776.ダトー石 Datolite (ロシア産) |
テチューヘは旧ソビエト連邦沿海州(プリモーリエ:現ロシア沿海地方)の鉱山町で、ウラジオストクの北東約
300キロ、日本海から 35キロ内陸へ入った地点にあった。長く満州族の住んだ土地で、1872年に銀鉱が見つかって鉱山が開かれた。
ほどなくロシアによる極東開発の手が伸びて鉱区が譲渡され、1897年から銅や亜鉛を目的に操業が始まった(ヴェリチニイ鉱山)。テチューヘ川沿いに鉱山鉄道が開通し、掘り出された鉱石は港から米国やオランダ、ドイツなどに輸出された。その後も第一次大戦を経て金属鉱山として稼動し続けたが、1945年にこの地を訪れたS.S.スミルノフという地質学者が、鉱床から採集された標本にダトー石を見出したことから事情が一変した。それまで大理石質の石灰岩と思われていた鉱山事務所近くの川岸の崖は、実は塊状のダトー石で出来ていたことが分かった。
こうしてホウ素鉱石を目的とした経営が始まり、周囲に化学工場が建ち並んだ。テチューヘはソ連のホウ素産業の最重要拠点として発展していったのである。また引き続き、鉛、亜鉛、ビスマス、銀などの金属資源も回収された。
町にはいくつかのホウ素鉱山があるが、1958年に開かれた
Bor (Boron:ホウ素) ピットは巨大な露天掘り孔で、
2000年頃の(8-10% のB2O3を含む)ホウ素原料生産は約20万トンあったという。
ダトー石が資源となる例はあまり一般的でないが、この地では白亜紀に形成されたスカルン鉱床に夥しい量の塊状鉱石が存在するため商業採掘が成立している。ダトー石自体は分解しやすく、ホウ素の回収が容易だそうだ。灰色塊状の鉱石は層状〜同心円状の濃淡模様を持ち、磨くとそれなりにキレイな飾り石ともなる。ebay
などご覧になれば、そんな磨き石が今も売られている。
また熱水性の晶洞中には自形結晶が見られ、大きなものは
15cmサイズに及ぶ。色は無色、白、青、緑、黄色などさまざまだが、標本として人気があるのは黄色や緑色のものだろう。黄色(蜂蜜色〜茶色)の発色は微量含有される希元素(ユーロピウムなど)に因り、緑色はクロムに因るとみられている。ちなみにダトー石は組成変動のほとんどない鉱物として知られる。標本産地としては
Bor pit
のほか、センチャーブリスキー(9月)鉱山の緑色結晶、ヴェリチニイ鉱山の宝石質の透明結晶があり、また第一ソビエツキー鉱山にも良品が出る。
テチューヘという地名は中国語の「野猪河」(の音)に由来するが、中国地名を好まないソビエト政府は、1972年に町の名をロシア語風にダルネゴルスク(ダリネゴルスク)と改名した。「最果ての鉱山町」の意である。またテチューヘ川はルドナヤ川(鉱石川)となった。
ダルネゴルスク産の鉱物標本が西洋圏の市場で見られるようになったのは、「鉄のカーテン」が緩み始めた
1988年のミュンヘンショーが嚆矢だという。その後ソビエト解体後の混乱期に大量の標本が出回った。従って標本ラベル上の地名は、我々にとって初めからダルネゴルスクであった。ついでに言うと、鉱工業都市ダルネゴルスクの市章は名産の水晶をデザインしたものである。私としてはダトー石の方が妥当な気がするのだが、世間的にはやはり水晶の知名度に軍配が上がるのだろう。
ダトー石はカルシウムと硼素の含水珪酸塩で、組成 CaBSiO4(OH)
。ぶどう石についで産状の多い鉱物として知られ、スカルンをはじめ、緑色岩、閃緑岩ペグマタイトなどに産する。スカルンでは斧石と共存することが多い、と保育社「鉱物・岩石」(1996)にあるが、実際ダルネゴルスクでもダトー石と(マンガン)斧石の共産が見られる。
本鉱は 1806年、イェンス・エスマルク(H.MT.エスマルクの父)によって記載され、その名はギリシャ語の「分割」に因む。木下学名辞典は「塊状のものがしばしば粒状構造を示すためギリシャ語の
dateisthai (分割する)に拠って命名」とし、Dana 8th
も同様に記しているが、具体的にどう分割されるのか、今のところ私にはイメージが浮かばない。いくつかの鉱物書に、しばしば陶器質(有孔質)の粒状で産することを述べているのが、その示すところであるかもしれない。あるいは、粗粒の集合体はたやすくボロン、ボロンに崩れることが名の由来ともいう…(Ref.:
The Encyclopedia of Gemstones and Minerals: 1991)
補記:私の記憶では、NHKの気象通報は 1972年以降もテチューヘの名を使っていたように思う。現在の観測地点はルドナヤブリスタニに変わっている。