481.リチア電気石 Tourmaline (パキスタン産) |
博物学に関心を持つ人びとのためのクラブが大陸で最初に組織されたのは1750年頃だったとみられており、19世紀のはじめまでにその活動は確固たるものとなっていた(No.464参照)。娯楽としての地質学研究はイギリスで花開いたが、たとえば美術評論家のジョン・ラスキン(1812-1900)なども鉱物学に夢中になったひとりだった。地質学会の会員として熱心に活動し、野外や大英博物館で鉱石を研究したり、後進のために結晶学の手引きを行ったりした。
ラスキンの鉱物趣味は少年時代からのもので、12歳のときには鉱物事典を自作、「忘れられた象形文字」(鉱物・化石・地層のこと)の生き字引き」と呼ばれたという。
彼にとって、世界は「珍しい事物が集まる、壮大で無限の広がりをもったキャビネット」であり、「このキャビネットのなかでは、花やポプラ、蔦、岩石、絵、山に照り映える朝焼け、新聞、ジュネーブからシャモニーまでの旅、あらゆるものが同じように重要」なものと感じられていた。
自然界をそのまま博物館に見立てたラスキンは、野外採集の喜びを存分に味わい、若い頃アルプスに遊んで、「この山の『博物学のキャビネット』で、バラ色の蛍石の大きな結晶を見つけた」と記している。「山岳は人類のために建てられた学堂であり伽藍」であった。
彼は素敵なコレクションを持っていた。仕事が一段落すると自宅のキャビネットを開けて石に向かい、鉱物の世界に没入して、ひとときの解放感を楽しんだ。鉱物は彼の活力の源であった。石の絵も描いた(風景画も)。松岡正剛氏は、独得のストイックな岩石絵画と評している。「灰色の岩石はじつに見事にじっとしている」と語ったラスキンらしい気がする。
鉱物趣味は生涯にわたった。1876年にブラントウッドにある彼の自宅に招待されたサッカレーのお譲さんは、そのときの様子を手紙に認めている。
「事実と事物とを織り交ぜ、書棚を大きく開き、手にしたすばらしい鍵で錠前をはずして引き出しを滑らせながら、−ああ、見てください!…わたしたちはブラントウッドとそのまわりを取り囲む山の根ふかく、たぶん地球の中心に降りたったのです。石や鉱物の貴重な標本のあいだをラスキンは前へ前へと進み、「開けゴマ」、「開けゴマ」と大声で唱えながら彼の王国の秘宝を順々に見せてくれました。大理石、金、オパール、水晶、エメラルドのなかに隠れている光と虹の小さな点をひとつひとつ教えてくれたのです。」
ふふ。愛好家は我がコレクションを解説するとき、無上の幸福に酔うものであるよ。