No.70 ブレンナー峠越え (イタリア〜オーストリア) その1

 

峻険な岩峰をもってイタリア半島の付け根を取り囲む
アルプス山脈はイタリアと北方の国々とを明確に区切る
国境線として機能しているが、一方で標高の低いいくつかの
峠を越えて南北を往来する商業路が古代から知られてきた。

バルト海産のこはくは、紀元前2,000年期にはすでに
装飾品としてヨーロッパ南方に送られていたと思しく、
その古代流通路は琥珀街道と総称される。
産地からヴィスワ川やドニエプル川沿いに南下し、
黒海を経てアジアへ、イタリアを経てギリシャやエジプトへ、
またドイツを経て西方諸国へと交易網が拡がっていた。

ブレンナー峠は標高 1,374m。アルプスではもっとも低い峠道で、
オーストリア側とイタリア側とを結ぶ琥珀街道の一だった。
ローマ時代には交通の要衝として軍の宿駅がおかれた。

今日のブレンナー峠(ブレンネル峠)は鉄路を特急列車が走り、
また高速自動車道が繋がって、通年の通行が可能となっている。

イタリアのヴェローナからオーストリアのインスブルックへの
道程をユーロシティの車窓から撮った。

 いわゆるトテンティノ・アルプスの前哨をなす苦灰岩の山(西側)。
東側はいわゆるドロミーティ(苦灰岩の意)と呼ばれる山岳地帯。

近世以来、ドイツ(オーストリア)文化とイタリア文化の混淆する地域

崖の岩肌に雄大な層理が見える

谷間の平地や丘の斜面にぶどう畑が続く 

剥き出しの岩肌。その間を侵食して急流(滝)が下る。

 街道沿いにトレント、ボルツァーノ(ボーゼン)などの町が並んでいる

 丘の上には教会やら城跡が見られる

 トレントあたりの海抜は 200m、ボーゼンでも270mほどだが
その後次第に土地が高くなってゆき、本格的な
山岳地帯に入ってゆく。

 ある年の5月だったが、2,000m級のアルプスの
山並みにまだ雪が残っていた。

 

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