362.ラピスラズリ  Lapis Lazuli (チリ産)

 

 

Lapis Lazuli
ラピスラズリ −チリ、オウバル産

 

アフガニスタンのバダフシャン地方、ロシアのバイカル地方、それにチリのコキンボ地方を、ラピスラズリの世界3大産地という。もっとも前者が6000年近い歴史を持っているのに比べ、後2者はいずれも産地が発見されてまだ 200年に満たないのだが。
(※ 追記:MR誌 Vol.45 No.3 の記事によれば、バダフシャン産のラピスラズリは BC7,000年頃から利用されている。)

コキンボ地方のラピス鉱山は、アルゼンチンとの国境付近の山中にあり、オウバルから東南へ約200キロ、タスカデロ川を遡った僻遠の地だという。19世紀中葉に発見され、1905年頃から採掘が始まった。かのソ連邦によるアフガニスタン侵攻後、ラピスラズリ市場が拡大した時分から産量を増やし、1984年にチリの国石に定められた。近年、年産150トンを供給しているという。あまりに多すぎる気がするが、国内でタイルや建築石材などに用いられる低グレード品を含めての数字である。

沢山採れるわりに、標本市場への流通は間歇的だ。10年ほど前、重さ約 18トンの巨塊がツーソンショーの会場に出品されたことがあり、続く2、3年の間、ごく安価かつ大量に出回った。ところが、ここ数年はさっぱりご無沙汰していた。今年またツーソンショーに出ているのをある業者さんが見つけて仕入れられ、日本では久々の顔見せとなった。上の標本は50年ほど前に採集されたもので、コレクターからの放出品。

G&G誌に拠って産地情報を書くと、鉱山は標高3500mの地点、アンデス山脈の東向き斜面の氷河圏谷(カール)にあり、ラピスラズリに珪灰石、方解石、アウイン、透輝石、黄鉄鉱などを伴う。地質的には石灰岩の接触変成帯で、後にラピスラズリに欠くことの出来ない硫黄分を供給する交代作用が起ったと考えられている。母岩の石灰岩は珪灰石質の大理石に変化している。(付記参照)

コキンボ地方の中心地ラ・セレナから鉱山への行程は、まずオウバルまで舗装路を行き、次いでモンテパトリアまでダート道を走る。さらに四駆トラックのみが通行可能なタスカデロ川沿いの道を遡ってゆく。
ただしアクセス可能なのは、チリの夏にあたる1月から4月までに限られる。5月から9月は、道も採石現場も4mの雪に埋もれており、10月から12月は融雪による冠水で道路が没している。また1月は道路の復旧や縦坑から氷を除去する作業に費やされるため、実際の採掘期間は1年のうち2,3ケ月に過ぎない。

採掘法だが、1996年までは爆薬を多用していた。しかし石に入るき裂が商品価値を損ねるので、最近は巨塊に狭い間隔でドリル孔を開け、最小限の爆薬を使って、孔と孔との間を割る方法を採用している。切り出される鉱石は差し渡し2mを越えることがある。
ある鉱山会社では、カナダのジェード鉱山の技術者を招き、爆薬を使わない採掘法が導入された。これは花崗岩や大理石、ジェードの採掘に用いられる技術で、ダイヤモンドを埋め込んだケーブルソー、ドリル、クサビを用いて巧みに切り出していくのだ。
ちなみに確認済みの埋蔵量は約1万トン、総量はおそらく6万トンにのぼるとみられる。

付記:チリ産のラピスラズリは、不純な石灰岩に花崗岩質のマグマが貫入して接触変成作用を起こした後、硫黄成分の交代作用があって生成したと考えられている。これはおそらくアメリカ、コロラド州のイタリアン山脈に産するラピスラズリと類似の起源である。一方、バダフシャンのサーエサン、カナダのバフィン島、ロシアのバイカル湖に産するラピスラズリは、おそらく、頁岩や苦灰岩質の蒸発残留鉱床に局所的な変成作用が働いて生成したものと見られる。(G&G2000spring) 

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