ひま話 ある坂田ファンによるサカタ・マンガ覚え書き (2020.11.21)


◆私は坂田靖子さんと彼女の描くマンガの年来のファンであります。坂田マンガに初めて接したのは、80年代の半ば頃だったと覚えていますが、たまたま立ち読みした「まんが専門誌」の新人作家紹介に川原泉・佐々木倫子・明智抄が取り上げられていたのがきっかけでした(当時、私は川原さんの「甲子園の空に笑え」などにアテられていました)。その中で「佐々木倫子は坂田靖子のように何を描いても品がいい」と評されていたのを目にとめて、彼女らのマンガに手を出すようになったのであります。ちなみに佐々木本では「林檎でダイエット」が一等好きです。

さて坂田さんは 1975年に白泉社の「花とゆめ」でプロ・デビューされた方で、久しく代表作と目される「バジル氏の優雅な生活」は 1980年に単行本第1巻が出ていますから、その頃すでにベテラン人気作家だったのだろうと思いますが、私の方は白紙状態でしたから、いきなりシリーズもののバジル氏に手を出したりせず、行きつけの本屋さんでタイトルを眺めて迷いつためらいつ、「チャンの騎士たち」(1979)を買ったのはそれからしばらく経ってのことでした。(奥付を見ると 1985年1月 第6刷とあります。坂田さんの名を知ったのはたぶんその頃でしょう。)
後ろ表紙のカバー裏面の「作品かいせつ」に、「坂田靖子の持ち味が遺憾なく生かされたコメディタッチの探偵もの『チャンの騎士たち』2編、傑作です。『ハリーの災難』『今夜はすてきなハロウィーン』文句なく楽しめます。ガウン、シェリー酒、葉巻、英国紳士、などふと思い、アメ玉しゃぶりつつ読みふける夜長、価千金。」と宣伝されています。英国趣味がウリだったようです。
一般にマンガや文庫本は、表紙か中表紙にあらすじやキャッチコピーが書いてあって、これを見て買い手は内容を推測するのが常道でした。-立ち読みを嫌ってビニールをかぶせたり、紐をかけたりするようになる以前の書店文化です。私も「かいせつ」を見てこの本を選んだと思うのですが、よく覚えてません。ともあれ、内容を一読してあまり面白いとは思いませんでした。その頃好んでいたテイストと大分傾向が違っていたのです。

坂田さんはなにしろマンガが大好きな方で(「私は漫画家になるくらいのマンガファンです」)、読者の感覚を非常によく分かっておられます。読者とは「『このマンガを自分のお財布からお金を出してレジで買っていいかどうか』という、ある意味もの凄くシビアな判断をされる方」と語られているのですが、そういうシビアな読者として私は自分の判断力を怪しまずにおられませんでした。しかしそれにめげず次いで「ライム博士の12月」(1984)を買ったのはどういう風の吹き回しだったのか。これも面白くなくて、なぜ博士がこんなメーワクな(不良品としてUFOに捨てられた)ロボットとつきあって面倒を見続けるのか、当時の私は理解の外でした(今はちょっとだけ分かります)。

「作品かいせつ」は「宇宙の粗大ゴミとして地球に捨てられちゃったメフィスト君。心優しいライム博士に拾われて居候をきめこみました。お隣のベティさんと、悪魔祓いの牧師さんを交えての12の物語は、E.T.もまっ青という未来派感覚のコメディです!!今年は春からメフィストだァ!」と宣伝していますが、未来派ってこういうのと違うでしょ?と思います。ついでながら、悪魔祓いは 72年のホラー映画「エクソシスト」で日本人に先刻おなじみ、E.T.は 82年のスピルバーグのSF映画でこれも大ヒット作。しかしなぜ「E.T.もまっ青」なのか意味わかりませ〜ん。インド人もびっくり。牧師さんは確かに作品中でエクソシストやってますが、「ざ・ぱわー・おぶ・くらいすと・こんぺるす・ゆー」と唱えてくれると、もっとマニアックなパロディ感あったなあと思います。脱線。

