No.76 ヤンゴン(ミャンマー)  

 

私の最初のビルマ体験は Expo '70のビルマ館見学だったが、
何を観たかなんてことは遥か遠い忘却の淵に沈んでいる。
竹山道雄の「ビルマの竪琴」を読み、
中井貴一主演の映画(1985)や
「戦場にかける橋」を観たが、
それでビルマの何が知れたか怪しい。

実際のところ、ヤンゴンを訪れる機会が出来たとき、
ビルマからミャンマーに変わった国の
ラングーンからヤンゴンに変わった都市に関して
私はほぼ何も知らないに等しかった。
仏教国であること、ラングーンは米の輸出港であること
くらいは地理の勉強で覚えていたが。

で、訪緬の翌年に印象をチラと書いたのが
ひすいの話2だった。
それから四半世紀経って想い返そうとすると
浮かんでくるのは、エビカレーの美味しさである。
あれだけは、ほんと、もっかい食べてみたいよ。

ミャンマー国民の9割は仏教徒だという。
ヤンゴンにはシュエダゴンパゴタをはじめ
多数の仏教寺院があって観光名所となっている。

ミャンマー人の気質は和やかで、争いを好まず
仏教に帰依する心が深い、
と案内してくださった方にお聞きし、
人々のしぐさやたたずまいを見て
その通りだなと思いました。

 雰囲気がタイ人とも日本人とも違う和やかさ。
比べると日本人ってかなり攻撃的。

私も寄進用の金箔を買って
仏像にスリスリ貼った気がする。

 

当時は観光ビジネスがまだ黎明期で
システム構築の模索段階にあった。
そういう時期のツアー旅行はそれはそれで
面白いものでありました。
プロフェッショナルじゃない楽しみ。

 

街中。こういう乗り方はアジア共通だったというか…
日本だって昔は。

頭に載せて運ぶのは文化スタイルです。

街角の祠。これはアジア・インド圏共通の感性と思います。

ココヤシの露店。

女性は頬に白檀のような香りのする粉を塗って化粧する。
「タナカ」というらしい。(原料はタナカの木)
香りがいいので土産に持って帰った覚えがあるが、
あれはどうなったのか…?

頬と額にタナカを施した女性。
日焼け止めにもなるそう。
着ている服はアルファベット文字や
アラビア数字のデザインだが、
色彩の散らせ方はミャンマー独特の
好みではないかと思います。

仏僧。体格がたくましい。
托鉢して回るからでしょうか。

滞在したホテルかどこかのディナー・ショー。
日本人客のために、岸壁の母とか
北国の春とか歌ってくれたのです。

工業学校。旋盤の使い方や溶接など実習してました。

くつろぐ学生さんたち。
こういう学校に通える若い人たちには
外資支援によるモノ作り会社への就職が
優先的に開け始めていたわけ。

 


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