464.方ソーダ石 Sodalite (アフガニスタン産)

 

 

Sodalite ソーダライト

方ソーダ石の結晶、ちょびっと大理石の母岩付き 
-アフガニスタン、バダフシャン、コクチャ谷産

 

18世紀になると、博物学の趣味は貴紳階級から一般庶民にまで裾野を広げてゆく。
その背景には、蒐集行為が博物学という学問によって社会から一定の認知を得たこと、多額の資金を要する物品ばかりが蒐集の対象ではないと認められるようになったことがある。
つまり、家からちょっと遠出をして森や野原や海岸に赴き、出遭った動植物やら地層やらを観察することが教養を培う習慣として推奨され、また珍しいものを拾って帰ってくればそれがまだ詳しく研究されていない対象だったりして新たな発見に、ひいては学問の発展に繋がるといった、社会的コンセンサスが成立したのだ。
野外でのささやかな気晴らしが、向上心と教養のあかしとなり、社会への貢献ともなる。蒐集物は学問的標本価値があるゆえに、たとえ財産価値はないとしても、所有欲を満足させてくれる。なにより珍奇なアイテムはそれ自体心惹かれるコレクションとなる。

世紀の半ばには、博物学はヨーロッパ大陸で先端的な流行となっており、熱心な愛好家の集うクラブや協会が各地で設立された。国を挙げての熱狂ぶりを、「クリティカル・レビュー」誌は「博物学はいまや一種の国民的制度である、時代の大人気の研究となった」と評したそうだ(1763年)。
博物学熱はやがて海を渡り、19世紀イギリスで爆発的に花開いた。植物採集や地質学の研究は、質実な国民性を持つこの国でこそ結実した成果だ。一石工が著した「旧赤色砂岩」など、専門用語を散りばめたロマンチックな啓蒙書が、ディケンズの大衆小説と並んで飛ぶように売れた。
そうして収集品を陳列するキャビネットが、一般の家庭でも普通に見られるようになった。中には自然界の恵みである風変わりな標本がぎっしりとおさまり、リンネ提唱の舌を噛みそうな学名を自在に操って高雅な会話を愉しむ家族の団欒が、その傍らにあった。

話は飛ぶが、私を含むある年代層は、子供の頃、ロフティングの「ドリトル先生」シリーズを必読書のように読んだ(推薦図書だった)。
ドリトル先生は動物の言葉が分かるイギリスのお医者さんにして博物学者である。先生を慕う、後の博物学者、靴屋の息子トーマス・スタビンズ君は、1839年の雨降る夕暮れ、航海帰りの先生と街角で出会う。世はまさに博物学の熱気にむせ返るビクトリア朝の始まりであった。
このシリーズを読んで、博物学者がいかに大したものであるかを心に刻んだ20世紀少年は、私だけじゃなかったろう。
ついでに言えば、同時代の独身貴族を優雅に描いた坂田靖子の作品に、海べりの崖で化石掘りを娯しむ活動的なご婦人が登場する。溌剌とした気質でバジル氏を魅了、ついに結婚まで考えさせてしまう。

上の標本。アフガニスタン産の方ソーダ石の自形結晶。No.460で触れたが、ラピスラズリより色目が明るい。2003年頃、一時的にたくさん市場に流れたが現在は一息ついているようだ。

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