◆そうこうするうち本屋さんに行くと、自然と坂田靖子の名が眼に飛び込んでくるようになりました。そしてある日、とある大書店のレジ前カウンターに平積みで置かれていた潮出版社の「天花粉」(1986)に出逢ったのでした。A  boy meets a book. これはまあなんというかよく出来た装丁の本で、表紙のデザインがマンガ本離れして素晴らしく、和風中華なカラーイラストも綺麗で(ドギツイ色を使わないしっとりした絵で)、本好きなら本棚に並べておきたいと思うような本でした。背表紙にタイトルが薄紅色で書かれ、その下に細かな英文字で TALCUM POWDER FROM HEAVEN by YASUKO SAKATA とあり、さらにその下にやはり細かな字で「昔 中国に ひとりの 男がいた/ 雨の日は 書物を 読み/ 晴れた日は つりに出かけて/ 日々を過ごして いたのである」とあります。そんなデザインの本、見たことありますか? ふつー、ねーよ。 定価500円(一般的なコミック単行本は 350-380円の時代で、値上げの波がじわじわと。当時はもちろん消費税なし)。値打ちです。買いました。読んでみると、内容もよかったのです。順番が逆みたいですが、でもたぶん、当時カバーに惹かれて手にとった人は多かったのではないでしょうか。装幀:日下潤一。本はまず見かけ(とタイトル)ですって。

ちなみに坂田さんは後に SAKATA BOX(ホームページ)で、「潮出版社の単行本は、ずっと日下さんという繊細なグラフィックデザイナーの方がやって下さっていて、いつも、ものすごいセンスのものができあがってくるので、カットだけをお渡しして、全面的にオマカセしちゃっています。(ワタシはマンガは描きますが、デザインセンスがあまりないので、こういうデザインとしてビシっとした、見事な仕上がりを見ると、素晴らしくて涙が出てしまうのであります。)」(2000.6.14付)とお話しされてます。でしょー。でしょー。

さて、この本には7つの短編が入っているのですが、表題の「天花粉」は悠久の中国の香りを漂わせるギャグマンガでツボでした。また「謹賀新年」は住み込みの番頭さん(または家令)らしき人物が正月を迎える屋敷の仕度を慌ただしく差配するなかに寒山拾得が紛れ込む異人来訪譚で、昔の日本の空気感を偲ばせて、これもぐっときました。ほかの作品もそれぞれ味わいがあり、ん〜実に完成度の高い本だと心服。以来不肖SPSは、坂田本とみるとつい手にとりたくなる体質になってしまったのでありました。

天花粉

天花粉の表紙  デザイン・アートだと思う 額装して飾りたいくらい

◆かくて白泉社刊の単行本(花とゆめ COMICS)をちょっとづつ買い集めてゆき、やがて「バジル氏」9巻本を揃えることになります。朝日ソノラマのサンコミックス・ストロベリー・シリーズ(闇夜の本ほか)に巡り合って(その頃はネットで検索すれば出ている本が全部知れるという世界でなく、まさに「本に巡り合う」感覚があったのです)、やっぱりサカタ作品は和モノに佳品があると思ったり。日本昔話風の駘蕩感がイイんだよね。
そして潮出版社から「アジア変幻記1 カヤンとクシ」(1987)が出て、アジアンな時間と空間感覚を体現した作品群にカンドー、オレの目に狂いはなかった、となぜか鼻高々。
翌年続編の「アジア変幻記2 塔にふる雪」に接した私のサカタ熱は、ほぼフリークの域に近づいたのであります。そして変幻記3をひたすら待ち侘びて日々を送るうち、時代は昭和から平成に…。

「天花粉」と「アジア変幻記2」には村上知彦という人が巻末に解説(宣伝)文を書いています。「天花粉」の方の題は「坂田靖子の世界 あるいは少年とオバケとぶらぶらおじさん」で、題名だけですでに(男性読者にとっての)坂田世界を表現してるな〜という感じがするのですが、つまり「ぶらぶらおじさん」って「もう若くもないのにぶらぶらして」いて、「自分たちの生活のスタイルに従って、忙しい世間とはちょっとズレてしまった意識の流れを生きて」いる、坂田作品にハマってしまった私(たち)自身の似姿なんであります。プエル・エテルヌス。
村上さんは、大人になったらこんな”おじさん”になりたいと憧れたそうで、「坂田靖子のまんががよみがえらせてくれたものは、どうやらあのときの”ぶらぶらおじさん”にあこがれた、気分だったようだ。」とテキストをまとめられているのですが(彼は当時若冠35歳)、私もまたどうやらこのぶらぶらおじさん元型に掴まってしまったようで、それから30有余年、まさにぶらぶらおじさんの時間を過ごしてしまったなあと、忸怩たる思いと共に来し方を振り返る仕儀とはあいなりましたのです。ああ、そうか、坂田作品とは私にとっての予知夢だったのだな。
♪あなただったのね、ぶらぶらおじさ〜ん、そうです、私がぶらぶらおじさ〜ん。
望みは叶ったみたいだけど、果たしてこんな無責任なことでよかったのかしらん…この先もこんな行き当たりばったりなのかしらん…。有縁即住 無縁去 一任清風 送白雲。

