No.83 アユタヤ (タイ)  その2

 

アユタヤ朝は 1351年、ウートン王(ラーマーティボーディ1世)が建国したといい、1767年のコンバウン朝ビルマ軍侵攻による滅亡までの約400年間を 33人の王が統治したそう。私の世代の日本人には、(子供向け歴史まんがで読んだ)山田長政の日本村があったところ、という認識だと思います。チャオプラヤー川流域の交易を押さえて関税を徴収し、繁栄をほしいままにした王国。沿岸地域を跋扈する海賊の難を避けて、チャオプラヤ川を遡上した水域を砦として都を設けた。とはいえ南下してきたビルマ軍により都心はほぼ完全に破壊され、寺院もその例外でなかったそうです。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン。別名ワット・プラ・チャオプラヤータイ。1357年、初代ウートン王の建立で、当時、セイロン島(スリランカ)に行って仏教を学んで帰った僧たちに修行の場として贈ったものらしい。釣鐘形の塔はセイロン様式。都の中心部から離れているので、他の寺院より破壊の程度が軽いのだそう。それでも現在の偉容は修復を受けたものでしょう。ネットの画像を見ると、鐘の部分は金色に塗装していたようです。

袈裟がけの黄金色のタスキが、アジアの仏教だなあと思います。

高さ72mの仏塔は 1592年のビルマ軍との戦いの戦勝記念。階段を上っていくと中に仏像が安置されています。

中のヒト。金箔は参拝者たちが願を籠めて日々貼り付けて更新してゆきます。

階段の上から周囲を見回す。

たぶん、下部の赤茶色部分が破壊されずに残っていた部分でしょう。

昔からここにいたような顔をしてますけど

多分観光用に修復されたものでしょう。

これは釈迦(シッダールタ)の像だとか。

みんな垂れ耳

寝釈迦。
横を向いて寝るのが箱枕の正しい使い方か。

あ、起きてましたか。

 

ワット・マハータート。14世紀後半(3代王の頃まで)の建立

トウモロコシ形の仏塔はクメール(カンボジア)様式。
盛時は金色に塗られて輝いていたそう。

ビルマ軍の侵攻で都が失われた時運命を共にし、仏塔はこぼたれ、仏像の頭は落ちた、と。

テレポーテーション?

翠青色(カワセミ色)の美しいトカゲがじっとしてました。
山のあねさまの眷属?

ラピュタの木が、遺跡を取り込んで

仏頭がまるで嵌め込まれたかのように

子供の頃、カレンダーの写真にこの様子をみて
強い印象を刻まれたことがありました。

(「ああ、ここだったんだ!」)

アユタヤ朝の滅亡から 250年。
それでもこれだけ残っているのは、石造りの強みと思います。

 

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