461.青金石 Lazurite (ミャンマー産) |
鉱物の肉眼鑑定に必要な技能には、物性に関する知識、洞察力、総合的な分析力…といろいろあるだろうが、多分もっとも有用なのは絵画的な記憶力であり、それでもってあたう限り、多くの産地の標本を覚え込んでおくことだろう。
故櫻井博士は若年のみぎり、ある学者さんから「これが分かるか」と標本を示され、鉱物名ばかりでなく精確な産地を述べて相手を唸らせたというが、そういう芸当にはその産地の典型的な標本を見知っていることが最大の武器になる。図鑑に載った写真や画像でもよい。とにかく百聞は一見に如かずで、まずは鑑定する標本のたたずまいにハッと思いあたる節がなければならない。それが最初のステップ。次は記憶の中の標本引き出しの数と質とが判断を下すに十分なものであるかどうかだ。
「必要十分条件」という数学の概念を借りると、膨大な標本の記憶を擁しているのはただ必要条件にすぎない。「記憶の中にあるもののほかに、このような標本を産する産地はない」と言い切れる根拠、すなわち十分条件こそ鑑定を鑑定たらしめる力であろう。
とはいえ、現実世界で真に十分条件を満たせるわけもない。実務的にはある産地の特徴を如実に示すことを以って、推理の妥当性を語ることになる。言い換えれば妥当性の確からしさ、正解が分からない場合には疑議を退ける説得力が、事実上の鑑定能力ということになるだろう。
植物や昆虫と違い、出現形態に非常なバリエーションを含む鉱物の標本は、種に特有の形態を示す側面と、産地に特徴的な姿形や共産鉱物との組み合わせを示す側面とが、分ちがたく結びついている。だから、標本を見て産地を特定できるような愛好家があるし、カットされて特徴を失った宝石も、インクルージョンや内部欠陥の様子を調べればかなりの確度でお里が知れるのだ。
一昔前になろうか、ある邦人業者さんがアメリカだかカナダだかの自然金を国産と偽って販売したことがあった。最期は見破られて化けの皮をはがれたが、みんながみんな、標本ラベルを鵜呑みにしてくれるわけじゃない。
標本とラベルがばらばらになったコレクションの整理を引き受けて、たいていピタとおさまりをつけてしまうベテランコレクターや標本商さんがある。傍から見れば神業に等しい眼力だが、分かる人には紛うかたなき産地の刻印が標本の額に輝いて見えるのかもしれない。
こうした鉱物の特性から、さまざまな産地の標本を蒐集したり並べてみたりすることにも意義があるわけで、またあらゆる産地のあらゆる鉱物を網羅しようという野望に言い分が生まれてくる。鉱物図鑑の苦心と本懐もまた、標本の選び方と呈示の仕方にあるだろう。
さて、前振りが長くなったが、ここに挙げた二つの標本は、ミャンマー・モゴック産のラピスラズリである。私の好みをよく知っている標本商さんが回してくれたもので、ラベルはまず信用出来るはず。
そのつもりで見れば、上の標本はThabapin 産とあるし、No.460で示したO.B.Y.ヒッチェット産に似ているので、おそらくここから出たものと推測できる。
蛍光X線分析にかけて下さったので、この際データを記録しておこう。
ラピスラズリの色は比較的一様で、まるで藍銅鉱のような明るい綺麗な青色をしている。データによると、SO3
-8.53 mol%、Cl -1.07 mol%。その割合だとこんな色目になるのだろうか。
なお、分析手法の性質上、測定値は標本表面のデータであり、またほぼラピスラズリからなる領域を選んであるが、大理石やほかの鉱物(の成分)が微量に混じっている可能性のあることを付記しておく。
下の標本も同時に入手されたもののようで、おそらく同じ産地なのだろうが、雲母を伴っていたり、これまで見知ってきたモゴック産の標本とは随分雰囲気が違っているため、判断に迷う。
いや、もっとはっきり言うと、もしこの2つがラベルなしにぽんと放り出されていたら、私はきっと、上の標本はバダフシャン産だと断言するだろうし、下の標本はバイカル産によく似ていると評してはばからないだろう。だって、現にそういう標本を見たことがあるからである。
まだまだ修行が足りんなあ。