835.ヒシンゲル石 Hisingerite (スウェーデン産) |
世界は神様の創造したもので、神の御業の前に人間はひたすらへりくだった態度で生きなければならない、という旧約的世界観は、後の新約的ヨーロッパ世界においてもかなりの程度まで真実であった。自然科学の研究はだから一面において神との契約を反故にする類の不遜行為にあたった。しかしまた頭のよい教父たちは、いくらでも都合のよい理屈を考えつくので、自然科学は神の創造をより高いレベルで讃える行為たりうるともみていた。神秘の解明や発明は神に代わらんとする悪の所業になりうるが、より深い帰依と讃仰の表れにもなりうる。つまり他人がやれば悪で、自分がやるのは善なのだ。異教・異端の徒がやれば悪、キリスト教徒がやれば善。心がけひとつ、である。
それにしても世界は非実体的な諸力に満ちていた。星辰の地表への影響は言うに及ばず、光、熱(火)、風、磁力、重力など、その本質は不明であるが、物質に対して法則的に作用する何かが世界を造り、動かしていた。18世紀の後半にはさらに電気が加わった。それは世界を読み解くために人間に与えられた新たな鍵であった。
科学者/錬金術師はこぞって電気を研究した。J.J.
ベルセリウスもその一人で、彼の医学博士の学位論文は「ボルタの電堆」(ガルヴァーニ電堆)の刺激作用の医学への適用であった。
その後、カロリン医学外科学院の無給助手として働き始めた彼は、W.ヒーシンゲル(ヒシンイェル)(1766-1852)
の知遇を得て、住居を世話してもらったり、いろいろと経済的な援助を受けながら、共に化学の実験を行った。セリウムの発見(1803年)はその成果の一つだが、彼らはむしろ電気化学の分野で重要な発見をしている。電堆を用いて塩の電気分解を行い、化合物(塩化物、酸化物、硫化物…)は電気的に陽性の元素と陰性の元素とが結合したものだ、と結論したのである。この考えは後に「化学結合論」(1819年)にまとめられて電気化学的二元論となるが、いち早く注目したイギリスのデービーは、1807年、電気分解によってアルカリ元素の単離に成功した(cf.
No. 834)。
ベルセリウスは「化学の教科書」序言の冒頭で、「われわれを取りまき、そしてわれわれの身体もそれに由来している世界は、一定の基本の物質、すなわち元素が結び合って成り立つものである。この基本の物質、基本の物質からできた化合物、化合物をつくり上げる力、この力の作用を支配している法則、これらについての知識を化学(Chemie ヘミエ)という。」(田中豊助、原田紀子共訳)と述べている。
そして化学の起源を辿って古代エジプトからギリシャやアラビアの文化、錬金術(アラビア語でアルヒミエ(Alchymie))を語り、このような道を経て多くの重要な化学の経験が豊かになったこと、これらの互いに関連のない事柄をたくさん集めて整理し組織的に構成することによって科学が成長したことを跡付けた。その上で、「現在の化学は、燃焼、化学現象への電気の作用、元素が結合する一定割合の発見の3つの事象を研究する学問となっている」とした。
当時の「化学」に、(「熱」と)「電気」と「元素」とがいかに大きなウェイトを占めていたか分かろうというものである。
ところで若い頃のベルセリウスは金銭的な苦労が多かった。苦学して大学を出て、(当時の慣例ながら)将来を期して無報酬で大学教授に奉仕した(生活収入は他の仕事で得た)。金を稼ぐために知人と始めた事業に失敗し、高利の借金の返済に長く苦しんだ。そんな彼にとって、成功した鉱山主で事業家だったヒーシンゲルは実に有り難い支えだったと言われている。ベルセリウスはやがて学者として成功するが、二人のつきあいはその後も長く続いた。
ヒシンゲル石はベルセリウスがヒーシンゲルに献名した鉱物で、1828年に記載されている。彼はこれより早く、1815年にスウェーデン、セーデルマンランドの Gillinge 鉱山に産した新鉱物をヒシンゲル石と命名したのだが、ヒーシンゲルは善しとせず Gillingite に変えたと言う。それから随分経って、リッダーヒッタン産の本鉱に改めてヒーシンゲルの名が冠されたことになるが、なにしろ文献によって書いてあることが違うので、どういう経緯かはよく分からない。一方でヒシンゲル石と Gillingite (現在、種名ではない)とはいずれも鉄の水酸珪酸塩で類似の鉱物とされているのも奇妙に思われ、私としては判断保留である。
ヒシンゲル石は組成 Fe3+4[(OH)8|
Si4O10]・4H2O。さまざまなタイプの鉄鉱床に一般的に見られ、硫化鉱や酸化鉱塊中に脈状ないし空隙を充填して産する。あるいは浅熱水性鉱床の石英脈に最末期生成物として現れる。ふつう黒色塊状。非晶質である(Dana
8th は「非晶質あるいは単斜晶系」と)。X線回折で得られるピークはなだらかで、結晶秩序は緩やかであるらしい。ある研究によると、粘土鉱物(スメクタイト)のような構造- 概ね100-200μm
サイズの球状粒子の集合体- をなしており、粒子径は時に1000μmほどになる。回折ピークはその粒子構造を反映したものとみられる。実際スメクタイトに分類される含鉄サポナイト(石鹸石)やノントロン石の回折パターンに似ており、これらの風化物ともみられる。180℃で保持すると再結晶化して、これら(のいずれか)とヘマタイトとの混合物を得ることが出来るという。但しスメクタイトの特徴である層状構造は否定されている。また非晶質のマンガンと鉄の水和水酸珪酸塩、ネオトス石とも物理的性質が似ている。
加藤「鉱物各説」(2018)には「信用できる均質試料がなく、良い分析例はない」とある。
と、これがヒシンゲル石なのだが、なぜまた見栄えのしない黒色塊状の、自形結晶が観察されない不明瞭な鉱物を、ベルセリウスは恩人に献名しようと思ったのか、なんだか不思議な気がする。といって彼が関わった新鉱物で他に見栄えのよいものがあったかというと、そうでもないようである。だいたいがこの時代は、成分を分析して、(単一の化合物で)未知の組成であればすなわち新鉱物、という見立てでよかったのであろうし。
補記:ちなみに今日、非晶質物質を意味するアモルファスは、ベルセリウスが非結晶性の固体を指す言葉として使い始めた。