No.56 ローテンブルク・オプ・デア・タウバー その2
ローテンブルクの始まりは10世紀という。
12世紀にシュタウフェン家のコンラッド三世が城を築いた。
1273年に自由都市となり、市の自治の下に急速に発展した。
町が現在の形になったのは1370年で、今もその面影を留めている。
古い旅行ガイドの一節を引用させていただく。
「町の中にも外にも、三十年戦争当時とあまり変わらぬ風景がある。
市壁で囲まれた町の中は、デコボコの石畳の両側に、赤い破風の
家々が建ち並んでいる。狭い路地裏を歩けば、家々の戸口の呼び鈴が
鉄の細工物ででき、蔦の葉や美しいバラの花をつけた蔦を形どりながら
長く垂れ下がっている。…全ドイツを通じて、これほど完璧に中世都市の
姿を今日に再現できた町はない。大戦中、町の東側部分を中心に約40% を
焼失したが(中心部はほとんど被害を受けていない)、見事に再建された。
家の前にさりげなく置かれた古い車輪や、道行く人のために飾られた
バルコニーの花などに、この町を美しく保っていこうとする住民の心遣いを
感じる。」(ブルーガイド ドイツ 執筆者 沖島博美 1992年)
この頃のガイド本って、なんというかとても抒情的で旅情をそそるのです。
マルクト広場にある聖ゲオルクの噴水
騎馬のゲオルク(聖ジョージ)が踏みつけた竜に槍を向けた古典的デザイン
広場からヘルンガッセに向かう
クリスマスグッズの玩具店
白い尖塔はラートハウス(市参事会堂)
右 ホテルアイゼンフート(鉄帽) 「街道随一の高級ホテル」だとか
レマルクの「凱旋門」にも名前が出てくる。
ヘルンブルンネン 17世紀の泉
町の西を区切るブルク門。 市壁との間が公園になっている。
壁の外側は深い谷で、タウバー川に向かって落ちている
ブルク門についた顔。 敵が攻めてきたときは、
口の部分から熱い油を流して攻撃したとか…
市壁の西外の散策路からシュピタール地区を望む
夕暮れ。 左端がブルク公園あたり。
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