531.紅鉛鉱 Crocoite (ロシア産ほか) |
鉛のクロム酸塩である紅鉛鉱は産出の稀な珍しい鉱物といえる。が、世界で1ケ所、オーストラリアのタスマニア島にだけは膨大に存在している。おかげで本鉱の素晴らしい標本が、それなりにこなれた値段で我々の手元に届く。大変ありがたいことだ。
紅鉛鉱が最初に発見されたのは、ロシア、ウラル山脈のベレソフ(ベレソフスク)近辺だった。資源として注目されるほどの量はなかったが、蛍光がかったような特有の毒々しい朱赤色の結晶は、揺籃期にあった欧州鉱物学界の耳目をそばだてるに十分な魅力があった。
18世紀、この「シベリアの赤い鉛」には、鉛のほか、鉄、アルミニウム、モリブデン、ニッケル、コバルト、銅、また砒素や硫黄などが含まれると考えられていたが、フランスのヴォークランはこれを確認するために成分分析を試み、本鉱から鮮やかな黄色の未知の物質(三酸化クロム)を得た。1797年である。それを塩化錫で還元すると緑色の物質(酸化クロム)が得られた。こうして新しい元素が発見されたのだ。この元素は酸化状態によって、赤、黄、緑、紫などの異なった色を呈することが分かり、ヴォークランの師フールクロアとアウイによって、ギリシャ語の「クロマ(色)」に因んで、クロムという名が与えられた。
ヴォークランは翌年、ルビーが赤いのも、エメラルドが緑色なのも、不純物として含まれるクロムに起因することを見出した。
一方、本鉱の学名、Crocoite
はギリシャ語でサフランを意味するクロコスに因み、その鮮やかな紅色に拠るものという。なんとなく、クロムの鉱物だから、クロコイトと思っていたが、そうではないらしい。(クロマイト:クロム鉄鉱は、たしかにクロムに因んでいる)
上の標本は、歴史的なロシア産の原産地標本。以前はなかなか市場に出回らなかったもので、ひそかな自慢の品だったのだが、2年ほど前からぼちぼち見かけるようになった。ちょっと残念。
2番目の標本は言わずと知れたタスマニア島のダンダス産。
この地域は完全に蛇紋岩化した超塩基性貫入岩体の接触帯に銀−鉛の鉱脈が伴う特殊な地質で、岩体の巨大な露頭は地下75mの深さまで風化が進んでいる。この地相により鉛とクロムの出会いがもたらされたのだ。
露頭は
1890年から1915年にかけて盛んに掘り崩され、銀や鉛を掘る小規模な鉱山が多数存在した。地下100m地点まで採掘が進められ、約6000トンの鉱石から
1500トンの鉛と45トンの銀が得られたという。
各地の博物館に収蔵されている紅鉛鉱の(数十センチ長さの)逸品はたいていこの時期に採集されたものだ。もちろん掘り出された鉱石のほとんどは産業に供されたわけで、標本となったものはごく一部にすぎない。膨大な量の紅鉛鉱がゼーハン・ダンダス地域の製錬炉にフラックスとして投じられ、永遠に失われた。鉱夫たちは非常に大きな塊を運び出すため、柱状の結晶をいくつにも折り取らなければならなかったというエピソードがある。
ちなみにタスマニア島ではダンダス北東のカピ、ヒーズルウッドなどにも産地がある。島で最初に紅鉛鉱が見つかったのは、1890年、ヒーズルウッドでのことで、その翌年、かのアデレード鉱山から大量の産出が始まった。
ダンダスの銀−鉛鉱山は20世紀前半に本来の活動を終えたが、1960年代以降、いくつかの鉱山が紅鉛鉱の標本を採掘する目的で再開された。アデレード鉱山も70年代に標本鉱山として再出発した。この年発見された2x2.5mの晶洞は差し渡し2〜45cmに達する約2000個の標本を提供した。たしか個人のコレクターが採掘権を持って標本を供給しているとの風聞があったが定かでない。近年ではレッド・レッド(Red
Lead:
赤い鉛)鉱山の標本がもっぱら市場に流れていると聞く。
ダンダスの鉱山からは紅鉛鉱のほかに、ダンダス石(原産地鉱物)、白鉛鉱、ギブス石、マシコット、ホスゲン鉱、緑鉛鉱、ヴォークラン石といった鉱物も出ている。
下の標本はフランス産で、下部の暗いぶどう球状の集合は白鉛鉱である。ちょっと珍しいかな。左右両端、割れているようだが、標本商さんによると、複雑な形状の結晶端面だそうだ。ちなみに紅鉛鉱の原子配列はモナズ石と同じ構造。
cf.イギリス自然史博物館の標本(ブラジル、ミナス・ゼラエス産 紅鉛鉱と緑鉛鉱)
補記:ちなみにギリシャ語の krokos (サフラン)に因む石に Crocalite サフラン石(帯紅色のソーダ沸石)がある。またサフロ鉱はドイツ産の呉須(青色顔料)の呼び名に因むが、元意はサフランに因むとの説もある。