No.82 ハイデルベルク (ドイツ)  その2

 

「アルトハイデルベルク」は
今では流行らない古い小説だが、
インターネット時代の有り難さで
手を伸ばせばアクセス出来る。
(図書館にもある。)

故郷から1日行程ほどの大学町で
宮廷を離れた愉快な学生生活を
謳歌する皇太子(将来の国王)と、
旅館酒場の縁者の娘ケーティー(婚約者あり)
との期間限定、結婚とは無縁の、
今ここを生きる純愛譚である。

お金の心配のない身分の学生たちとの
分け隔てのない仲間づきあいや、
若くて愛らしい娘との気儘な逢瀬が、
窮屈なしきたりの中で生きる運命の主人公を
開放的な気分にさせ
若さの喜びを享受させてくれる。
以前この大学町に暮らした学生たちが
そうであったように。

というわけで日本でも、昔の旧制高校や
旧帝大のエリート卒業生たちには、
母校を「我がハイデルベルク」と
呼ぶ文化があったとか。
一説に、彼らもまた自らの学生時代を
どんな放恣な行動も大目に見られた
聖別された特例期間と受け留めて、
主人公の(ままならない)境遇に己を重ね
ひとときの恋愛を胸に収めたのだという。

今でも上流家庭のエリート校出身者には
そんな心性を隠した旧(アルト)若者が
あるのかもしれない。

町の大学は哲学の新カント派の牙城で、
日本からも多くの留学生がやってきたという。
ちょっとインテリっぽい憧れの地だったわけ。
…って、新カント派って何なのか私は知らないが。

アルテ・ブリュッケ(古橋)/カール・テオドール橋
ドイツ最古の橋のひとつで、1248年の記録文書が残る。
もとは木橋で、
春先に流れ下ってくる氷塊で損傷するたび、
架け替えてきたという。
ちなみにこのあたりは
ドイツで最も早く春が訪れる土地らしい。

遊覧船が通っていく。
石造りの橋は、二次大戦末期に
連合軍の侵攻を防ぐために爆破され、
戦後 1947年に完全復元された。

「そうです。あれがネッカー河です。
シュワーベンから流れて来るのです。
ロイトリンゲンや、むかしのギヨツからね。
ネッカー河畔のうまいぶどう酒は…」
(「アルトハイデルベルク」より 山本藤枝訳)

丘の上の古城(址)。
ネッカー渓谷の高さ 80mほどの
位置に築かれた元城砦。
成立は不詳だが、 13世紀初頃に
選帝侯の居城になったという。
ハイデルベルクの町と城は 17世紀に
 占領と破壊を 3度経験した。
そのたび再建・増築がなったが、
宮廷がマンハイムに移ったことと、
1764年の落雷火事により、廃墟となる。
「アルトハイデルベルク」では
フランス兵が大砲で破壊したことに
なっているが、史実は違い、
廃墟と化して後暫くは、建築に使う石材を
調達する石伐り場にされていたという。

ハウプト通りもこのあたりまで歩くと
古城が見上げるほどに近づく。

枝道は上り坂となって

お城への登り道に続く

上り坂半ばあたり

本丸近く

見下ろすとネッカー河と旧橋が見える

コルンマルクト(穀物市場)広場からみた古城(址)
古城の本丸は観光出来て、
なかに巨大なワイン樽があるのが目玉。
プファルツ選帝侯領はワインの名産地で
多量のワインが税として納められた。
これを貯蔵した樽の名残りという。

聖母子の球乗り
支える人たち大変

横丁。突き当りに見えるのは
ホテル「騎士亭」。
1592年に織物商人が建てた
ルネッサンス末期の典型的な形。
1703年からホテルになった。

 

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