530.カレドニア鉱 Caledonite (USA産) |
上の標本は有名産地の有名標本。数センチ大のカレドニア鉱のノジュールである。リッチだ。1948年の採集品で、リードヒル石、パラ・ローリオン石、ボレオ石が含まれているらしい。結晶形はあまりはっきりみえない。でも、色はとてもきれいだ。
下の標本はコレクターの放出品で、採集年は不明だが、ラベルから判断すると、やはり半世紀以上前のものと思われる。透明で美しい結晶は、眺めるほどに心がふるえてくる。
カレドニア鉱には忘れられない思い出がある。
本鉱の美結晶標本は、僕の経験ではめったにお眼にかかれるものではないが、2度目にツーソンに行ったとき、なんと、文句のつけようのない逸品に出逢った。10cm大の母岩の表面に、数ミリ大の明瞭な単結晶がぴちぱち散らばっていた。値段も後で思えば妥当というか安くて、当然買わないテはない標本だった。
ところが、ツーソンにいる間、毎日、その標本を見に行って手にとっていたのに、結局、買わないでしまったのだ。帰国した後、思い切れずに標本商さんにメールを打ったが、当然アフター・フェスティバルだった。
僕にはどうもそういう傾向があるらしく、完璧で、ちょっとだけ背伸びすれば手に入るような標本に逢うと、突然、気持ちが醒めてきて、本当にこれが必要なのか、この種類はもう持っているではないかとか、これだけのお金があれば何々が出来るとか買えるとか、あれこれ迷い始めてしまう。それで自分の心を抑えて枷をはめるみたいにして、チャンスを見送るのだ。そうして後でいつまでも悔やんでいる。それならその時に買っておけばいい、と言うのは易いが、夢のような話が湧いてくると、やっぱりまた、なにか裏があるのではないかなどとびびって引いてしまう。実は標本のことに限らない。
「アルケミスト」の著者パウロ・コエーリョは、人は自分の心からの夢が実現するのが怖いのだ、夢が叶いそうになると逃げ出して、いつまでも夢を見続けていたいのだ、といっているが、ほんとにそうだ。恋と同じかな。なんちって。
でも、私はだんだんと、欲しい標本にあうと後先考えずに手を出すようになってきた。これは進歩だろうか。おかげでやり繰りにはいつも悩んでいる。「遠い街の花火」はどうなった?