775.斧石 Axinite-(Mn) (ロシア産)

 

 

Axinite-(Mn)

マンガン斧石−ロシア、ダルネゴルスク産

 

NHKラジオの気象通報を聴きながら天気図を描く、という趣味は、今となってはあまり流行らないかもしれない。もしかしたら絶滅危惧種であるかもしれない。しかしかつてそれは理科少年の嗜みのひとつであった。少年にとって、ラジオというモノ自体がある種の憧れを担った時代が確かに存在したのであるが、そのラジオから日に数度、「南大東島では、南南西の風、風力2、晴れ、13ミリバール、25℃…」とか、「三陸沖を通る 1025ミリバールの等圧線は、北緯 40度-東経 150度、40度-152度、38-155、37-155…の地点を通って…」といった呪文が流れてきた。その呪文を聞き取って専用用紙にひたすら忠実に記入していくと、20分後には自前の天気図がほぼ出来上がっている按配である。風向きを参考にしながら巧みに補間された、滑らかに無理なく流れる等圧線の渦を眺めて安堵のため息ひとつ、しばしの達成感に浸る。
何が面白いんだか…と言われればそれまでだが、ある種の男子にはそういうことに夢中になる時期があるのだと思われる。今でもテント担いでアルプスの尾根道を歩いている類のヒトの中には、ラジオをチューニングして電波を拾い、テントの中で天気図を描いている奇特な御仁も、あるいは残っているのではあるまいか。

気象通報がカバーする観測点の範囲は日本本土を大きくこえている。「ウツリョウ島では…、アモイでは…、テチューヘでは…」と、これまた呪文のような地名と共に、遠い異土の天候がほぼリアルタイムで伝えられた(数時間の時差などないに等しい)。少年はハバロフスクの吹雪を、モッポの雷鳴を、マニラの暑さを想像し、入電の途切れがちなラワーグの消息を気にかけた。行ったこともない足摺岬の強風をしのび、厳原の雨を想った。

私の場合はいつしか気象の世界から遠ざかり、異土を遥かに想うよすがは気がつくと鉱物標本のコレクションとなっていたのであるが、つい最近、鉱物愛好家にとっての聖地のひとつ、ロシア・沿海州のダルネゴルスクが、かつて耳に馴染んだテチューヘであったと知って眩暈のような感覚に包まれた。遠い昔が時空を超えて今に繋がったような、途切れたはずの糸が気づかないところで実は繋がっていたと知ったような、もちろん客観的には他愛もない繋がりなのではあるが、自分の中では運命的にすら感じられる、懐旧の念と共に解放されたエナジーの還流があった。こんな時私は、自分が正しい道の上を歩いていたと保証されたような気がする。(しかし本当は、単にある種の性質を持っているヒトは、ラジオを聴いたり、天気図を描いたり、標本を集めたり、地理や地学の勉強に夢中になったりする傾向がある、というに過ぎないのだろう)
とはいえ、その志向はまた時代の空気でもあったはずだ(つまり、私の世代にご同類は数多く存在するはずなのだ)。

画像の標本はダルネゴルスク産のマンガン斧石。1994年の冬、第3回の池袋ショーでロシア人の業者から購った。それから20余年経ったが、天気図を描いていた日々はさらに遠い昔である。しかし歳月はほんのひと息の間に過ぎてしまった気がする。むしろ過ぎたすべての歳月が今更ながら私の中でひとつに繋がり始めた気がする。私はいつも私だ、というのは妙なものだ、と思う。ある夕暮れ祖母の家の庭に佇んで自分が存在することを訝しんだ幼い男の子の意識は、そのまま今の私の意識と同質なのだ。

補記:ダルネゴルスク産の斧石は、どの鉱山のものも基本的にマンガン斧石とされてきたが、mindat の参考標本を見ると、鉄斧石もあれば苦土斧石もあるようだ。見かけでは判断できない。
MR誌の記事では、ダルネゴルスク産の斧石の FeO成分は高々 2.6%で、MnOは10%に達するとある。
補記2:むかし気象通報は日に3度放送されたが、今は夕刻の1度になっているらしい。地点観測は概ね自動化され、データの読み上げは合成音声に変わったとか。これが今の時代なのでありましょう。しかし自分で描いた天気図は自分の血肉になるのです。

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