565.コニカルコ石 Conichalcite (ギリシャ産)

 

 

Conichalcite コニカルコ石

コニカルサイト(緑)とアズライト(青)
−ギリシャ、ラウリオン、ヒラリオン鉱山産
(顕微鏡下にて撮影)

 

古代文明社会の鉱山労働は、世界中どこでも、ドラクエXや古きよきアニメ作品の数々にみられる通り、専ら奴隷によって支えられるのが常であり、アテネの鉱山でもそれは同じだった。フェニキアやエジプトほどには過酷でなかったと史家は言っているが、鉱山労働が最下級の奴隷の仕事であり、しばしば命に関わる危険を伴うことは変わらなかった。ラウリオンの鉱山は縦坑と水平/斜め坑道を持ち、かなりの深さまで掘り進められていたので通気が非常に悪く、そのことだけでも健康を激しく蝕み、窒息死の危険をはらんでいた。

鉱山で働く奴隷の一部は事業主が保有する財産だったが、奴隷バンクから送り込まれた人材も多く働いていた。アテネでは奴隷の賃借は割りのいい立派なビジネスで、人材派遣業として大きな職業層をなしていた。鉱山事業主は奴隷一人につき、一日1オボラスを奴隷主に支払った。一方、鉱山奴隷の値段はとても安かったので、約3年間働かせれば元が取れ、たいていはもっと長く働かせられた。食べ物と衣服は鉱山側の負担で、奴隷の逃亡に対する責任も鉱山側が負った。ビジネスモデルとして完成され奴隷保険さえあったから、リスクを均すことができた。これはまったくの資本主義経済といってよく、かくてアテネ市民は奴隷システムによっても鉱山の豊かな富を楽しむことが出来たのだった。

ラウリオン銀山には6万人以上の奴隷が働いていた。彼らは班に分けられ、比較的教養のある奴隷が監視役につけられた。また国家が任命する監督官が、個々の事業主を指図して鉱区の区分を行った。監督官はまた産出高を管理し、技術指導も行った。ときにはアテネ市民が強制的に働かされることもあったそうだが、例外であった。理不尽な労働条件から奴隷が結束して反乱を起こすと、対抗することはほとんど不可能だった。ときに鉱山で起こった奴隷蜂起がアテネ市民を長く戦慄させるようなこともあった。

標本はコニカルコ石。銅とカルシウムの水酸砒酸塩で、独特の緑色をしている。砒素を含む銅鉱床の上部酸化帯に産することが多い。その名はギリシャ語で粉末状の銅鉱石といった意味(Konia(粉)+ chalcos (銅))。旧い和名に粉銅鉱。自形結晶は稀。余談だが、古代西アジアでは青銅の発明に先立って、砒素銅(合金)や鉛銅(合金)が意図的に試みられたと考えられている。おそらく銅鉱石に自然に伴い、自然に銅に含有されていた鉛や砒素の効能(硬度の改善など)が、早い時代に気づかれたものだろう。

鉱物たちの庭 ホームへ