47.こはく Amber (バルト海産) |
海の上を長い間漂流してきた流木は、洗い清められて、すっかり白茶け、美しいつやが出てくるという。植物の樹脂を起源に持つ、こはくもまた、漂流している間に、磨き上げられ、海に溶け出す部分をすっかり失ってから、硬く、風変わりな姿となって岸に打ち上げられるのだ。美しくなるのは、人間が加工してからの話だけれど。
こはくは、海からの贈り物である。昔は「海の金」とも呼ばれていた。実際には、陸地でも採れるのだが(起源からして当然)、上記のように、漂流中に成分に変化が起こるべきものであるから、やはり海のこはくと、陸のそれとは区別して考えたいものだ。
英語名のアンバーは、アラビア語のアンバールからきた言葉で、もともとは竜涎香を指した。こはくを燃やすと、竜涎香に良く似た甘い匂いがするそうである。どちらも海からやって来たものだから、その昔には、両者を混同していたことがあるかもしれない。
ギリシャでは、エレクトロン(太陽石)と呼ばれたが、これはその色が太陽のように輝かしい金色だったからであった。摩擦すると静電気を帯びるが、後にこの現象から電気一般を指す語に転じた。
補記:古くから知られる宝玉の一つで、欧州ではローマ時代にバルト海から地中海/アドリア海まで「琥珀の道」を通って運ばれた。バルト海産の琥珀が交易された歴史は古く、新石器時代(1万-7千年前)には始まっていたと言われる。エジプトの古代王朝の墓にも琥珀が発見されており、交易ネットワークは広範かつ多岐にわたった。シルクロードを伝ってインド、アジアにもたらされた琥珀もあったに違いない。中世期以降も琥珀の交易は儲かる商売で、バルト海沿岸から東欧圏を支配したチュートン騎士団の諸王侯は自らを「琥珀王」と称した。バルト海でもっとも琥珀の集中した地層はポーランドとの国境近くの町カリーニングラード(旧名ケーニッヒベルク:王の町)の沿岸海域にある。20世紀にはこの2地域で世界の産出量の85%を占めた。
こはくは比重が 1.04~1.1で真水に沈み、海水に浮く。気泡を含むものは真水に浮くこともある。飽和食塩水の比重は1.1なので、琥珀の真贋テストに用いることが出来る。ただし割れ目のある標本に試みてはならない。割れ目に残った塩水から塩が結晶して、割れ目を広げるおそれがある。
補記2:上の画像のリトアニア産のものは内部に「魚の鱗」状の半円形〜円形放射状の亀裂を多数含んでいるが、これはこはく原石を加熱して透明性を増す加工工程「カレーニエ(白熱、焼き入れの意)」によって生じるものである。この過程を経たこはくは表明に赤みを帯びた層ができ、内部に生じた鱗状の亀裂が光を反射して美しくきらめくようになる。ロシアの細工師はこの輝きを「黄金の光」「太陽のスパンコール spangle」と呼ぶ。加工前の自然のものでも、地熱で熱せられたり冷えたりすることで生じていることがある。バルト海産の琥珀はしばしば黄鉄鉱や瀝青を含む。
補記3:ドミニカ産の琥珀はC.コロンブスが発見したとされるが、1960年代までほとんど顧みられなかった。エスパニョーラ島には多くの炭坑があり、手掘りで琥珀が採集されている。琥珀はサンティエゴの町に集められ、さらに首都のサントドミンゴに送られる。透明度の高いものが多く、しばしば保存状態のよい昆虫を含んでいる。
f. 琥珀(ベルンシュタイン) No.712(琥珀の道) ヘオミネロ5(ドミニカ産)