420.金緑石 Chrysoberyl (インド産)

 

 

chrysoberyl

クリソベリル−インド、ハイデラバード産

 

「だって文学などというものは、つきつめれば、今ここに見えないものへあこがれる心の深さで書くものなのではないのだろうか。あこがれる心の深さだけなら、私は山を動かすくらい持ち合わせている…」 (水村美苗「私小説」より)

私の鉱物への執着は、彼女の文学へのあこがれに似ている気がする。
少なくとも外国産の鉱物や産地を記したラベルに寄せる思いは、あきらかに自分が山に入って、金槌を振って叩いて持ち帰った(あるいはいつでも持ち帰られるであろう)石に対するそれとは、まったく違ったものだと告白せざるをえない。
例えばもし鉱物標本が、どこの雑貨店や土産物屋のショーケースにでも並んでいる類の大衆消費材であり、甲高い呼び込みを背に、お金儲けのために扱っている然とした商人のあおり文句を聞かされながら購うものだったとしたら、私は絶対、こんなにも激しく、のめりこみはしなかっただろうと思う。
だから多分、今のところ、私たちはまだ幸運なのだね。

この標本はリンクしているSさんが教えて下さったお店で見つけた。
予め電話を入れた土曜の午後、古めかしい扉を開けておずおず訪いを告げると、スリッパをあてがわれ、階段を上った先の、広い展示室に案内された。周囲をスチール製の整理引出しに埋められた、昭和40年代の雰囲気が漂う、その部屋。「どうぞご自由に見てください」と一人残された。
時の経つのを忘れて、ひとつひとつ開く引き出し。中から顔をみせる珍しい石また石。夥しい数の貴重な標本の中から、その日私は金緑石を掬い上げ、たしかめ、胸のうちに柱が立つような互いへの引力を感じつつ、静かに階段を下りていったのだ。
見えないものへのあこがれと、現実の世界とは、こうしてひっそりと、ためらいがちに、少しずつお互いの接点を探りあてるのでなければならない。それが理科少年のなれの果てと、今でも彼に優しい世界との、礼儀正しいおつきあいってもんだぜ。
だろう、友よ?

cf. No.466、 No.671

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