最高品質の天然ルビーとを色に拠って分けることは困難だったのである。
その後半世紀ほどは合成ルビーも加熱改質ルビーもいずれも邪道と考えられていたが、1960年代以降、ミャンマー産ルビーの入手が(量的に)困難になり、生のままでは品質の劣るタイ産ルビーを商流の主力に押し上げざるを得なくなると、少なくとも加熱改質については商業モラル上の問題はないとする流通業者が大勢を占めるようになった。石に別の物質を加えるわけでなく、ただ(自然界でも起こりうる)熱履歴を経るだけであって、変化後の色調は日常的な環境で安定しているから、というのがその主張である。
加熱改質の受容によって希少性のバランスは大きく突き崩されたが、一方で宝石が先進諸国の一般大衆にとって容易に入手できるものとなったのであり、新たなバランスにシフトしたともいえよう(もちろん非加熱品にはプレミアがつく)。
とはいえ「何も足さない」ことが受容の要件であるとすれば、No.710で述べたルビー表面の小孔へのガラス充填処理にははっきり問題があり、表面拡散法による青色着色にも疑義を挟まざるをえないことになる。(その事実を公表して販売することには問題がない、とする意見もあるが)
では 92年頃始まったとみられるモン・シュー産ルビーのクラック融合処理はどうか。この鉱山のルビーは、核に蒼ざめた色合いを持つものが多く(そのため潜在的に持つ赤色の強烈さが相殺されている)、また多数のクラックを含む傾向があるが、ホウ砂に浸けた石をバーナーで炙る処理法によって欠点を補い、色調の改善とクラックの低減(透明度の改善)とを図ることができる。
この方法は地元の職人によって偶然に発見されたとみられているが、古来冶金用のフラックスとして用いられてきたホウ砂の性質が宝石にも有効に働いた例である。
コランダムは単独では2000度以上の融点を持ち、バーナーで炙ったくらいでは融けない。しかしホウ砂をつけると1000度を超える程度の温度で溶けだす。石の表面からクラック中に浸透したホウ砂は周囲のルビーを溶かし、溶けたルビーがクラックを満たす。そして冷却過程で再結晶してクラックを縫合するのである。その後表面に浮き上がりガラス化したホウ砂は酸洗で除去される。こうして処理されたルビーは理想的には「何も足さない」物質だが、現実にはホウ砂ガラスが内部に微小インクルージョンとして封じ込められていたり、処理が甘くて表面に付着したまま残っていたりする。ために発覚して西洋圏で問題になったのであり、またクラック内で再結晶したルビーがラボで識別可能なことが明らかにされたのだが、ではこの技術を受容するのかどうかについては議論が分かれ、いまだ定見がないようである。
自然界でも結晶の割れ目が後になって融合されたり、空隙に同じ種の鉱物が晶脈を成すことは普通に起こっている。
一方、クラック部分を埋めるルビーは素材こそ天然であるものの、合成品と選ぶところのない再結晶ルビーであるともいえる。いわば天然と人造のハイブリッド・ルビーといえるわけである。
とはいえ不安定なオイル含浸処理と違って安定であるし、ガラスや樹脂などの異材含浸でなく、あくまで同じ物質による充填である。その評価はどう定まっていくのだろうか。
ちなみにもっと融点の低い宝貴石−たとえば琥珀−では、原石を砕いて異物や劣質部分を除去してから、熱圧でくっつけるといった処理が昔から行われてきて、さほど問題視されていない(もちろん処理をしない石にプレミアがつく)。
モン・シュー産のルビーは処理が発覚するととりあえず忌避されたが、なにしろすでに市場の過半を占めていたために一時はルビーの取扱いを見合わせる宝石業者も多くあった。そして
90年代末以降には代わってアフリカ産(マダガスカルやタンザニア等)のルビーが台頭するようになった。原石資源を押さえたのはやはりタイの宝石業者である。ところが数年を経ずして、今度はアフリカ産のルビーで高屈折ガラスを充填する処理が発覚した。こうしたことはどうにも締め出しようがないもののようであり、昔から不断に行われてきたことの現代版に過ぎないもののようでもある。
