421.白雲母 Muscovite (USA産)

 

 

muscovite

白雲母 -USA、NH、グラフトン、ラグルス鉱山産

 

昨年ボストンに行ったとき、お世話になった方が下さった標本。
私が鉱物を集めるのが趣味だと知って、「それじゃあプレゼントしたいものがある」、とウィンクして持ってきてくださったのだ。マサチューセッツ州の隣のニューハンプシャー州にある鉱山の雲母だという。
「有名な鉱山なんだけど、知ってる?」 と聞かれて、「さぁぁ…ニューハンプシャーで綺麗な緑色の蛍石が採れるのは知ってるけど…」と答えたのは、我ながら鉱物愛好家の名に恥じる思いだったが、知らないものは知らないで仕方ありません。

で、教えて下さったのだが、ラグルス鉱山は長い歴史のあるアメリカ最大の雲母鉱山だったという。 "Books"と呼ばれる大きな板状の雲母が採れた。今は閉山してテーマパークになっている。これは家族で遊びにいったときに採集したものだ、といって手渡された。 
Thank you, thanks a lot, Jorge.

帰ってから調べると、ちゃんと鉱山のウェブサイトがあったので、ここにご紹介。
参考:Ruggles 鉱山のホームページ 

コンテンツから鉱山の歴史についておおまかな説明を拾うと…

ニューハンプシャー州の山岳地帯は豊かな鉱化作用を受けた土地で、数多くの鉱物産地が知られている。そのひとつに約3億年前のデボン紀に始まったリトルトン・フォーメーションと呼ばれる鉱化活動があり、このときに生成した鉱物の採掘は州の歴史に大きな役割を果たした。グラフトンのラグルス鉱山はそのよい例である。この鉱山では白雲母や長石、緑柱石、ウラン鉱などが、160年間にわたって採掘された。

ニューハンプシャーはかつて海の底にあった。何千フィートもの砂泥の堆積が、やがて砂岩になり、シルトストーンになり、頁岩になった。それから激しい褶曲作用を受け、地層に溶岩が貫入した。そうして変成作用を受けたのがリトルトン・フォーメーションで、岩体のほとんどは雲母片岩となってペグマタイトを取巻いている。州の各地に点在するペグマタイトの中でもラグルス鉱山は群を抜いて大きく、長さ500m、幅100m、深さ80mに及ぶ。ペグマタイトを構成する鉱物は主にプラジオクレース(斜長石)、パーサイト(perthite)、石英、白雲母で、150種類以上の鉱物が見つかっている。商業的価値のある資源は第一に雲母。径1.5mもの大きさの板状結晶(books)が採れた。

グラフトンに雲母が発見されたのは1803年だった。発見した人物はサム・ラグルスといった。彼はおそらくイギリス人の入植者で、農場を始めるために海を渡ってきたと信じられている。だがラグルスは雲母の価値を知っていたので、アメリカ最大の雲母鉱山を経営する道へ乗り出した。
彼は、何年もの間、鉱山の場所を秘密にしておくことにたいへんな注意を払った。採掘は家族だけで行い、雲母を隠すため、農場から出る砂と一緒にワゴンに詰めて、牛車でプリマスまで運んだ。そこからイギリスに送って、どこから来たものか分からないようにして売りさばいた。
雲母の需要が増えると、大量の荷を夜の闇に紛れて運んだという。そうまでして鉱山を隠した理由は、どうやら当時の土地法にあって、鉱区の申請面積に年ごとの制限があったため、山全体を(すべての雲母を)独占することが出来ないと判断したかららしい。

19世紀の初めは、雲母が多くの家庭用品に使われるようになり、大きな需要が生まれていた。耐熱性と透明性に優れる雲母は、薪ストーブの窓や鯨油ランプの窓に用いられた。船の窓も雲母で作られた。今日、ガラス製になっている製品の多くは、当時、雲母で作られていたのである。1840年頃まで雲母の採掘量は年間6〜700ポンドだったのが、1869年までに膨大なものになり、この年は350ポンドの箱が75箱出荷されたという(年26000ポンドに上る)。.
その後も雲母の採掘量は増えつづけ、1877年の1月の出荷量は単月で3600ポンドを記録した。その頃にはラグルスも亡くなり、鉱山は人手に渡って、場所も公けになっていた。プリマスへの雲母の輸送はもはや牛車でなく、鉄道が利用された。

20世紀に入ると、雲母産業は低迷した。1930年にアメリカ全体で採掘された雲母は8000ポンドに過ぎなかった。ただ産量が減ったとはいえ、良質の雲母の価値は依然として高かった。透明な雲母板はかなりの高額で取引された。1930年代初、ラグルス鉱山で採掘された雲母の総評価額は12百万ドルであった。

雲母の次に重要な資源は長石だった。高級セラミックス原料として需要があり、1912年から採掘が始まった。シラキューズ・チャイナ社は磁器の製造に長年にわたって長石を使用した。ストーブや冷蔵庫の表面を塗るエナメル材、義歯にも用いられた。20世紀の半ばには、非粘着性の磨き粉やガラスクリーナーの原料に用いられ、年間1万トンが出荷されたという。ほかに緑柱石(ベリル)がベリリウムの原料として採掘された。

雲母に戻ると、20世紀にはかつて掘り出された鉱石のズリが繰り返し再利用された。巨大な雲母板はもはや過去のものとなったが、小さなものはまだ大量にずりに残っており、これを選鉱して出荷した。雲母の新しい用途が開かれ、需要も回復してきたからである。現在では雲母は光沢のある壁紙材に使われたり、塗料、屋根葺き、成形断熱材、潤滑材などに用途がある。上質のものは電気絶縁材に用いられている。

こうして鉱山は160年以上にわたって稼動し続けたが、1960年代のはじめ、アメリカ政府が国内雲母産業への補助政策を打ち切ると、もはやブラジルやインドからの輸入品に対抗できなくなった。こうしてラグルス鉱山は閉山した。(ほかの国内の雲母鉱山も)
その後、1963年から一般に開放され、ニューハンプシャー州の地質と採掘の歴史に触れる場を提供してきた。巨大な洞窟やトンネルは3億年前に始まった鉱化作用の歴史を物語り、人々は鉱物を採集して持ち帰ることが許されている。

・・・いい勉強になりました。

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