一方の「変幻記2」の解説の題は、「神様にいちばん近い場所」。村上さんは、坂田さんがこのシリーズで描いたのは「アジアでオバケや神々のすぐ近くに生きる人々」の物語だと指摘するのですが、「神々の近くで、のんびりと暮らす人々」とは、日本ではやっぱり「変わり者のぶらぶらおじさん」だよなあと思います。ほかの誰でもない。
「これは! お前の物語だ!」

アジア変幻記1 カヤンとクシ

アジア変幻記1の表紙  変幻記っていいタイトル…

アジア変幻記2 塔にふる雪

アジア変幻記2の表紙  シブい… チベットの雰囲気出てる気がする

関連ページ:ベル・デアボリカ、  覚え書き2、  覚え書き3

 

補記:坂田さんは落語通でもあられて、彼女の作品世界には落語の「語り」(騙り)に通じる融通無碍の呼吸があります。その連想で言えば、ぶらぶらおじさんは、さしづめ純粋だけど世間知らずで遊び好きのどーしよーもない若旦那でありましょう。「バカなキャラクターがものすごくカワイイ」のだそうです。(「若ぼん」と呼ばれるキャラが出る作品もありましたね。)

補記2:私の坂田マンガのシビれ初めは潮出版社の「天花粉」だったわけですが、天花粉とはいわゆる「アセモとり」のことで、ベビーパウダーとかタルカムパウダとかシッカロールと呼ばれる商品です。
辞書を引くと、「天花粉。天瓜粉。キカラスウリの根からとった澱粉。小児の皮膚に散布し、あせも・ただれの予防などに用いる。季語:夏」とあるのですが、本を買った時は知りませんでした。
そしてお話の主人公も、実は天花粉がアセモとりだと知らずに、なにかありがたい仙薬と思って怪魚の頼みを引き受けるのであります(だから主人公の行動は他人事でない)。天の花の粉のように聞こえる名称にえもいわれぬ誘惑的なフェロモンがあり、思うに坂田さん自身、天花粉の雅びな語感と実態はアセモとりというギャップに驚愕されたことがあって、その記憶がお話に結実したのではないでしょうか。
また本の装幀を言えば、天花粉を "TALCUM POWDER FROM HEAVEN" (天国からきたタルカムパウダ)と英訳してタイトルにした力技は、なんだかお話の内容に通じるようでもあって、非凡なパロディセンスを感じます。お主やるな、と思います。

補記3:天花粉と似たような印象を与える植物の名に天人花(てんにんか)があります。台湾や東南アジア原産のフトモモ科の常緑小低木で、夏に赤紫色の美しい五弁花をつけます。中国名に桃金娘(桃金嬢)。いかにも物語の花が開きそうな名称です。
ヨーロッパではマートル Myrtle (銀梅花/フトモモ科ギンバイカ属/地中海原産)の木が太古神の神木とされていますが、これを天人花と訳すことがあります。白やバラ色の花を咲かせます。ローマのヴィーナス(ウェヌス)の神殿はこの木に囲まれていました。愛の象徴として、アイネイアスは頭を母アフロディテのこの花で飾り、その一葉と数個の実をオビディウスに与えたので、彼は酔いしれた気分になったと述べられます。古い時代、ヨーロッパの初婚の花嫁はその花輪を身につけました。さまざまな表意があり、ディオニソスの秘儀への参入者は天人花を標章としました。ミルトンは失楽園にキリストを賛美して「天人花の杖を振り上げて海と陸とあまねく平和をもたらす」と歌いました。イザヤ書では喜びと平和と豊穣の徴です。クレタ島の女神プリトマルティス、またテティスやペルセポネに関わる神話でも、この木や花がある役割を果たします。雷除けになると信じられました。


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