955.ハリネズミ水晶 Hedgehog Quartz (ブルガリア産) |
英語にヘッジホッグ(「生垣のあたりにいるブタ」の意)、和名をハリネズミ(針鼠)という生き物は、ヨーロッパ・アフリカ・アジアに広く棲息するが、何故か日本にはいない。しかしさまざまなメディアを通じて耳目に親しいので、その姿を知らない日本人もいない、と思われる。胴を覆う体毛がトゲ針のように硬くなっており、敵が近づいてくると背中を丸めて頭やお腹を隠し、毛を逆立てて身を守る。専守防衛。
中世のヨーロッパでは、ハリネズミはこのトゲにあちこち木の実を突き刺して集めて巣穴に持ち帰り、子らに食べさせると信じられていたそうだ。チェコのアニメ「クルテク」には、赤い頬のほよよんとしたハリネズミ君が出てくる。
そんな愛らしい小動物のように、針状の結晶をあたりに満遍なく突き出して、全体として丸まったイガ、あるいはイガが連なって猫じゃらしめいた姿の水晶の群晶がある。そのままヘッジホッグと愛称されている。ただ本家の針は弾性があるが水晶にはなく、またさほど鋭いわけでもないので、先端に触れて痛くなるほど圧したりすると水晶の方がポキリと折れるリスクがある。うっかり力を加えないことが肝要だ。
ハリネズミに似て背中の体毛がトゲになる生き物にヤマアラシ(パーキュパイン)がある。ショーペンハウアーはヤマアラシの姿に想を得た寓話を書いて「適度な距離を置く」ということを示したが、アメリカの心理学者はこれを引いて「ヤマアラシのジレンマ」なる奇妙な概念を作った。親密になろうと近づきすぎると互いに傷つけあってしまう人間関係を表現するのだそうだが、クルテクのハリネズミくんにはどう考えてもそんな気遣いはなさそうに思える。
一方、ヘッジホッグ水晶と人間との関係をいえば、そもそも手を触れて愛でようとする愛好家の気持ちをあえてくじくことは、この世の何者の手にも余る業であろう。しかし上述の通り、強く握ったり頬ずりしたりなんかすると人間の方は痛いだろうし、それで結晶を折ってしまった日には夜も眠れぬ苦しみがやってくる。やはり適度な距離を置かなければならない。
ところでこのような形の群晶はどうやって生じたのだろうか。
鉱物の結晶の成長は、普通、最初に固体として出現する結晶核の生成と、引き続く核表面での結晶成長の二つの過程に分けて考察されるが、一つの核から(単一の中心から)長い柱状(針状)の結晶が全周に放射されるのだろうか。だとすると、元になった核はどんな形をしていたのか。やはりイガのような突起をもった球形だったのか。
あるいはある程度成長した広い表面積を持つマトリクス(たとえば潜晶質の玉髄)から、同程度のサイズの(単)結晶が等方的にまんべんなく放射してゆくのだろうか。
自然界ではどちらも起こりそうに思われるが、画像の標本の場合は、複雑な形状をした菱マンガン鉱の母岩の縁上のいくつかの擬似点源から、水晶の成長がほぼ全方位に等方的に起こったのではないかと考えられる。その場合、あまりに近い距離にあった点源同士は(もしあったとすれば)互いに成長を阻害しあった可能性が高い。やはり適度な距離を置くのがベターだっただろう。