結局は何も処理をしていない宝石に最高品としてのプレミアがつき、限られた人の間だけできわめて高額で取引きされる。我々が手にするのは畢竟一般人向けの商品であろう。これまた万古不易の法則であるかもしれない。
画像の標本は2000年代に市場に出てきたタンザニア産のコランダム標本。こうした産状の分かる見事なものは以前にはほとんど出回っていなかった。中央にある結晶はその周囲を丹念に削って浮彫りにしたものだが、上部の結晶はむき出しになっており、いささか不自然である。実は接着されている。
この種の接着処理は、以前は標本商にもコレクターにも邪道とみなされていたが、最近は受容されているらしい。おかげで見事な摸式的標本が容易に手に入るともいえる。非処理品はやはりセレブ・コレクターの手に渡るのであろう。
補記1:逆説的な発想であるが、今日、ルビー、スピネル、ガーネット等に分類される赤色の宝石は古代にはいずれもルビー(カルブンクルス)と考えられていたが、これらの中でもっとも希少なルビーが、最終的にルビーの名の下に残されたわけである。そのことがルビーの希少性(経済的価値)をいや増しに高めた。(しかしローマ時代のカルブンクルスは実際にはたいていガーネット(パイロープ)だったという。cf.No.713
補記6)
ちなみにアグリコラは「美しい赤色と素晴らしい輝きを呈するカーバンクルをスピネルと呼ぶが、これはたいてい小粒である」「少し大きな石をイタリア人はルビーと呼ぶ」と述べているが、むしろ逆ではないかと思われる。(数カラットを超えるルビーは稀で、「黒太子のルビー」のような歴史的な大粒ルビーはたいていスピネル)
ルビーとスピネルを結晶形によって区分したのはフランスのロメ・ド・リールだとデーナは述べている。ド・リールはルビーとサファイアが同じ鉱物種であることも発見し、のちにアウイがさまざまな色のものを含めて一種にまとめた。しかしこのことはアジアではずっと昔から知られていたという。成分の分析はスウェーデンのベリマンが初期の研究を行い、1795年にドイツのクラプロートが仕上げた。
補記2:フェルスマンは、最初に人工着色されたのはおそらくめのうで、ギリシャ人とローマ人は2000年以上前に加熱すると美しい赤色になる性質を利用していたし、各種溶液に浸けて種々の色に着色した、と述べている。ミツの入った鍋で数週間煮て、清水で洗い、ふたたび数時間硫酸中で煮て、(黒い)オニキスを得た。
またウラルの農民は、煙色のトパーズをパンの中に入れて焼いて金黄色にすることを昔から知っていた。紫水晶も同様の方法で焼かれて濃い金黄色にされた。(おもしろい鉱物学
邦訳P.157-158)
プリニウスは、光のない石(カルバンクルス)でも 14日間酢の中に浸け込んでおくと輝きが強くなること(輝きは数か月保つ)、ガラスを使って精巧な模造ルビーが作られることを述べている。(擬似)宝石の製造法の歴史は古く、エジプトやメソポタミア文明の記録まで遡ることができるという。
ちなみに「西洋事物起源」(ルビー・ガラスの項)によると、ガラス彩色技術は以前はヨーロッパ中にいきわたっていたが、次第に使われなくなり、17世紀の初めには失われた技術と考えられていた。しかし18世紀には再び関心を集め技術の復活(再発見)をみた。ベックマンは、ヨハン・クンケル(1630-1702/03)が大量の人造ルビーを作り、高価格で重さでもって販売したと述べたことを引いている。
補記3:ミャンマーではモン・シュー鉱山を新鉱山、モゴックを旧鉱山と呼ぶ慣例があり、新坑のルビー、旧坑のルビーなどと呼んだ。もちろん旧坑のルビーにプレミアがついた。ヒスイでも同じで、「老坑」のヒスイは新坑のものより価値が高かった。だいたいにおいて古いものは声価が定まっており、欲しがる人も多いので、新出来品より貴重視される。しかし1世紀たてば新出来品も立派なクラッシックに化ける。