No.79 ツェレ (ドイツ)
ツェレはドイツ北部の小さな町で、ハノーファーの北東、
鉄道で約30分ほどの位置にある。
私は昔の海外旅行案内書、
ブルーガイド「ドイツ」(1992)によって
その名を知り、いつか訪れたいと思うようになった。
きっかけは同僚がゴスラーの鄙びた
良さを語り(ひま話 ゴスラー)、
その後、上掲書のゴスラルのページに
こんな言葉を読んだことだ。
「ここには 80kmほど北のツェレのような
はなやかな色彩も、観光地としてのにぎわいもない。」
そしてツェレのページにはこうあった。
「ツェレは不思議な美しさにみちた町である。
目抜き通りのツェルナー通りをはじめ、
戦火をまぬがれた付近の各通りは、
16世紀、17世紀の家で埋まり、ずらりと並んだ
古めかしい破風が中世の世界へ、
メルヒェンの世界へ誘いこむ。
すれちがう人だけが、かすかに現代の香りを
漂わせている、そんな不思議なところだ。
もしかしたら、ここだけはまだ中世が
続いているのかもしれない。」
若い私は、こんな思わせぶりっこな惹句にも
純情に曳かれて、憧れを胸に抱え込んだのだ。
現代に紛れ込んだ中世の時間を感じたい、と。
それから 30年が過ぎた。
鉄道駅を出て東に歩く。旧市街を目指して。
道の左側に芝生の公園があるので
通り過ぎる
木組みの家がぽつぽつ見られる
やがて、ツェレ城公園が見えてくる
ツェレ城 建立は 1530年に遡り、
当時のルネッサンス様式と、17世紀に加わった
バロック様式の棟とが併存する。
ブラウンシュバイク・リューネブルク領主だった
ツェレ公爵家はギュルフ家の血統で、
1378年から1705年にかけて、この町に住んだ。
いわくありげな複雑な紋章。
町に住んだ最後の公爵、
ゲオルグ・ヴィルヘルム公の名を伴う
お城公園を過ぎると、旧市街。
上掲のブルーガイドに、ドイツには木骨組み建築で
有名な町がたくさんあるが、ツェレのように、
「通りという通りが、見事に木骨組みの家々で
埋めつくされているというところはまずない」こと、
リューネブルガー・ハイデの南端に位置し、
「北ドイツの真珠」、「北ドイツのローテンブルク」
と讃えられたことが書かれている。
目抜き通りのツェルナー通り
かつて公爵の馬車が護衛の騎馬兵を
従えて通った、と今でも語り種になる。
よく見ると、一階部分より二階部分が、
そしてそれより三階部分が張り出している。
一階部分の敷き面積で税額が
決められたからだという。
今は観光客めあてのショッピング通り。
凝った木組みの装飾や店の張り出し看板を
眺めて歩くのも楽しい。
一階部分は現代的な建築に改修された建屋も多いが、
基本的に勝手にデザインを変えることは出来ないそう。
(それでデザインは維持している模様)
緑壁の家は 1526年に建てられた、
ツェレに現存する最古の旧家。
石組みの家。北ドイツではこの様式の建物もしばしば見かける。
通りを行く観光ワゴン。
旧市庁舎。ヴェーザー・ルネッサンス様式の切妻。
内装はゴチック様式で 14世紀前半に遡るとか。
市庁舎前の広場では、かつてブレーメンや
ハンブルクから来た商人たちが市場を開いた。
市庁舎横の市教会。
始まりは 1308年だが、17世紀に現在の
バロック様式に改築された。
塔の高さは 74.5m。
上ると街並みを見下ろせる。
ぶーちゃん
朝夕の薄暗がりに歩けば
中世の時間に出会えるのかもしれない。
こうした木骨組みの建物が 450棟以上あるそう。
旧市街の南側にあるフランス庭園。
ゲオルグ・ヴィルヘルム公の夫人、
エレノア・ドルブリューズはフランス人で、
宮廷にフランス趣味を持ち込んだ。
この庭園も彼女が造らせたもの。
並木道
噴水
中世(の空気、時間)って何なのか、
私にはいまひとつ分からないのであったが。
ちなみにドイツには「木組みの家街道」という
ドイツ北部から南部までを縦断する
長大な観光ルートがあり、
7つのサブコースで構成されている。
1990年に 98の町が加盟して成った。
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