717.ルビー Ruby (マダガスカル産) |
竹山道雄の「ビルマの竪琴」(1948)は、ある世代以上の人なら知らない人はまずないと思われる児童文学で、私なぞは小中学生時分に読んでいたく感動したクチである。しかし終戦から2世代以上の歳月を経た今の若い人にとってはどうだろうか。この本を、あるいは「善太と三平」、「二十四の瞳」、「ふたりのイーダ」といった類の本を、そもそも手に取る機会があるのだろうか。
幼稚園の頃、遊びといえば戦争ごっこ。「名探偵カッレくん」に描かれるに似た、赤バラ白バラの終わることない(決着をつけてはならない)愉悦の日々。小学校に上がると教室には「のらくろ」があり、揚々と軍歌を歌う友の姿があった。そもそも戦後という区切り自体、深く戦争を意識した言葉であったが、いま思えば昭和の終りが戦後の終りであったろうか。日常風景のあり方も随分変わってしまったように思われる。
「ビルマの竪琴」は、太平洋戦争においてビルマ(ミャンマー)で戦った帝国陸軍が、戦況芳しくない中、転進(つまり撤退)を重ね、あとひとつ峠を越えればシャム(タイ)へ脱出という地点で英軍の包囲に落ちて、そこで停戦を知ったところから始まる。戦後まもない日本の児童向けにと書かれたお話なので、戦前の軍国少年向け小説のような、南洋の血沸き肉躍る冒険的戦いは描かれず、国敗れた後、何を反省し、何を心の礎として日本を再建し未来を拓いていくべきかがしんみりと、しかし頻りに考察される。その基調となっているのが、主人公、水島上等兵の身の処し方である。
投降した「歌う部隊」は捕虜となり、山を降りてシッタン河を下る。そしてムドンの町で収容所生活を始めるが、水島は未だ山中に立て籠もり続ける友軍説得の任務を与えられ、ひとり戦場に戻ってそのまま消息を絶った。抑留の日々、隊長や戦友らは水島の身を案じ続けるが、そんな彼等の前にいつしか彼に生き写しのビルマ僧の姿がちらつき始める。あれは水島ではないのか、だとしたらなぜ帰って来ないのか…。
やがて捕虜の帰還命令が下って明日は帰国という日、ついに彼等はビルマ僧の正体を知った。しかし僧は去り、代わりに手紙が届けられる。復員船の中で披けば、部隊と分かれた後の水島上等兵の行跡と揺れる心情とが綴られていた。
水島が説得に向かった友軍は結局玉砕の道を選んだのだった。真っ先に死ぬつもりで捨て鉢の行動に出た彼は辛くも生き延びる。そして紆余曲折の後、僧形に身をやつして部隊が収容されたムドンに向かった。各地で弔われぬまま放置された日本人兵士の遺骸に出遭い、そのたび埋葬しながら旅を続けた。しかしシッタン河の渡河点で見たあまりの惨状にはなす術もなく、悲しみに包まれながら諦めて去った。ところがようやく辿り着いたムドンで、異国人の英人が日本兵無名戦士の墓を立てて供養をしている様子を見た。慚愧の念に促されて再び渡河点に戻り、村人らに援けられながら遺骸を集めて弔った。そしてその村でほんとうの仏僧となった。収容所へ戻ることを断念し、苦しみの多い世界にわずかながらも救いをもたらす者たるべく、異土に留まる決意をしたのだった。
僧となる覚悟を決めた最後の一押しはシッタン河の川底からルビーを拾い上げたことだった。
「その河原で、私は原住民や村の僧たちの手をかりて、ようやく埋葬をおえました。そのとき、河原を掘っていると、砂の中から大きなルビーがでてきました。有名なビルマのルビーです。それは炎をあげるように紅くかがやいて、まばゆいほどでした。これを手にしているうちに、私にはこの宝石が、死んだ人たちの魂のように思われました。私はたくさんの骨を持ってあるくことはできませんから、このルビーをこの国で命をおとしたすべての人の遺霊と考えて、それからはいつも肌身はなさずにもっていました。そして、お寺に入ると、これを祭壇にまつりました。」
炎のようなそのルビーは、彼にとって犠牲として流された同胞の血であり、死者たちの魂が凝ったものと感じられた。そしてビルマで命を落としたすべての人のために人生を捧げることこそ自分が進むべき道と思うに至ったのだった。
僧となった彼はビルマの各地に散らばった無名兵士の骨を残らず拾い集めて弔うことを誓う。骨はかつて戦った者の痕跡である。それぞれの大義に殉じた人々に繋がる微かな記憶への扉であり、すめらみことの赤子(せきし)たちの魂の最後の依り代であろう。それはまた、大日本帝国という国が「進め一億火の玉」となって心をひとつに合わせて戦い、信じれば叶うと見続けた勝手な夢の果てに砕け散った炎の断片、日本人の集合的魂から弾けて迷子になったカケラであるともいえよう。
骨を最後のひとつまで集め了えるまで已まない水島の悲しみは、すべてのカケラをまた一つに繋ぎ合わせて、そこからよりよき国を、よりよき日本人の魂を更生しようとする願いと表裏一体である。彼はその成就を生き残った者の使命として引き受けたのだ。
生き残った者は過去を振り捨てて新たな道を拓いていくことも出来る。しかし彼は死者の骨を(いわば過去を)拾い集めて未来に繋げる道を選んだのだった。
「お〜い、水島、一緒に日本に帰ろう」と、歌う部隊の戦友たちは声をかけた。もちろん彼も帰りたいのである。それでも誰も後に残していってはならないと誓い、募る帰心を抑えた。そんな彼であればこそ、透きとおった血のような、真紅の薔薇のようなルビーを、亡き兵士たちの魂、いわばローザミスティカと受け止め、肌身離さず護ったのだ。
かくて水島上等兵の行跡は、誰もおきざりにしない薔薇乙女ローゼンメイデンの誇り高き第五ドールの戦いに響き合う。
それはまた、本国に留まって何人もの教え子の出征を見送った著者が、作品をこのように紡ぎ出し、作品に託した心情でもあったと思われる。そして戦後の新しい民主主義下の児童に送ったのである。忘れるな、と。
私たちにとって先の戦争は遠い過去の出来事で、生活に関わりのあるものではない。しかし私たちを今あるように育んだものが、かつて多くの日本人が共有し、受け継いできた心のある種の母体であるなら、その在り方はやはり今の私たちにも繋がっているであろう。結晶のカケラは私の中にもあり、私たちの中に光っているであろう。ならば私たちもまた過去を忘れ去ってしまうべきでない。薔薇の指輪にかけて誓わなければならない。真紅のルビー、私たちと祖のローザミスティカを護る、と。
補記:ちなみに神秘の薔薇 rosa mystica
とは、西欧では聖母マリアを呼ぶ言葉のひとつ。女性なるものの象徴であり、母親の象徴である。
大日本帝国軍の若き兵士らは、進軍ラッパを聞くたびに瞼に母の顔を浮かべ、絶命の秋には「かあさん…」と呟く、と内地では長く信じられていた。戦後、母は岸壁に立って子の帰還を待ち続けた。日本人の集合的魂。